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富士山(3776m)

平成22年7月31日(土)晴
 
山梨県・静岡県
 
グループ

富 士 山(3,776m)

平成22年7月31日(土)晴れ

 

富士山へ登りたいという要望を受け、いったん計画していた7月初旬が雨で延期となり、本日の決行となった。8月1日は昼に用事があるため、それまでに帰宅しなければならない。それで、前日の金曜日の夜に出発することにした。午後8時に出発し、東海北陸自動車道〜東海環状道〜東名高速に乗って、冨士ICで降りる。西冨士道路を進み、小泉ICで降りる。あとは、道路案内標識に従って、冨士スカイラインへ入り、新5合目を目指す。ところが、1時06分、新5合目まで5.4km地点で止められた。新5合目の駐車場が満杯なので、ここに路駐して!!ということだ。4人乗ってはいるが、1人は山頂まで登らないからと、新5合目まで送ってもらうことにした。

そして、新5合目を2時17分に出発した。1人は車を運転して下山し、再度、夕方迎えに来ることとなった。さて、登山組みは順調に登り、2時34分に新6合目に着いた。ここまでは坂も緩やかで、ラクチンであった。ここで、5分ほど休憩し、2時39分に出発した。ここからは坂も急になり、登山道らしくなった。途中で3時07分から3時13分まで休憩し、3時29分に新7合目に出た。ここを3時35分に出発し、途中、4時01分から4時08分まで休憩し、4時25分に元祖7合目についた。このあたりではまだまだ元気であった。ここを4時47分に出発した。明るくなってきたので、ヘッドランプを外した。途中で5時04分から5時15分まで休憩し、5時33分に8合目に着いた。1人が気持ちが悪いといいだした。どうも高山病らしい。5時42分に出発、ペースを落とし、途中、6時04分から6時12分まで休んで、6時26分に9合目についた。6時48分に出発、6時54分から6時56分まで休憩し、7時16分に9合5勺に着く。1人はお鉢めぐりをあきらめて、ゆっくり登るからというので、2人はお鉢めぐりをするため、7時59分にここを出て、8時30分に頂上冨士館に着いた。しばらく休み、8時40分に出発して、まずは、剣が峰を目指す。8時49分に剣が峰に着いたが、「日本最高峰剣が峰」という石柱の前で、写真を撮るために列が出来ていた。順番を待って写真を撮り、その後展望台へもあがってみた。実質的に日本の最高地点だ。素晴らしい展望だ。

さて、9時25分にこのドームを出発し、時計回りにお鉢めぐりをした。9時52分に冨士吉田からの登山道の頂上に出た。ここで、ビールを飲んで休憩し、10時10分に出発した。途中で10時16分から10時18分まで休憩し、10時36分に頂上冨士館まで戻ってきた。そしたら、後発の1人が冨士館にいたので、休憩した後、後発の1人と再び、剣が峰へ登った。3人とも剣が峰まで登ることが出来て、満足した。

12時23分にいよいよ山頂を後にして、下山することにした。下山もすごい数の登山者である。登る人下る人入り乱れて、大変な込みようである。12時50分に9合5勺までくだり、12時57分に出発、13時14分から13時18分に9合目を通過、13時40分に8合目を通過、14時06分に元祖7合目に下った。14時13分にここを出て、14字36分に新7合目に降り立った。14時46分にここを出て、15時13分に新6合目に着き、15字17分にここを出て、15時30分に新5合目に下ってきた。無事に下山できてほっとした。

早速、富士スカイラインを下りにかかったが、下りもすごい渋滞で時間がかかった。18時00分に「花の湯」に着き、ここで汗を流した。その後、付近で食事を済ませて、ビールを買い込んで冨士ICから高速にあがった。

途中、休憩を重ねて、結局、帰宅したのは、翌日8月1日の午前4時00分であった。

         富 士 山(3,776m)
 
                       平成10年7月18日(土)
 
 日本一の富士山に1度は登ろうと、登山計画を立てた。幸子と里美と3人である。午後2時30分に家を出発し、国道22号線で一宮市へ行く。3時30分ころ一宮ICから名神高速道路へあがる。浜名湖SAを4時30頃、静岡ICを5時30分頃通過し、6時30頃に富士ICで高速道路を下り、西富士道路を経て、富士宮へ出てそこから右折して、富士スカイラインへ向かう。左折してゲートをくぐり、無料になった富士スカイラインで、新5合目へ午後7時30分頃着いた。車があふれ駐車場所がない。なんとか帰る車を見つけ、駐車する。登山準備をして、午後8時30分に新5合目を出発した。快調に登り、午後8時55分には新6合目へ到着した。ここではまだまだ元気である。午後9時20分に新7合目に到着したが、幸子も里美もなかなか登って来ない。9時30分ころに里美、9時50分に幸子が到着。しかし、里美が靴ずれをおこし、幸子も疲れがひどいので、結局、ここから引き返すことになった。自分一人になって、さらに頂上を目指す。午後10時30分に元祖7合目に到着した。午後11時16分に鳥居をくぐり、午後11時49分に標高3250mの8合目へ着いた。疲れがひどくて、ここからは極端にペースが落ちた。午前0時47分に9合目に着いた。空気が薄く、高山病にかかったのか、呼吸が苦しいし、吐き気がする。早速、携帯酸素ボンベの酸素を吸入する。しかし、症状は治らない。午前1時45分にやっと9合5勺に到着。さらに、登って午前1時55分に鳥居をくぐる。頂上は近いのかと思いながらも、疲れも相当ひどく、少し歩いただけで、苦しくなる。すこし登って休んで、また、少し登って休むというのを繰り返して、午前3時20分に疲労困憊で頂上へ着く。気力だけで登ったという感じである。頂上の山室の周辺には、登山者があふれている。休憩の場所もなかなか見つからない。そうこうしているうちに東の空が明るくなり、日の出が近いことを知らされる。午前4時40分ご来光を見てから、あまりのよい天気のため、富士山噴火口跡の内輪コースを回ることにする。まず、午前5時20分に測候所のドームのある剣が峰に着く。ここが富士山の最高峰つまり頂上である。そして、午前5時50分に富士吉田口からの頂上へ着く。午前6時46分にNTTのアンテナの所に到着した。6時51分に御殿場からの頂上に着いた。午前7時05分に1周して富士宮口の頂上へ着いた。午前7時34分に下山を開始した。午前8時00分に9合5勺を通過、午前8時12分に9合目を通過、午前8時28分に8合目を通過、この当たりから、いままで快晴だったのに、霧雨が降り出した。午前8時53分に元祖7合目を過ぎるあたりから、雨が本格化してきた。午前9時07分に新7合目を通過、午前9時25分に新」6合目を通過し、9時55分にとうとう新5合目へ戻った。雨のため前身びしょぬれである。車で早速着替えをして、10時30分ころ岐阜へ向けて出発した。帰りは高速に乗らず、一般道を通る。途中で食事をして、午後7時30分ころにようやく自宅に戻った。
 
 
                平成11年7月10日(土)〜11日(日)
 
 ちょうど1年ぶりである。昨年は一緒に来た幸子、里美が7合目までしか登れなかったので、今度は頂上まで登るべく、再度の挑戦となった。10日土曜日の早朝、6時30分に家を出る。東名高速の一宮インターへ7時20分に入る。8時30分に浜名湖サービスエリアへ着き休憩後、10時00分には富士インターを出る。途中、コンビニで食料を仕入れて、11時30分に登山口である表富士新5合目(標高2,400m)に着いた。食事や準備をして12時23分に登山を開始する。天気は快晴、絶好の山日和である。快調に登り、12時40分には新6合目(標高2,500m)に到着、このころはまだまだ3人とも元気である。13時00分には6合目に着いた。この小屋は閉鎖されたままである。幸子と里美を待つ。二人は13時08分に到着した。休憩後、13時12分に出発した。13時39分に新7合目(2,780m)に着いた。しかし、後の2人が遅れて、結局ここを出発したのは、14時11分であった。14時40分に元祖7合目(3,010m)に到着、しかし、ここでも後続の2人が1時間以上遅れ、この元祖7合目を出発したのは、16時20分であった。幸子は足がだるくて動かず、里美は気持ちが悪いと言っていた。高山病かも知れない。ここからは、3人が一緒に8合目を目指すが、ペースは極端に落ちた。やむを得ないことである。酸素ボンベを吸いつつ、また、少し登っては休みつつ、疲労困憊でやっとの思いで、8合目(3,250m)へ18時00分に着いた。もう今日はここから先は登れまいと判断し、ここで宿泊することにした。1人1泊6,000円(食事なし)で、満員の煎餅布団に潜り込む。1人の幅はまくら1個分で、敷布団、掛布団とも1人1枚はなし。寝返りも打てない窮屈な状況でとりあえず横になった。20時00分に消灯したが、寝付かれない。あすのご来光を見ようと、平成11年7月11日(日)深夜0時30分に起き、準備をして0時50分に8合目を出発した。星がきれいである。晴れているようだ。しかし、途中から曇って星が見えなくなり、霧雨が降り出した。1時57分に9合目へ着いた。8合目からは防寒のための上半身だけのレインウエアーであったが、ここから下半身にもレインウエアーを着ける。布団で横になったとはいえ、十分な睡眠も休憩もとれず、体力の回復はないのであろう。標準時間の2倍はかかっている。ここからさらにペースがダウンし、10mも登っては、休憩するのを繰り返し、9合5勺に着いたのは2時53分であった。ここから、最後の胸突き八丁である。もう息も切れ切れに、なんとか4時07分に明るくなりかけた頂上へ着いた。小屋も空いておらず、小屋の軒先は人であふれ、雨風をしのぐ場所もない。雨のためもちろんご来光は望めない。なんとか岩屋の陰で休み、小屋が開いたところで、人でごっちゃがえす小屋へ入り、リュックサックを下ろし、レインウエアーを脱いで休憩した。雨は止まないので、おはち巡りはあきらめて、5時38分に剣が峰を目指す。6時00分に剣が峰に到着。やっと日本最高峰へ着いたのだ。霧のため見晴らしは悪いが、感慨無量である。さて、とりあえず、頂上の小屋まで戻り、コーヒーを作って飲んだ。いよいよ富士山頂上に別れを告げ、6時24分に下山を開始、6時45分には9合5勺へ、7時09分には9合目へ、7時38分には8合目へ、8時03分には元祖7合目へ着いた。この当たりから、雨は止み晴れ間が出てきた。8時28分に新7合目、8時55分に6合目(小屋は閉鎖されている)へ到着した。また、雨が降り出してきた。9時11分には新6合目、9時24分に新5合目(登山口)へ戻った。雨は降ったり止んだりとなった。食事をしたり、土産を買ったりして、10時30分ころ車で出発、11時40分ころ東名高速の富士インターにあがる。途中、眠気のため、数回休憩し、14時40分に一宮インターを下りた。途中で買い物をして、16時30分ころ帰宅した。疲れた。