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岩手山(2038m)

平成22年7月18日(日)
 
岩手県
 
グループ

岩 手 山(2,038.2m)

 

平成22年7月18日(日)晴れ

 

今回は東北の百名山のうち4山を制覇するため、3連休を利用した。昨日、出発し12時間以上かけて、花輪SAまでやってきて、休日特別割引を利用するため、そこで仮眠して日付を越え、深夜に弘前までやってきた。ここで、まずは相棒たちを降ろす。彼らは山登りはしないため、レンタカーを使っての別行動となるのだ。明日には盛岡駅で再会することとなる。

そうして、単独になってから、岩木山へ登り、その後、八甲田山へ登った。酸ヶ湯温泉に入ってから、大鰐弘前ICから高速に上がり、花輪SAでPキャンとした。

午前4時30分にこのSAを出発し、鹿角八幡平ICで降りて、八幡平アスピーテラインへと向かった。八幡平山頂へ登ったあと、アスピーテラインを東へと下って、いったん国道282号へ出た後、岩手山神社から、駒返し登山口へ向かった。登山口へ着いたのは7時20分ころであったが、100台以上は駐車できるであろう広い駐車場はすでに満杯状態であった。奥の方でなんとかスペースを見つけて駐車した。この駐車場は舗装されていないし、駐車ライン(白線)も引いてないので、乱雑に止めると、駐車台数が少なくなってしまう。しかし、トイレもあり、まあこうした無料の駐車場があるだけでよしとすべきだろう。

さて、予定より30分遅れの7時31分に出発した。登山口から登っていくと、7時36分にキャンプ場に着いた。ここにも駐車場、休憩舎、トイレ、水場がある。この駐車場はキャンプをする人たちのための場所だろう。数台が駐車されていた。ここには、岩手山登山道の入口看板が多くあった。ここから登山道へと入っていく。7時47分に「改め所」に着いた。昔はここで登山の可否を判定したという、何のために?そんなことを考えながら登っていく。周囲はブナ林だろう。8時01分には新道と旧道が分岐している場所に出た。「0.5合目」という表示もある。「新道4.4km」、「旧道4.4km」の表示のとおり、どちらも距離は同じだが、新道の方が楽らしく、旧道の方が展望がいいという情報だったので、迷わず旧道を選んだ。8時13分に「1合目」に出た。ここで新道と旧道が合流している。「山頂4.2km」「登山口1.5km」の表示がある。8時28分に「2合目」に出た。「2合目99m」「頂上まで3,770m」という表示があった。この付近はまだまだ登山者がひしめき合っている。8時35分に「2.5合目」に着いた。ここには、「新道3.7km」「旧道3.7km」の表示があり、ここで新道と旧道が分岐している。多くの登山者が新道へ入るのを見ながら、私は旧道へ突入した。しかし、なんだか体が重い感じである。遠征で4つめの山となれば、体に疲れがたまってくるのであろうか?いや、自分の体力の衰えを認めたくないための言い訳だろう。そんなことを考えていたが辛くて我慢できず、8時46分から8時50分まで休憩してしまった。そして、再出発するとすぐの8時55分に「3合目」についた。ここで新道と旧道が合流するのかと思ったが、新道と旧道との連絡路があるのであった。各合目に連絡路があるようだ。「標高1,150m」「頂上まで3,370m」の表示がある。さらに樹林帯の中を登り、9時15分に「4合目」に着いた。ここには「新道70m」「標高1,250m」「頂上まで3,150m」の表示がある。新道70mというのは、新道への連絡路で、70mで新道へ出るという意味であると納得した。さらに登っていくと、この辺りから岩場が多くなってくる。反面、樹林がなくなり背後の展望がよくなってくる。10時13分に5合目と思われる場所に着いた。この先で登山道から外れたりしながらも先が見えるため、また、登山者も多いため、何の不安もなく登っていった。そして、10時13分に7合目に出た。ここには、「登山口新道3.6km、山頂2.1km、登山口旧道3.6km」という道標がある。ここまでくると、いままでの急登がうそのように登山道は緩やかになる。それにしても登山者が多いのには閉口する。大人数のパーティーがもたもたしながら行くので、先を急ぎたくても急げない。いらいらしながら、10時53分、8合目避難小屋に着いた。ここには「馬返し4.2km、岩手山頂上1.7km」という道標がある。ここでも多くの登山者たちがくつろいでいた。しかし、ここで先に行かないとのろのろとパーティーの跡についていかなければいけない。水だけを補給して、10時57分、さきを急いだ。緩やかな登山道を進み、11時05分に「頂上1.5km、避難小屋0.3km」の道標のある8.5合目を通過すると、11時12分に不動平の分岐に着いた。ここには「岩手山1.2km、御神坂、鬼ヶ城、8合目避難小屋0.6km、御苗代湖1.9km」の道標がある十字路である。ひだりて前方には不動平避難小屋が見えているが、ここで右折して、右手に見えている岩手山の外輪山へ向けて登りにかかる。岩石がごろごろしている草木のない岩場の登りである。我慢の急登で、11時33分に外輪山の一角に出た。ガスが出てきたが、火口跡はきれいに見えている。外輪山はぐるっと一周見渡せた。

時間が押していたが、外輪山を一周するのか、どうするかまだ迷っていたが、よにかく岩手山の山頂は踏まねばなるまいと、とりあえず、山頂に近い方からと、時計回りに行くことを決め、山頂目指して歩き出した。11時47分に「岩手山頂上0.2km、不動平1.1km、焼走、上坊コース下山口、平笠不動0.8km」という道標の場所を通過する。そして、11時52分に岩手山(薬師岳)山頂2,038mに着いたのであった。披露困憊であった。多くの登山者がくつろいでいたが、時間がないので、休むことなく、そのまま外輪山の周回にはいった。右手に火口跡を見ながら、外輪を下山していく。時折、ガスの切れ間から左手には下界が顔をのぞかせる。急坂を下ると、岩手山神社奥宮が見えてくる。それを見ながら、外輪山を周回して、12時18分に外輪山からの下山口に着いた。ここでおにぎりを食べて休憩した。12時24分にいよいよ岩手山に別れを告げ、下山にとりかかった。

そうと決めたら後は早い。とにかく時間を稼がねばならない。盛岡駅でも待ち合わせ時刻には遅れるわけにはいかない。とにかくノンストップで下山した。下山は新道を使い、13時03分に新6合目に着いた。ここには「登山口3.1km、山頂2.6km」という道標がある。先行者をどんどん追い越し、後続者には抜かされないようにとにかく急いだ。13時17分に「登山口2.7km、山頂3.0km」の道標のある新5合目を通過し、13時30分に「登山口2.4km、山頂3.3km」の道標のある新4合目を通過し、13時39分に「登山口2.2km、山頂3.5km」の道標のある新3合目を通過した。この辺りでは足に相当な疲れが来ていた。しかし、後から追いかけてくる登山者に抜かれるわけにはいかないと、我慢して下った。13時47分に新道と旧道の合流点である2.5合目に降り立った。ここの道標は「山頂3.7km、登山口2.0km」である。この辺りから下山競争はさらに激化して先を急ぐ。ほとんど駆け足であった。13時53分に2合目、13時57分に1合目(「登山1.5km、山頂4.2km」)を通過したが、もう足が限界に達し、後続者に追い抜かれることとなった。極端にスピードが落ち、14時0分に0.5合目に着いた。ここには「登山口1.3km、新道4.4km、旧道4.4km」の道標がある。ここから先が長かったこと、長かったこと、もうくたくたで14時18分に「改め所」を通過し、14時28分にキャンプ場の駐車に出て、14時31分に下の大駐車場まで戻ってきた。ものすごく疲れた山行きであった。

登山の装備を解き、パンを食べて、休憩し、15時00分に待ち合わせ場所である盛岡駅へ向かって、車を走らせた。16時00分に同行者と合流し、宿舎である鴬宿温泉へと向かい、17字00分に鴬宿温泉に着いた。

ゆっくりと温泉につかり、今回の東北遠征の制覇を祝して大宴会を催す。翌日は、8時34分に鴬宿温泉を発ち、8時58分に盛岡ICから高速に上がり、郡山JCTを13時05分に、新潟JCTを14時50分に、小矢部礪波JCTを17字38分に通過し、ひるがの高原あたりで渋滞があったが、関ICから19時55分に流出して、20字15分に帰宅したのであった。

長い、東北遠征の完結であった。無事に完結したことを喜び、また祝杯をあげたのであった。