サンノーの高(標高) |
平成8年11月17日() |
岐阜県美山町 |
グループ |
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サンノ−の高(松谷山)
平成8年10月27日(日) 快晴
なんといい天気なんだ。山登りに絶好の天気ではないか。これを逃す手はない。早速準備をして、とにかく山だ山だ。今日はわがふるさとの山サンノ−の高(松谷山)を目指す。午前8時に家を出発。ふるさとの美山町側はトンネルが通行止めだろうと思い、残念ながら板取村の松谷洞から登ることにする。松谷の左岸の集落内の舗装道をあがっていくと、道はなくなり丁度広場があるので、そこに車を止める。松谷洞の駐車場到着が8時45分であった。すぐに出発する。松谷の左岸にわりとしっかりした道がある。すぐに対岸(右岸)へ渡る赤い橋があるが、それをやり過ごし、50メ−トルも行くと、右へあがって行く道があるので、それを登る。右へ登らず、真っ直ぐ行くと蓋をした用水の上を歩き、結局用水の取水口で行き止まりである。さて、右への道を登っていくと、檜の林の中を進んでいる。左下には、松谷に流れの音が聞こえる。ここから左岸を1時間程歩くことになる。途中では、いくつかの支流を渡ることになるが、たしかに支流を越えるあたりでは、高巻くために登りもあるが、おおむね平坦な道である。基本的には谷(松谷本流)の左岸に沿って登ることになる。途中で尾根の方へ行く道があるが、そちらへは入らないことである。樹木の枝間から眺める紅葉はまことに美しい。空はどこまでも青く、紅葉とはコントラストは、言語につくし難い。こんな綺麗な景色を独り占めでよいものか。リッチな気分になる。これらは、とにかく自分の足で登ってこないことには眺められないのだ。さて、とにかく、左下に松谷本流の音を聞きながら左岸を歩くこと約1時間で、それまですっと下にあった松谷が近くなり、とうとう道は谷に合流して、対岸の松谷右岸へ渡る。そしてジグザグに登るが、松谷の方を振り返ると、20〜30メ−トルくらいの滝が見える。この滝も紅葉の中に浮かぶ白いしぶきがとても綺麗である。さらに登り、支流を1つ越えると、こんどは、おおきな岩盤の涸谷が現れる。ところが道はこの涸谷のところでなくなっている。どうしたことか。やむなく、涸谷を高巻くつもりで、直登することにした。しかし、これが手強い。結局尾根に着いたのが11時20分である。ゆうに1時間以上を要している。あとは、尾根を進むしかないと、尾根伝いにサンノ−の高(松谷山)を目指すも歩けど歩けど、到着しない。やがて、背丈ほどの笹が出てきたので、もしやと思い苦労してピ−クに達しても三角点はない。これも外れである。時刻はすでに13時であった。しかたなく、今日の登頂を諦めて引き返す。最初に辿り着いた尾根へは13時30分に到着し、そこから直下へ下り、涸谷のところに14時00分に着いた。そこで、道を探すと、なんと涸谷を渡って対岸に踏み跡があるではないか。なんということか、もっと探しておれば、また、浅はかな考えで、尾根へ直登したことを後悔した。しかし、この時間ではなんともならぬ。またの挑戦を心に秘めて下山するしかなかった。14時10分、この涸谷をあとにする。松谷の左岸へ渡り、来た道を戻って車には、15時に到着。そのまま帰宅して、16時である。昨日といい、今日といい、全く2日連続で登頂を果たせなかったとは、まことに残念である。まあ、こんな日もあるさ。あせる必要はない。またの機会に楽しみを持ち越しただけのことである。
サンノ−の高(松谷山)
平成8年10月27日(日) 快晴
なんといい天気なんだ。山登りに絶好の天気ではないか。これを逃す手はない。早速準備をして、とにかく山だ山だ。山が呼んでいる。今日はわがふるさとの山「サンノ−の高(松谷山)」を目指す。美山町と板取村の境にあるのに、「松谷山」などと板取村側の松谷洞の源流にあるという意味の名前を付けられているなんぞはけしからん。「サンノーの高」とは、いい名前である。さて、午前8時に家を出発。残念ながら、ふるさとの美山町側はトンネルが通行止めだろうと思い、板取村の松谷洞から登ることにする。松谷の左岸の集落内の舗装道をあがっていくと、道はなくなり丁度広場があるので、そこに車を止める。松谷洞の駐車場到着が8時45分であった。すぐに出発する。松谷の左岸に、わりとしっかりした道がある。すぐに対岸(右岸)へ渡る赤い橋があるが、それをやり過ごし、50メ−トルも行くと、右へあがって行く道があるので、それを登る。右へ登らず、真っ直ぐ行くと蓋をした用水の上を歩き、結局用水の取水口で行き止まりである。さて、右への道を登っていくと、檜の林の中を進んでいる。左下には、松谷に流れの音が聞こえる。ここから左岸を1時間程歩くことになる。途中では、松谷へ注ぐいくつかの支流を渡ることになるが、たしかに支流を越えるあたりでは、高巻くために登りもあるが、おおむね平坦な道である。基本的には谷(松谷本流)の左岸に沿って登ることになる。途中で尾根の方へ行く道が数カ所あるが、そちらへは入らないことである。樹木の枝間から眺める紅葉はまことに美しい。空はどこまでも青く、紅葉とのコントラストは、言語につくし難い。こんな綺麗な景色を独り占めでよいものか。リッチな気分になる。これらは、とにかく自分の足で登ってこないことには眺められないのだ。さて、とにかく、左下に松谷本流の音を聞きながら左岸を歩くこと約1時間で、それまでずっと下にあった松谷が近くなり、とうとう道は谷に合流して、対岸の松谷右岸へ渡る。そしてジグザグに登るが、松谷の方を振り返ると、20〜30メ−トルくらいの滝が見える。この滝も紅葉の中に浮かぶ白いしぶきがとても綺麗である。さらに登り、支流を1つ越えると、こんどは、おおきな岩盤の涸谷が現れる。ところが道はこの涸谷のところでなくなっている。どうしたことか。やむなく、涸谷を高巻くつもりで、直登することにした。しかし、この涸谷はとても長く(高く)簡単には高巻きもできない。相当な高巻きを覚悟した。これが手強いし、失敗の元であった。全く道のない雑木林で、しかも傾斜がとてもきつい。喘登につぐ喘登で、時間もかかる。そのうち、高巻きを諦めて、めんどくさいので、尾根まで登ってやれという気になった。結局、尾根に着いたのが11時20分である。ゆうに1時間以上を要している。しかし、どうもおかしい、目指す山は松谷を隔てた向こうの山ではないのか。松谷の源流よりも左岸よりの山なのであるから、右岸を尾根へ直登すれば、反対の尾根につくことは明らかではないか。なぜ、もっと早く気がつかなかったのか。尾根を目指して喘登していたときは、とにかく尾根へ登るしかないと、それしか、頭になかったが、冷静に考えてみれば至極当然のことなのだ。しかし、いまから谷まで降りて登り返す体力はない。あとは、尾根を進むしかないと、尾根伝いにサンノ−の高(松谷山)を目指すも歩けど歩けど、向こう側の山はいっこうに近づかないし到着もしない。たいへんな遠回りではあるが、理論的にはたどり着けるはずである。しかし、目標ははるかに遠い。やがて、背丈ほどの笹が出てきたので、もしやと思い、胸を躍らせ笹をかき分け、苦労してピ−クに達しても三角点はない。これも外れである。時刻はすでに13時であった。しかたなく、今日の登頂を諦めて引き返す。最初に辿り着いた尾根へは13時30分に到着し、そこから直下へ下り、涸谷のところに14時00分に着いた。そこで、再度、道を探すと、なんと涸谷を渡って対岸に踏み跡があるではないか。なんということか、最初にもっと探しておれば、よかったと、また、浅はかな考えで、尾根へ直登したことを後悔した。しかし、この時刻ではなんともならぬ。またの挑戦を心に秘めて下山するしかなかった。14時10分、この涸谷をあとにする。松谷の左岸へ渡り、来た道を戻って車には、15時00分に到着。そのまま帰宅して、16時である。昨日といい、今日といい、全く2日連続で登頂を果たせなかったとは、まことに残念である。まあ、こんな日もあるさ。あせる必要はない。またの機会に楽しみを持ち越しただけのことである。
平成8年11月3日(日)快晴
さて、快晴に恵まれて、今日こそはと、いさんで家をでる。時刻は9時である。例によって板取村松谷の登山口には10時に着く。早速登り始めるが、1度は来た道であるから、松谷の本流を左岸から右岸へ渡る所までは、順調に歩が進む。滝を見ながら右岸を登り、前回、道を見失った涸谷に到着する。危険ではあるが、ここを通過すれば危険なところはないと思い、慎重に慎重に歩と手を進める。それにしても、スリルのある場所である。そこらのジェットコースターの比ではない。とにかく安全装置はなにもないのだ。もし足を踏み外したら崖を真っ逆様、そして待つのは”死”のみという状況なのである。長年、山へ登っているが、こんなところは始めてなのである。せめてザイルをもってくれば良かったと後悔したが、なんともならない。時間をかけてなんとか通過し、「釜ケ峠」と思われるところへ到着した。しかし、あとがいけなかった。「釜ケ峠」を越えればあとは難所はないという案内書は真っ赤なうそである。それから先がさらに難所の連続なのだ。崖の上に一応木の橋はかかっているのだが、それは遠い昔のことで、今は木も腐って崩れ落ち、ただ、ここに木の橋があったであろうと思われる面影が残るのみなのである。そのわずかに残っている橋のなごりも足を乗せればいつ崩れ落ちてもおかしくない状況なのだ。高巻きもこの状況では危険すぎる。相当な高巻きを余儀なくされることになろう。時間も容赦なく過ぎていく。結局、今日もリタイヤせざるを得ない。やむなく断念し、「釜ケ峠」まで戻り、昼食にする。「釜ケ峠」から眺める「松谷山」の裾は、前回と変わらない、きれいな紅葉を魅せている。しかし、眼下の松谷は滝の連続で、人を寄せ付けないような、形相を見せている。とにかく今日のチャレンジでこの谷からの登頂は無理であると判断した。今度のアタックは美山町側からにすべきである。板取村の松谷からのアプローチは案内書から削除しないといけない。このままでは、遭難者がでてもおかしくない。さて、昼食後、再度、あの危険地帯をゆっくり時間をかけて慎重に下る。そして、谷を渡り、登山口へ戻る。満たされぬ思いで車を走らせ、帰宅は15時30分であった。
平成8年11月17日(日)晴れ
午前9時ちょうどに家を出る。今日は美山町側から登るべく、一路、美山町を目指す。午前9時40分に横山トンネルの手前に到着する。崩壊の危険があるということで、トンネルを取り壊しており、通行止めとなっている。ここに車をとめ、あとは歩くしかない。15分も歩くと、道は、左の「万所」集落方面と右の「三尾」集落方面とに分かれるので、右方向の三尾谷に入り、10分も歩くと、今は廃村となっている、かっての「野出」集落の跡地に到着する。ここでも、道は二つに分かれているが右へ行く。さらにここから、15分くらいで「三尾」集落に着き、これを通り越すと、道は極端に悪くなる。集落の跡から、さらに林道を15分も歩くと、いよいよ林道はなくなり、あとは、人が歩けるだけの細道になる。ここで時刻は10時40分であった。山道は、三尾谷の右岸を登っている。これを行くと直ぐに堰堤がある。堰堤には木の橋が架けてあるが、相当痛んでおり、危険である。それを越えると作業小屋がある。小屋をすぎて30メートルも進むと、さらに第2の堰堤がある。この下で谷をわたり、堰堤に向かって右側(三尾谷の左岸)から堰堤を越える。堰堤の上で道は二つに分かれる。右は鉄塔の巡視路で鉄塔ナンバーが「71」となっている。左も鉄塔の巡視路でこちらはナンバーが「70」となっている。ここでは左のナンバー「70」の方へ進む。すると道はまた三尾谷をわたり今度は右岸に沿って進むことになる。このあたりは道の両側は杉や檜の植林がしてある。しばらく登るとまた道は二つに分かれる。左は鉄塔の巡視路でナンバーが「70」である。右は何も表示はないが、ここでは、右(直進)へ行く。つまり、三尾谷に沿って右岸を登っていくことになる。右下に三尾谷のせせらぎの音を聞きながら登る。途中に三尾谷へ流れ込むいくつかの支流を越える。この支流を越えるところが危険であるので、注意してほしい。また、崖となっているところには、木の橋が架かっているが、この木が腐っており危険であるため、十分な注意が必要である。さて、第1の作業小屋から1時間ほどで、道は三尾谷へ出て、谷をわたって左岸へ行く。その渡った対岸に崩れた小屋の跡がある。また、この当たりから雑木林になると同時に、道が不明瞭になってくる。なんとか、三尾谷のせせらぎを左に見ながら三尾谷の左岸を登って行くと、やがて、谷の水がなくなり、涸谷となる。そして、道はまた、谷を渡って右岸にいっており、その渡ったところに第2の小屋がある。あとは、この小屋の手前の涸谷(三尾谷本流)を登って行くことになる。この第2の小屋で時刻は11時である。ここからが、登りも急で、道もないため労力もかかる。小屋から少し登ると涸谷は二つに分かれるが、左の谷へ行く。あとは、谷身を登りつめるのみである。谷を登るにつれて、うしろの山がせり上がってくるのが、楽しい。また、稜線の付近には雪が残っている。昨夜の雪なのか。第2の小屋から約1時間で稜線(尾根)にでる。時刻は12時であった。右の方角に小高いピークがある。たぶんあれが目指す頂上であろうと、ここから稜線を右へ行く。わずかな踏み跡をたどることになるが、背丈を越す笹があり、とても歩きづらい。笹との苦闘約30分で頂上に到着する。時刻は12時30分である。さすが、この季節だけあって寒い。周囲の見晴らしも、杉の木に遮られてよくない。熱いラーメンとコーヒーで暖をとり、12時55分、早々に帰ることにした。涸谷への下り口に13時05分に到着、さらに第2小屋へは、13時35分に着く。そして、第1小屋には14時00分ごろ到着。あとは、林道を歩いて、車の所へ着いたのは、14時50分ころであった。車に乗り込み15時30分ころに帰宅。