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火 打 山(2,461.8m)・妙 高 山(2,454m)
茶 臼 山(2,171m)
平成23年7月8日(金)~10日(日)
今まで行こう行こうと計画しながらなかなか行けなかった、念願の火打山・妙高山へ挑戦したのであった、なぜかというと、1日で2山を日帰りしようという強硬な計画であったため、なかなか決断ができなかったのであった。しかし、飯豊山の日帰りの計画もあり、その練習台にもってこいだと思って、計画したのであった。2時から18時で16時間歩き通しの計画であった。
さて、7月8日金曜日、仕事を終えて早々に帰宅しようとしたが、野暮用が入り、結局
帰宅したのは7時30分であった。それで、シャワーだけを浴びて、食事をすませ、急きょ準備を済ませ、8時30分に出発した。いつものパターンで、給油を済ませて、8時50分に関ICから高速に上がり、中央高速で恵那峡SAで21時40分から21時47分まで休憩し、22時27分に駒ケ岳SAを通過、岡谷JCTから長野道へ入り、23時15分から23時30分まで梓川SAで休憩した。そして日付けが変わって、0時20分に小布施PA(ハイウエーオアシス)を通過し、0時37分に黒姫野尻湖PAに着いたので、ここで仮眠した。しかし、ここで、大失態、1時間の仮眠の筈が、飽きたら3時00分であった。これはいかん!!と急いで準備をして3時15分に車をスタートさせた。そして、3時17分に信濃町ICで下りて、登山口となる「笹ヶ峰」へと向かった。前回は笹ヶ峰登山口まで来ながら雨のため引き返した思い出の笹ヶ峰登山口へ着いたのは、3時50分であった。すでに無料駐車場には半分くらい車が埋まっていた。他の登山者も準備をしていた。
早速準備をして、3時57分に出発した。計画より2時間遅れである。ということは、棄却時刻が20時10分ということか?大丈夫なのか?と不安になる。しかし、途中で結核変更すればいいやと、軽く考えていた。
登山口の小屋をくぐって、入山した。すぐに橋があり、川を渡る。木道を歩いていくと、4時03分に小川を渡る。4時11分にはこの木道がなくなった。以後、木道はあったりなくなったりする。4時17分には「クリーンハウス」への遊歩道が分岐していた。さらに木道を登っていくと、4時21分に「山頂→←笹ヶ峰1/9km」という道標のある場所に着いた。燧山山頂まで9kmで、1kmきたということか。4時28分に沢を渡る(渡渉)そして、4時45分に「山頂→←笹ヶ峰2/9km」の道標を通過する。そうすると、沢の音が聞こえてきて、4時48分に「黒井沢」に出た。黒澤橋がかかっている。ここで計画より1時間40分の遅れであった。なんとかして縮めて計画通りにしないと、無事に帰還することがおぼつかなくなる。
気合いをいれて、4時53分「に十二曲がり」の急坂に挑んだ。5時17分に「十二曲がり6/12」の看板がある場所に着いた。??ということは、12曲がりの6曲がりまで来たということなのか。そうしたら、5時22分に「十二曲がり4/12」という看板に出た。これで納得して、勇気づけられ、さらに登った。すると、5時28分に「十二曲がり」の木柱のある場所に出た。これで、急坂は終わりかと思ったら、甘かった。ここからがさらに急坂なのであった。5時31分に「山頂→←笹ヶ峰3/9km」の看板をすぎると、ますます坂が急になって来る。喘ぎ、喘ぎ、この急坂を登り切ると、坂がなだらかになってきた。すると、なんと残雪が!!。まだ雪があるのか。このときはまだまだ安易に考えていたが、この先、アイゼンが必要な場所が出現したのであった。木道があったりなかったりの登山道を登り、「山頂→←笹ヶ峰4/9km」の看板を過ぎて、6時22分にもまた、残雪の場所を通り、6時24分にやっと「富士見平」に出たのであった。ここでも1時間30分おくれであった。なかなか時間が縮まらない。ここは「黒沢池」と「高谷池」との分岐点である。今日は火打山へ先に登るので、「高谷池」方面の左へと歩を進める。6時40分に火打山の展望ポイントに出た。残雪の火打山と高谷池が絶景である。ここから右山でトラバースしていく感じで、6時47分に「山頂→←5/9km」地点を過ぎ、火打山を眺めながら進んで、7時00分に沢を渡り、7時05分に「アルプス展望台」の看板を過ぎると、すぐに「高谷池ヒュッテ」が現れた。7時06分であった。予定より1時間15分の遅れである。朝から何も食べてなかったので、小屋の前のベンチで朝食とした。
さて、おなかも膨れたので、7時18分に出発した。7時21分に妙高山方面への分岐に着いた。7時22分に「山頂→←6/9km」の看板を通過する。7時32分にピークを越えて、少し下ると、7時36分に「天狗の庭(標高2,110m)」に出た。地塘に移る火打山が実にきれいであった。この天狗の庭の地塘群を過ぎ、7時48分に「山頂7/9km」の看板を過ぎて、坂を登ると、7時52分に尾根に飛び出した。反対側は切れ立った崖で残雪が多かった。8時20分にコブを乗り越して、少し下ると、8時23分に「山頂→←笹ヶ峰8/9km」の看板を通過した。ここから急な木の階段を登り、雪渓も通過して、8時51分にやっと「火打山山頂(2,461.8m)」に出たのであった。ここでは予定より1時間20分の遅れとなった。火打山への急登がさらに遅れの原因となってしまった。天気はよいのであるが、ガスがかかって周囲の山々はあまり見えなかった。
ここでおにぎりをほおばってから、1時間6分遅れで、下山にかかった。9時19分に「山頂→←8/9km」地点を通過し、9時22分にコブを乗り越して、9時36分には尾根から下って、9時38分に「山頂→←笹ヶ峰7/9km」地点を通過した。そして、9時44分に「天狗の庭」を通り、9時49分にピークを乗り越して、9時56分に「山頂→←笹ヶ峰6/9km」地点を過ぎると、9時57分に「妙高山方面」への分岐に出た。ここで、予定より50分の遅れであったが、迷わず左へ折れ、妙高山を目指した。
茶臼山への急な登りが続く。そして、10時07分に尾根に出た。ここから尾根上を歩いて10時21分に「茶臼山(2,171m)」に着いた。ここからは、黒沢池に向かって下っていく。10時41分に「黒沢池ヒュッテ」に出た。ここでは予定より約30分の遅れであった。よしよし詰まってきたぞと思った。水分は5リットル持っていたが、ここで、3リットルを消費し、残りが2リットルになっていた。それで、水分が底をついたらたいへんだと、ヒュッテで、500ミリリットルのペットボトルを2本購入した。しめて800円である。
さて、水分も補給し、10時47分にここから大倉乗越しに向かうが、これがまた急坂であった。ゼイゼイと息を切らして、11時14分に大倉乗越しに出た。ここからはロープ場の急な下りである。それが過ぎると雪渓のトラバースがあり、緊張した。11時49分に「燕温泉方面」への分岐点がある。水場のマークもあるが、とても飲む気になれない。小屋で補給しておいてよかった。
しかし、ここからは、雪渓の急な登りであった。アイゼンを持参しなかったことを悔やんだ。ここで撤退するか悩む所であったが、その時、燕温泉方面から登ってきた登山者がアイゼンもないのに何のためらいもなく、雪渓に挑んでいくのを見て、迷いは吹っ切れて跡に続いた。雪渓はしばらくでなくなり、地道になったが、この坂が半端じゃない。10分登って5分休むというような状況で、先行者はあっという間に見えなくなってしまった。以後、12時05分から12時10分、12時22分から12時27分、12時31分から12時37分、12時43分から12時48分、13時04分から13時07分、小刻みに休みながら、喘登を重ね、13時33分に岩屋に着いた。その岩屋の背後が山頂らしく、13時34分に「妙高山山頂(2,454m)」に出たのであった。ここで予定より50分遅れとなってしまっていた。いそいで下山しないと明るいうちに登山口に着けるか心配になってきた。山頂に残る2人パーティに写真を写してもらい早々に下山した。
13時44分、予定より44分遅れでに下山した。14時29分に「黒沢大倉分岐1.5km」「妙高山1km」「長助池0.7km」の道標がある。燕温泉方面との分岐に着いた。ここで10人ほどのパーティが休憩しており、彼らは「黒沢大倉分岐」の方面へ登って行った。14時31分に私もその後に続く形となった。
緊張する雪渓を渡り終えたところで、パーティが先を譲ってくれたので、先行して大倉乗越しを目指した。ところが、大倉乗越しの少し手前で雷雨があった。15時27分であったが、それが土砂降りで、すぐに合羽を着こんだ。40分の標準時間なのに約1時間もかかっている。しかし、もうここまで来たら考えることもなく、ただひたすら下るのみであった。雷雨は相当激しく、沢のようになった登山道を黒沢ヒュッテを目指して下って行った。15時52分に黒沢ヒュッテに着いた。ここで、予定より52分遅れとなっており、雷雨が激しかったので休むことなくそのまま通過して、富士見平へと向かった。すると、16時04分には雨が上がった。雷は相変わらずゴロゴロと鳴っていたが、雨は上がったので16時17分から16時27分にかけて合羽を脱いだ。ちょうど黒沢池を過ぎたあたりであった。
富士見平へ着いたのは、16時49分であった。予定より45分の遅れである。休憩はなしでそのままま下り道へ入る。「山頂→←笹ヶ峰4/9km」の看板を16時56分に通過した。「山頂→←笹ヶ峰3/9km」の看板は17時28分に通過、「十二曲がり」の木柱は17時30分に通過、以後、17時33分に「十二曲がり4/12」の看板を、17時36分に「十二曲がり6/12」の看板を通過して、17時52分に黒沢橋に下り立った。ここで、予定より40分の遅れである。ここまでくれば、ペッドランプでも十分に下れるであろうと、安心した。それにして、黒沢橋に出る手前で1組の男女を追い越したが、彼らは大丈夫であろうか。
後は、木道を歩いて、17時56分に「山頂→←笹ヶ峰2/9km」の看板を通過し、18時11分に沢を渡って、18時17分に「山頂→←笹ヶ峰1/9km」の看板を通過し、18時19分に沢を渡る。18時22分に「クリーンハウス」への遊歩道を分けて、6時31分に沢を渡って、18時36分に登山口へたどり着いたのであった。結局予定より26分の遅れであった。
まあ、明るいうちに帰着できたからよかったものの、無謀であることにかわりはない。4時から19時までほぼ15時間休まず歩き続けたことになる。最後の方は足がくたびれてくたくたよろよろであった。無事に下山できたのが運がよかったとしか思えない。こんな調子で飯豊山の日帰りができるのかと不安がよぎったのであった。
早速着替えて、車をスタートさせ、コンビニでビールとつまみを仕入れて、信濃町ICから高速に乗って、「小布施PA」でビールを飲み車中泊した。
4時に起床してそのまま高速を走り、5時00分から5時28分まで梓川SAで休憩し、5時58分から6時02分まで辰野PAで、6時14分から6時24分まで小黒川PAで、それぞれ休憩し、8時04分に関ICから高速を流出して、戦車と給油を済ませて、8時30分に帰宅したのであった。総走行キロ680.9km、使用ガソリン39リットルであった。