磯 倉(1,541m)
平成10年3月29日(日)快晴
磯倉へ登るため、朝7時に家を出る。高富町、美山町、根尾村と通過して、馬坂峠を越えて、藤橋村(旧徳山村)へ入る。馬坂峠を下りきったところの谷が、白谷である。白谷の左岸に林道があるので、この林道を上流へ向かう。この林道入り口から約5Kmで、営林署の通行止めの看板がある。「これから先、一般車通行禁止、無断で通行して、事故があっても一切関知しない。」という意味のことが書いてある。午前8時34分、ここに車を止めて歩き始める。林道はまだ雪が残っているところがあるし、落石で車の通行は不可能なところがある。谷は砂防堰堤がいくつもいくつも連続して出来ている。すごい数である。ここはそんなに砂が流れてくるのであろうか。林道の先の方の上方には、雪を被った山が見える。正面が能郷白山、その左が磯倉であろうか。雪の多さや、谷の堰堤の多さに驚きつつ林道を登っていくと、やがてヨモギ谷が左から流れ込んでいる。ここを過ぎるとしばらくで、林道が二俣に分かれている。時刻は9時20分である。右は工事用の道路で「ヨモギ谷砂防工事現場」という標識がある。ここで、左の林道を進む。すぐに谷が二俣に分かれているところがあり、そこから目指す磯倉のピークが見える。白谷本流の奥には能郷白山が見える。いずれも雪で真っ白である。さて、二俣を過ぎてからは林道はますますいい加減な道になってくる。また、林道も一面の雪である。また、堰堤の連続で林道もジグザグになって高度を稼いでいる。やがて、9時58分に林道の終点に着く。そこには、「白谷本流第29号」と書いた2段式の砂防堰堤がある。この堰堤のすぐ上流で、谷は二つに分かれているので、左の谷を登っていく。谷の両側は当然ながら一面雪である。するとすぐに、たま、谷は二つに分かれているので、これも左の谷へ進入する。谷は傾斜が急になってくる。やがて、10時34分に左から二つの谷が並んで流れ込んでいる場所に到着する。ここで、その左から流れ込んでいる二つの谷の間を登って、尾根に登ることにした。登ったところから上は雪で真っ白である。ここからは、雪の上を歩くこととなる。しかし、そのまま直登するのも、急すぎるので、右方向の尾根の鞍部を目指すこととした。雪の下になってわからないが、支流の谷もそちらから流れ込んでいるものと思われる。あとは、尾根を目指してとにかく雪上を登るのみ。一歩一歩登るたび、背後の山がせり上がってくる。そして、11時13分やっとの思いで、尾根の鞍部に到着した。左の三角にとがっていつ頂が磯倉であろう。尾根には、すぐ前に歩いたと思われる真新しい足跡があり、磯倉の方から下りて来ている。ほんの少し前に通過したものである。もう少し早く尾根に到着していれば、磯倉の様子を聞くことができたのにと残念である。まあ、気を取り直して、その足跡をたどって磯倉へ向かう。雪の急斜面を喘登、また喘登でやっと頂上へ到着、時刻は11時30分であった。狭い頂上なのに、三角点も見あたらない。雪の下なのか。しかし、雪は頂上は解けているのである。案内書にも、三角点はないと書いてあるし。他には磯倉と思われる山は見あたらない。すぐ北にあるのは能郷白山であろう。それが、能郷白山であるなら、これが、磯倉としか考えようがない。それを確かめるには、能郷白山へ登ってみるしかない。そう思って、能郷白山へ登ることにした。1時間もあればたどり着けるであろう。11時47分、磯倉の下山を開始する。雪の上を滑り下りて、登って来たときたどり着いた尾根の鞍部へ11時54分に到着した。先人の足跡をたどって、これから登りの開始である。能郷白山の南西の肩を越えて、12時38分に能郷白山へ着いた。白山神社があり、その雪原の先に能郷白山頂上の標柱が見える。白山頂上には数人の足跡がある。こんな雪の中でも、結構登って来ているものである。それはともかく、これで、先ほどの頂上が磯倉であることが証明できた訳である。天気は快晴であるが、遠くはかすんで見えない。春霞というのであろうか。ここで、昼食をとり、記念写真を撮って、帰ろうとするころ、もう1人の登山者が能郷方面から、登って来たところであった。1時10分に能郷白山の下山を開始した。1時18分に南西の肩を通過して、1時32分に一番低い鞍部、登りの時最初にたどり着いた尾根の鞍部に着いた。ここから、あとは、谷を目指して一目散に滑り下りた。谷へは1時42分に下り立った。谷を下って、1時57分には、2段式の白谷本流第29号堰堤へ到着した。あとは、「ふきのとう」をとりながら、林道を歩いて、2時32分にヨモギ谷堰堤工事現場との林道の分岐点へ着く。2時40分にヨモギ谷の流入地点、3時14分に車の駐車位置へたどり着いた。あとは、車をとばして4時30分に家に到着。今日は思いもよらず、磯倉と能郷白山と2つの山へ登ったことになった。