高山(標高) |
平成12年5月12日() |
岐阜県宮川村 |
グループ |
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高 山(1,336.6m)
平成12年10月15日(日)快晴
この山は登山道がないとのことで、春先の残雪のある時期しか登れないと思い行かなかった。しかし、だんだん登る山も限られて来たので、とにかくアタックしてみることにして、前日の14日(土)14時30分に家を出る。今回はせせらぎ街道を通って高山市へ入り、夕食と翌日朝食、昼食を買い込んで、国道41号線を北へ向かい、道の駅「アルプ飛騨古川」へ20時ころ着いた。今日はここで車中泊とする。もう当たりは暗くなっている。しかし、ここには街灯もあり明るい。その下で用意してきた焼き肉をやり、ビールを飲んで夕食とする。翌日のことを思い、早々に車中で寝る。さて、明けて、15日(日)6時00分に起床し、洗面を済ませて、国道41号線を一路古川町の下数河へ向かう。数河峠の坂を登りきる手前、集落の一番手前の道を左折する。まだ、登坂車線のあるところで、左折する訳である。さて、左折して坂を登ると、民家が点在している。この集落内で左折すると、袖峠へと向かう林道となる。途中、土砂取り場があるが、無視して直進する。すると、右手に「お助け水」がある。ここで水を補給するのもよい。さて、国道から約2.3Kmで袖峠に着く。峠には左側に「林道開設記念碑」があり、その前は2〜3台は駐車可能な広場となっている。丁度、ここから右折して「高山」の方へ駆け上がっている林道がある。しかし、この林道入り口にはゲートがある。今日はたまたまゲートが空いていたが、先日のように車で乗り入れてゲートを閉められるのではないかという不安が頭をよぎり、袖峠に車を止めて歩くこととした。7時00分に出発した。紅葉はまだ少々早いようである。林道はどんどん高度を上げ、宮川村側へ回り込んで、7時38分には、西方(宮川村)方面の展望がよいところへ出る。宮川村方面は一面伐採してしまって、植林が進んでいる。7時47分には林道の最高点付近に着くが、丁度ここに森林開発公団の黄色の看板があるのでわかるであろう。看板には「水源林をつくる公団造林、宮川村〜長谷造林地、契約面積 45.26ヘクタール、契約期間 平成6年〜65年、造林地所有者 青木優雄外7名、造林者 宮川村森林組合、森林開発公団 岐阜出張所」と書いてある。さて、この看板の反対側、即ち、登ってきて右側に、造林用と思われる作業道の切り開きがある。尾根をピークへ向けて登っているようなので、これをたどることとした。右側は笹と灌木の薮であるが、左側は伐開して、幼木が植林してある。下草が刈り取ってあるので、歩きやすい。8時04分には頂上かと見間違うようなピークへ着く。ここに山の境の杭なのか、「山 76」と書いたコンクリートの杭が埋まっている。右へに更に高いピークが見えるので、それへと向かう。平坦な尾根である。8時10分には右からの尾根と合流する。ここから切り開きの道を、やや左方へ緩やかな登り坂を登り切ると、8時14分には頂上へ到着する。宮川村側は伐採して植林が進んでいるが、古川町側は灌木と熊笹の猛烈な薮である。「山 76」のコンクリート杭から先、尾根の合流点までの僅かな部分が切り開きがない。今日は下草が刈ってあったので、簡単に登れたが、この下草が繁ってくると、大変な苦労を強いられることとなると思われる。とにかく、今日は造林のおかげなのか、切り開きがあり、下草も刈り取ってあるので、容易に登頂することができた。切り開きが無ければとても容易に登れない山であることは間違いない。三角点から3〜4m離れて「山 37」のコンクリート杭がある。南西(宮川村方面)から登って来たが、南東(古川町方面)からも切り開きがあり、どうも国土調査の時のもの思われる。しかし、この方面からも登頂が可能のようだ。さて、時刻も早いので食事もとらず、8時30分に下山する。8時33分に「山 76」のコンクリート杭のピークを過ぎ、8時37分に林道へ出て、9時07分には車へ戻って来た。ゲートは開いていた。これなら車で入ってもよかったのにと思うが、後の祭りである。まあ、短い時間で登れたのでよしとしよう。これから、水無山へ挑戦してみることとした。