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飯 豊 山(2105.1m)
平成23年7月17日(日)快晴
福島県喜多方市
念願の飯豊山へ行ってきました。アプローチも遠いし、登山口から飯豊本山までの行程の長さに躊躇していたが、意を決して決行したのであった。加齢とともに衰える一方の体力、精神力だけでは登頂は困難、行けるうちに行かないといけなくなってしまう。そんな焦りからあえて強硬手段をとったのであった。
前置きはさておき、平日休みが取れない貧乏サラリーマンは、この3連休を使うしかない。3連休のうち、1日目は移動日、2日目に登山して、3日目は移動日と休養日という設定だ。2日目(中日)には、何としても頂上を極め、無事に下山せねばならない。万が一下山出来なければ、三国小屋、切合小屋、飯豊本山小屋のいずれかで宿泊しなければならない。計画より遅れたら、宿泊を考えようと決めて出発したのであった。そして、片道13.9kmの日帰りということで、荷物を出来るだけ軽くしようとしたが、炎天下であることもあり、水を6g用意し、さらに自炊道具も欠かせず、結局いつもと同じ重量になってしまった。後になってみると、水は3g余分であった。3g用意すれば、途中で補給出来るからである。
そんな訳で、出発は16日、土曜日の10時15分であった。今日は移動日だからとゆっくり目の出発であったが、これが災いして白鳥高鷲間で7kmの渋滞となった。給油と洗車をして10時50分にGSを発ち、10時53分に関ICから東海北陸自動車道に乗った。白鳥ICまでは順調に走ったが、白鳥ICから渋滞にはまった。ひたすら我慢で渋滞を抜け、12時24分に河合PAに着いた。トイレ休憩をして12時30分に出発。小矢部砺波JCTで北陸自動車道に乗り変え、13時51分に有磯海SAにつき、ここでトイレ休憩と給油をして、14時10分に出発した。そして、名立谷浜SAでも15時01分から15時24分まで休憩した。15時50分に米山SAで給油したが、この後、中之島見付IC付近で事故による渋滞があり、黒崎PAで給油して、17時18分に新潟JCTを通過した。磐越自動車道に入り、17時40分に阿賀野川SAでトイレ休憩した。17時52分に阿賀野川SAを出発し、18時07分に西会津ICを出た。あとはひたすら御沢キャンプ場を目指した。ほとんど一本道で飯豊山の道標もあり、迷わずに到着できた。川入の集落で横峰小屋跡までの登りが1時間短縮できるという、「大規模林道」へ行こうとしたが、チェーンで通行止めとなっており、やむなく御沢キャンプ場へ入った。宿に宿泊すると短縮登山口まで宿の車で送ってくれるようだ。実際私が御沢キャンプ場へ向かう時も、下山口となる御沢キャンプ場へ車を回送する現場に出くわした。お客さんの車と宿の車と2台で御沢キャンプ場へ行き、お客さんの車を御沢キャンプ場にデポして宿の車で戻るというものだ。明日は短縮登山口まで宿の車で送ってもらい、御沢キャンプ場へ下山すれば、自分の車でそのまま帰れるということだ。大規模林道はチェーンがかかっているが、地元の人はチェーンの鍵を持っているのであろう。
さて、それはともかく私は、19時20分に御沢キャンプ場に着いたので、登山口とトイレ、管理棟を確認し、早々に就寝した。
そして、翌日17日、日曜日、1時に目覚めたが、やけに外が明るかった。満月で懐中電灯もいらないような明るさであった。でも、まだ早すぎると、また寝込んだら次に起きたのが3時であった。予定は4時出発であったが、早ければ早いほどよかろうと、早速起床して準備に取り掛かった。周囲にも登山者は多数いたが、まだまだ、出発する気配はない。そんな中、私は準備を完了して、3時25分に出発したのであった。
まずは、林道を歩いて行くと、やがて、橋を渡り、飯豊山の登山口になる。3時32分にこの登山口から入山した。月明かりがあるとはいえ、ヘッドライト(懐中電灯)を点けての登りである。時間がかかる。それでも時間を前倒しできるのはよかろう。4時12分に「下15里」の広場に着いた。さらに急登は続き、4時33分に「中15里」の広場に着いた。ここの道標には「下15里0.5、上15里0.5」と書いてある。また、ここには「水場」の案内板があったが、まだまだ水を補給するまでもない。ここで、ヘッドライトを外した。さらに急登は続き、5時01分に「上15里」の広場に着いた。ここの道標は、「中15里0.5、笹平0.6」となっている。5時04分に出発したが、まだまだ急登である。我慢できなくて、途中、5時23分から5時26分まで休憩して、5時35分にやっとの思いで笹平に到着した。ここには「横峰0.5、上15里0.6」の道標がある。ここからは、坂は緩やかになり、歩きやすい。そして、5時51分に横峰に着いた。かつての横峰小屋跡らしく、平坦地になっている。「笹平0.6、地蔵小屋跡0.5」の道標もある。また、ここに小屋があったという、その小屋の残骸も見受けられる。ここから先すぐの5時54分に分岐があった。これがうわさに聞く、1時間短縮ルートの合流点である。私はここまで2時間半かかっているが、短縮ルートだと標準2時間でここまでくるということだ。
さて、この先なだらかな道が続き、6時04分に地蔵水場道の標識に出た。右は「地蔵小屋跡0.3」、左は、「水場を経て剣が峰0.1」となっている。ここで、1時間短縮ルートを上がってきた夫婦連れと出合った。私より先には人はいないはずと思っていたが、案の定民宿に宿泊したので短縮ルートを上がってきたという。この夫婦は本山小屋で宿泊したようだが、最後までこの夫婦を追い抜くことができなかった。6時07分にこの分岐を出発した。右山でトラバースして、6時16分に水場に着いた。岩清水の冷たくておいしい水であった。ここまでに2リットルの水を消費していたので新しく補給した。冷たい水を補給して、その夫婦連れを追う。6時35分に地蔵山からの道に合流した。「剣が峰0・5、横峰1.1」となっている。ここは迷わず、左の剣が峰へと向かう。いったん下って、鞍部から登り返すこととなる。剣が峰は険しい岩場の尾根である。梯子も鎖もある。若いころはへっちゃらだったが、年をとると平衡感覚が鈍るのか、どうもおぼつかない。苦労して通過すると7時14分に「剣が峰」に出たのであった。「三国岳0.2、血の池1.3」という道標があるが、血の池ってなんだ?訳がわからん。ここまでにさらに500MLの水を消費した。例の夫婦連れははるか先を登っているので、跡を追うべく7時18分に出発したが、さらに岩場の登りは続くのであった。青色吐息で、7時36分にやっと三国小屋に着いた。小屋の前には「地蔵小屋跡1.6、弥平四郎9.1、切合3.0」という道標があった。先着していた夫婦連れは先に出発したが、私は休憩してから、7時43分に出発した。この先は、稜線歩きと思っていたが、アップダウンが激しい。いままでの疲れが出てきたのか、はたまた先週の疲れが残っているのか、それとも加齢による衰えなのか、とにかく足が上がらない。8時18分から8時23分、8時35分から8時40分、9時09分から9時14分と、休みながら、やっとの思いで、9時17分に「種蒔」に出たのであった。目の前に「切合小屋」が見え、元気が出た。雪渓を通過し、9時32分に「種蒔山分かれ」を通過して、9時37分に「切合小屋」に出たのであった。やっとここまできたのであるが、距離にして半分ちょっとのところなのである。ここまでにさらに水1.5リットルを消費したので、補給した。さてこれから飯豊山の登りにかかるが、いったん草履塚まで登って、姥権現まで下ってから、さらに登り返しがある。
いざ、9時55分に切合小屋を出発。2カ所の雪渓を通過し、10時35分に草履塚に出た。ここには「飯豊山神社2.1、切合1.0」という道標がある。ここから目指す飯豊山が見えるが、眼下にある姥権現まで下って、登り返さないといけない。まずは下って10時48分に「姥権現」に着く。ここには、「草履塚0.1、御秘所0.5」という道標がある。ここから登りに転じて、10時55分に「御秘所(標高1,840m)」を通過し、11時15分に「御前坂」を通過した。しかし、ここからの急登がきつかった。11時20分から11時25分、11時40分から11時45分、と休憩を繰り返し、11時51分に水場への分岐に着いた。「御秘所0.9、水場0.1、飯豊山神社0.3」の道標がある。そして、12時00分にようやく飯豊山本山小屋、飯豊山神社に着いたのであった。ここでちょうど例の夫婦連れが飯豊山へ登って帰ってきたところあった。往復40分の差がついてしまった。情けない。
12時01分に飯豊山本山小屋を出発し、飯豊山山頂を目指し、12時15分に飯豊山山頂(2105.1m)に着いた。ここまでにさらに1リットルの水を消費した。山頂にいた登山者は1人、お互いに写真を撮り合って下山した。彼は反対方向へ下山していった。12時24分に下山した。12時37分に本山小屋に出た。そのまま下山し、12時43分に水場の分岐を通過し、13時00分に「御前坂」を、13時16分に「御秘所」を、13時20分に「姥権現」を、13時48分に「草履塚」をそれぞれ通過し、14時16分に切合小屋に着いた。予定より6分遅れである。ここまでにさらに500ミリリットルの水を消費したので、補給して、休憩した後14時21分に予定より4分遅れで下山した。「種蒔山分かれ」を14時27分に通過し、14時45分に種蒔に出た。ここで14時54分まで休憩して、下山した。しかし、疲労で足が出なかった。15時15分から15時20分まで休憩し、往きには気づかなかった、「七森(三国岳1.0、切合小屋2.0)」を15時22分に通過した。予定では、すでに三国小屋についていなければならない時刻だ。そして、16時02分に三国小屋に着いたのであった。ここでは迷わず、「下山」を選んだ。あと3時間として19時には下山出来るだろうと考えた。小屋の前の多くの登山者を見ると、混雑が予想され、宿泊する気になれなかったのだ。
そんな訳で、16時04分に下山を開始。16時19分に剣が峰を通過、16時48分に「地蔵山」への分岐に着いて、トラバース道へ入り、16時58分に水場に出た。ここまでにさらに1.5リットルの水を消費していたので、補給した。17時05分に地蔵小屋跡の分岐に出て、17時16分に1時間短縮ルートとの合流点に出て、17時17分に横峰小屋跡に出た。ここで、予定より10分早くなった。「笹平」に17時26分、「上15里」に17時47分、「中15里」に18時03分、「下15里」に18時16分にそれぞれ着いて、18時42分に登山口に下り立った。あとは林道を歩いて16時50分に登山口に着いたのであった。最後は水500ミリリットルを消費したのであった。
やった!!飯豊山の日帰りだ。剣岳の早月尾根を日帰りしたときと同じような感動がこみ上げてきた。そして、満足感がどっとこみあげてきた。しかし、まだまだ、無事に帰宅して初めてこの感動が本物となる。
さて、往路と同じ道をたどり、西会津ICから磐越自動車道に上がって、阿賀野川SAでPキャンした。そして、明けて、18日4時00分に起床して、4時27分に出発し、休憩しながら、10時16分に関ICを下りた。洗車と給油を行って、10時40分に帰宅したのであった。
総走行距離、1,093.2km、使用燃料76.6リットル
燃料代11,102km、平均燃費14.46km/リットル