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平家岳(1441.5m)

平成10年11月1日()
 
関市
 
グループ
                          NO.17・18
 
  平家岳(1441.5m)・美濃平家岳(1450m)
 
                    平成10年11月1日(日)曇り
 
 念願の平家岳を目指す。板取村の川浦谷林道からの登山道は、林道がダムの工事中のため通行できず、大回りして福井県側の面谷の登山道から登ることにした。午前5時に自宅を出て、国道156号線を白鳥町まで北上し、白鳥町で国道158号線に乗り換える。すぐに油坂峠であるが、この付近では、いま中部縦貫自動車道の工事が盛んに行われている。さて、峠の頂上付近にトンネルがあり、これを抜けると福井県である。福井県に入り、下っていくとやがて九頭竜湖が見えてくる。そして、左側には「くずりゅうオートキャンプ場」やレストランもある。その先に、「下半原隧道」というトンネルがあるので、それを抜けてすぐに左へ曲がって国道158号線から分かれる。するとすぐにワイヤーで吊った橋(箱ケ瀬橋)がある。これは夢の架け橋ともいわれ、瀬戸大橋のモデルになった橋である。さて、この橋を渡って右折し、九頭竜川の川下へ向かう。やがて、また大きな橋がある。これが面谷橋である。この橋を渡ってすぐに左折する。未舗装の道であり、これが面谷林道である。この林道の入り口、左折する交差点に「平家岳登山者のみなさんへ」という立て看板がある。安全のため和泉村教育委員会か、和泉派出所へ連絡せよという内容である。ここから、約6キロくらい未舗装の林道を進む。高度はそんなに上がっていないようである。途中から林道はどんどん悪くなり、とうとう崖崩れのため通行不能となった。やむなく付近の広場に駐車する。すでに先行者と思われる車が4台ほど駐車していた。午前7時に林道を歩き始める。3分ほど歩くと墓がある。「面谷の由来」というものと「南無阿弥陀仏」という碑がある。面谷村は銅の鉱山のみで成り立っていた村で、当時インフルエンザで相当数の死者がでたということが記してある。当時の寒村の様子が忍ばれる。さらに進んで、谷をコンクリートの管で越えると、林道は左へ直角に曲がっているが、直進する道があり、そこの左側の木の幹に、「平家岳登山道」という青いブリキ板がぶら下がっている。左へ曲がっている道より、直進するこの道は幅も狭くなっている。7時12分にこの案内板を確認し、直進する。しばらく歩いて、7時16分に林道の終点に着く。本来ならばここまで車で入れると思われるが、今年の台風のため、道路が決壊したのであろう。ここから登山道となるが、この登山道の入り口左側にも「平家岳登山道」の青いブリキ板が木の幹に縛りつけてある。これを確認して登山道を登る。7時17分には、電源開発の送電線の鉄塔ナンバー27とナンバー28の看板がある場所に着いた。ここから、右折して谷を渡るのであるが、鉄製の立派な橋が架けてある。橋を渡ると左右を谷に挟まれた尾根へ取り付いて登ることになる。相当急な登りが続く。やがて、7時30分に「やせ尾根」を通過する。左右が谷で切り立っている。相当くたびれたころ、「大ひのき」が見えてくる。大人が4〜5人くらいでも抱えられないような大きな幹のひのきである。ここでの時刻が7時44分であった。ここからやや傾斜が緩くなり、7時50分には鉄塔ナンバー27との分岐点に到着する。和泉村教育委員会の看板があり、右へ行くと鉄塔ナンバー27を経て、日の谷林道へ行けるが3時間30分かかるとに書いてある。電源開発のナンバー27の看板は右を指している。また、木の幹に平家岳は左という看板が掛けてある。ここで、左へ進むと道は下降している。せっかく苦労して高度を稼いだのにと思いながら下ると、7時57分に鞍部へ到着し、ここから登りとなる。急な坂をジグザグに登って行くと、いままでの雑木林から、パッと視界が開け、ナンバー28の鉄塔が見えて来る。また、右手下方には九頭竜湖が見えると思われるが、いまは霧が雲海のように広がって周囲の山の頂きしか見えない。この当たりは伐採されてしまったのであろうか、木々がなく見通しがよい。8時14分にナンバー28の鉄塔に着く。ここからナンバー29、ナンバー30(2つ並んだ鉄塔)の鉄塔がよく見える。緩やかな上りを登ってナンバー29の鉄塔に8時25分に到着、8時36分にはナンバー30(2つ並んだ鉄塔)の鉄塔に到着した。その先のナンバー31も2つ並んだ鉄塔であるが、ここへは8時43分に着いた。ここがこの尾根の最高点らしくて、見晴らしも非常によくて、右手前方には目指す平家岳が見え、眼下にはナンバー32の鉄塔が見え、さらにその先の美濃平家岳へと伸びている鉄塔の列が見える。道はここから下って、8時51分にナンバー32の鉄塔へ着いた。さらに少し下って、すぐに上りとなり、8時57分に平家岳への道と、鉄塔の巡視路との分岐点に着く。真西(右手)には平家岳が見え、左の眼下にナンバー33の鉄塔が見える。平家岳への道は尾根を確実に辿っており、鉄塔の巡視路はここから下っている。樹木の間から、右手に平家岳をかい間見ながら、平家岳への尾根を進む。9時05分に尾根のピークへ着く。コンクリートの杭が埋めてある。平坦なピーク上を右手の方へ進むと、9時07分には、またコンクリートの杭が埋めてある場所に着く。ここから右へ曲がって、右手の平家岳を目指して、一旦コルへ下って、さらに登り返すことになる。急な坂を登り返すと平坦な場所に出るが、頂上は平坦地の一番先の方らしい。腰高の笹を分けて進み、やや左へ曲がると、やがて、三角点がある頂上へ到着する。時刻は9時17分であった。ビールで乾杯し、記念撮影や早い昼食をとる。頂上は高い樹木がなく、360度の展望を楽しむことができる。1時間ほど頂上で過ごし、10時16分に下山にかかる。一旦下って登り返すと、コンクリートの杭があるピークで10時25分に到着、平坦地を進んで、10時26分にもうひとつのコンクリート杭を過ぎ、ここから下りとなる。尾根を下って、10時37分には鉄塔巡視路と平家岳への分岐点に戻る。時刻が早いので、さらに美濃平家岳を目指すことにした。右へ曲がって巡視路を下って行くと、ナンバー33の鉄塔があり、10時40分に着いた。ここから、山腹を横へ進み、コブを越え、下りになってさらに1つコブを越えて下るとナンバー34の鉄塔に着く。さらに下りは続き、10時54分に作業小屋と2つ並んだナンバー35の鉄塔のある鞍部の平地に着く。さらにすこし下って、最鞍部を通過すると、一転して登りとなり、ジグザグに登ると11時15分に2つ並んだナンバー36の鉄塔にたどり着く。すぐ上にナンバー37の鉄塔が見える。急坂を登り切るとナンバー37の鉄塔である。時刻は11時29分で、この鉄塔では数人の人たちが送電線の保守作業中である。ここから前方に美濃平家岳が見えるが、上り下りがあるようだ。上り下りの繰り返しで3つほどコブを越える。最後と思われる登りにかかると、巡視路は頂上方向へは行かず、右の方へ曲がって、左手に美濃平家岳を見て、山腹を横切ってやがて下り始める。それで、もうここからは藪を漕ぐしかないと考えて、適当な登り口を探していると、赤いテープが見えた。ちょうど巡視路がジグザグに下り始める所である。11時40分に巡視路から分かれて藪漕ぎをして急登する。笹は背丈ほどあるので、見通しは利かないが、とにかく高みを目指して登る。頂上は平坦であり、笹と雑木が生い茂り、さらに三角点はないので、どこが頂上なのかわからない。しかし、先行者が付けた赤いテープが所々にあり、頂上にも「美濃平家岳」の看板があったので助かった。時刻は11時52分であった。われわれも後続者のために「美濃平家岳」の標識を雑木にくくりつけて写真を撮り、12時00分には下山にかかる。12時05分に鉄塔の巡視路へ出た。あとは来た道を引き返すのみである。登り下りで、3つほどコブを越えて、12時19分にナンバー37の鉄塔に着く。鉄塔の保守作業はまだ続いていた。ここから下って、12時25分にはナンバー36(2つ並んでいる)の鉄塔を過ぎ、さらに下って、鞍部を通過し、すこし登るとナンバー35(2つ並んでいる)の鉄塔と作業小屋の場所に着く。ここからは登りで、喘登、喘登し、やっと12時46分にナンバー34の鉄塔を通過する。さらに登って、コブを越え、山腹を横に進んで、またコブを越えると、ナンバー33の鉄塔がある。12時58分であった。あとすこしで平家岳への道との合流点だと、元気づけて登ると、1時05分に合流点に着いた。大変な疲れようである。尾根を下ってすこし登るとナンバー32の鉄塔である。1時14分に到着。ここからつらい登りが続き、1時23分には2つ並んだナンバー31の鉄塔に着く。あとは殆ど下りのみである。1時29分にはナンバー30(2つ並んでいる)の鉄塔、1時34分にはナンバー29の鉄塔を過ぎ、さらに下ってほんの少し登ると1時40分にナンバー28の鉄塔である。ここから下ると、雑木林へ突入し、やがて鞍部を越えて、登りとなり、これを登ったところが、ナンバー27鉄塔や日の谷林道への道との合流点である。ここでの時刻は1時54分、右へ曲がって下ると、2時03分に「大ひのき」を通過し、2時11分にやせ尾根を通過、2時22分には鉄製の橋を越えて、ナンバー27とナンバー28の鉄塔の案内板のある場所に到着した。2時27分に林道終点へ出て、2時28分には林道と合流し、2時32分には墓と記念碑を通過、2時35分に車のある場所へ戻った。合計、7時間30分の歩行時間である。距離は往復で15Kmくらいであろうか。帰宅は5時であった。