北山(907.5m) |
平成14年8月31日()・平成9年6月8日() |
山県市 |
グループ |
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7北 山(908m)
平成14年8月31日(土)晴れ
この山は、過去に3回登頂に失敗し、平成9年6月15日にやっと登っているが、今回2回目の登頂を試みた。前回は東洞谷側から藪を分けて登頂したが、その後の情報により、西洞谷側から鉄塔の巡視路を利用した立派な登山道があるとのことで、その道を登ることにした。
朝も遅い9時30分ころ家を出る。国道256号で洞戸村方面へ向かい、洞戸村へ入る直前の美山町の出戸から柿野集落へ入る。そして、柿野集落内で西洞谷へ入る。その最終集落跡に記念碑が建っている。その記念碑の前に車3〜5台くらいの駐車スペースがある。ここが登山口となる。北山の登山口を示す案内板があり、電源開発の鉄塔案内板や、中部電力の反射板の案内板もある。
さて、準備をして10時28分に登山を開始する。「北山908m」、「電源開発78番」「電源開発77番」、「中部電力北山反射板」の案内板が立ててある。間違えることはないだろう。右下に谷(西洞谷の支流)を見て、谷の右岸の植林地の中の道を登っていく。10時35分には左から支流の沢が流れ込んでいる。10時39分には谷を右岸から左岸へと渡る。10時41分には右から支流が流れ込んでいる。石垣の跡も見られ、あるいは昔はここに屋敷があったのかも知れない。さらに谷を左下に見て登っていく。10時44分にはいったん右岸へ渡るが、すぐに左岸へと渡り返す。10時49分にはまたもや左岸から右岸へと渡る。10時52分には右岸から左岸へ渡り、10時55分にも左岸から右岸へ渡る。そして、11時02分に二俣分岐があり、1本はそのまま右岸を登っており、1本は右へおり、谷を渡っている。そこに案内板がある。「北山 船井谷」、「電源開発の78番」、「中部電力反射板」の3枚があるが、いずれも右を示している。従ってここで右の道をとり、谷を渡って左岸側へ登る。さらに左に支流の沢を見て登っていくと、11時06分に案内板があり、道は右へ90度曲がっている。案内板は「電源開発78番」と「中部電力反射板」の2枚がある。北山の案内板はないが間違いなかろう。さて、ここからは谷から離れ、ジグザグに尾根を目指して登っていくこととなる。やがて、11時10分ころには植林地から雑木林へと変わる。11時22分には「でんぱつ(裏は火の用心)」という黄色い札が木にかけてあるのを見つけた。11時28分にはいったん雑木林を抜けて明るいところへ出るが、またすぐに雑木林へ入る。ちょうど雑木林の境を登っているようだ。11時31分には「ヨシ!」という人間の絵をかいた看板がある場所に着いた。11時35分には分岐があり、左へ登ると鉄塔がある。これが78番鉄塔と思われる。11時36分に鉄塔へでて引き返し、11時37分に分岐まで戻り、先(直進)へ進むと、また分岐があり、今度は電源開発の案内板が手前は「78番」、直進は「79番」、右は「80番」となっている。そして、中部電力の反射板の案内が直進を示しているので、迷わず直進する。すると11時46分に鉄塔が現れる。これが79番鉄塔であろう。鉄塔の手前に中部電力の反射板の案内板があり、左の方向を示している。ここからが大変であった。とたんに登山道が藪に埋もれてしまっているのだ。ここから先は人があまり通らないのか。藪を分けて踏み跡をたどると11時51分に中部電力の反射板の案内板があり、11時55分にも同じ案内板がある。さらに12時03分に同じ案内板があると、12時04分には反射板に飛び出す。反射板の周囲は金網が張り巡らせてあり、その中は藪が切れている。さて、この金網を左へたどり、反射板の斜め右手後方に三角点がある。三角点の付近は藪が切れて、芝生のようになっている。5年前の平成9年に来たときは、藪が小さくて見晴らしのよかったが、あれから草木が伸びて、藪と化し、三角点も見つけにくくなり、見晴らしのなくなってしまっている。残念である。反射板の後方に高みがあるので、そちらへ登ってみる。そうするとコブを越えて12時17分に鞍部へ出る。さらにその先のコブへ登ってみるが三角点はなし。12時22分に引き返し、12時27分に反射板の後ろの三角点まで戻る。ここでラーメンの昼食とした。雨が降り出し困ったが、藪の下にもぐっていたら、すぐに止んでくれた。展望も利かないので、12時47分に下山にかかる。12時48分、12時51分、12時57分と反射板の案内板を通過して、12時59分に79番鉄塔へ出た。13時03分に80番鉄塔への分岐を過ぎて、13時05分には78番鉄塔への登り口を通過する。13時06分に「ヨシ!」の看板、13時11分に「でんぱつ」の札を通過して、ジグザグに下ると、13時21分に中部電力の反射板の案内板があり、右手に支流の谷がある。13時22分に谷を渡って、北山の看板や中部電力の看板、電源開発のある合流点に着いた。あとは谷沿いに下るのみ。13時27分に右岸から左岸へ、13時30分に左岸から右岸へ、13時31分に右岸から左岸へ、13時35分に左岸から右岸へ、すぐに右岸から左岸へ渡り返し、13時37分に屋敷跡と見られる場所で支流の沢を渡り、13時38分に左岸から右岸へ渡る。そして、13時44分に車へ戻った。
7 北 山(907.5m)
平成9年6月8日(日)晴れ
ふるさとの山、北山へ向かう。午前8時30分に家を出発する。柿野川の支流東洞谷を遡る。東洞集落はホタルがでるようだ。「ホタル群棲地」という看板がある。集落を通り過ぎさらに林道を登っていくと、やがて、鉱山の跡がある。美山町のたてた立派な看板である。ここから、さらに悪くなるが一応林道が続いているので、そのまま登っていくと、人気のない民家があり、さらに奥には堰堤がある。その堰堤を過ぎるとすぐに林道は終点となる。あとは、人の歩く山道が奥へと続いている。午前9時11分からその山道を歩き始める。山道は谷の左岸から右岸へ渡って、右岸沿いを登っていく。すると、道は谷沿いに行く道と、左へ別れて山へ登って行く道とに分かれる。どちらにするか迷ったが、谷沿いの道を行く。すると、すぐに涸谷を渡る。そして、すぐにまた谷を渡る。しばらく登って行くと、石垣が多くあり、かつての集落の跡か、あるいは、田畑の跡かと思われる。左には谷があり、水の流れる音が聞こえてくる。さき程渡った涸谷であろうか、この当たりは水が流れているのかも知れない。ここで、左に曲がって、その谷沿いに登って行くことにする。ここが案内書にある「イカヅチ」というところなのか。そもそも、「イカヅチ」というのが、地名なのか、かつて存在した集落の名前なのか、わからないが。かつては、相当開けたところであったと推察できるため、「イカヅチ」なのではないかと思う。ここでの時刻は、9時35分である。さて、ここから、谷に沿って左岸に道らしきものがあるので、それを登っていくと、そのうち谷を渡って右岸へ行く。さらに登って行くと道もあやしくなり、谷沿いから大きく左に曲がり、尾根にとりつく地点でとうとうなくなってしまう。時刻は10時38分ころである。ここにちょっとした平らな所がある。やむを得ず、道はないがここから尾根を登ることにする。いままで、林の中で全く視界がきかなかったが、尾根を登ると木立の間から背後の山や、右手の山が望められる。しかし、登りも急であるが、藪もひどくて難渋する。そして、当然ながら時間もかかる。11時になっても頂上には到着しない。やっとの思いで、11時25分頃頂きについたのであるが、どうも北山ではないらしい。三角点はもちろん見つからない。案内書によっても、三角点を見いだすのは相当難しいと書いてあるが、北山とは違う、ただの無名峰では、あるはずもなし。休憩して、満たされぬ思いのまま、引き返すことにする。全く残念である。来た道を引き返し、最初の山道の分岐点へ来る。ここで、左に登るのであろうか。再度挑戦の時は、そうしようと思い、車のところへ戻った。12時28分であった。
平成9年6月14日(土) 曇り
午前10時45分に家を出て、再度の挑戦で北山へ向かう。前回と同じように東洞谷の林道終点まで車で入る。11時17分に駐車して歩き始め、最初の三叉路を左にとり、涸谷に沿ってつけられた山道を登って行く。道は谷を左右に渡ったりしながら、とにかく谷沿いに登っている。しかし、一向に尾根へあがる気配がない。最後に谷の左岸へ渡って、尾根へ登る気配があったが、どうも左岸では地図上から判断するに、目的の北山とは反対方向である。それで、少し戻って、谷の右岸で尾根方面へ伸びている山道を登って見たが、これもすぐの尾根へ登ったところで、道が消えている。どういうことなのか。案内書によると1時間半か2時間で頂上まで登れると書いてあるので、1時近くになってもこんな調子では、とても期待できない。やむなく、引き返すこととする。返りは夏草の生い茂った山道を避け、涸谷を下った。すると、人に出会う。人がいるなんて想像もしていなかったので、全くびっくりした。石灰岩とかの「石」を探しに来たらしい。午後1時20分ころ車に戻る。そのまま帰宅する。
平成9年6月15日(日)曇り
昨日に続いて再再度の挑戦となる。こうなったら意地でも登らないことには気が収まらない。7時45分ころに家を出て、美山町の出戸から柿野へ入り、さらに東洞を遡る。集落をすぎると道も狭くなってくる。しかし、舗装はしてあるので、車では苦労せずに入れる。そして、8時26分に東洞谷の鉱山跡の看板のところに到着する。三度目はこの鉱山あとから登ることにする。この先は林道が大きく右へ曲がっており、そこに橋が架かっている。それで、その橋を渡らず、その手前の広場に車を止めて、橋の手前をまっすぐに伸びている山道へ登って行く。時刻は8時27分である。谷川が流れているので、その谷沿いに登って行くのである。始めは谷の右岸を登って行くと、やがて道は谷を渡り、左岸を登る。車から15分歩くと、右から谷が流れ込んでいる。それを越えると道は又谷を渡り、右岸を上へと続く。今度はすぐに左岸へ渡り返すと、やや谷から離れて登りになる。左手下方にいくつもの滝が連続している。なるほど道が離れた訳が分かった。滝があるため、高巻きしているのである。さらに登って行くと、谷が2つに別れており、道もちょっとした平らな広場に出る。時刻は8時50分である。そこの檜に白いペンキが塗ってある。もう1つの檜の幹には、「穴の子道」とか「約半分の地点」、「あと約40分」とか書いて有る。北山への道のりをさしているのであろうか。わからないまま、右の谷沿いに登って行く。すると、すぐに谷の水は無くなって、涸谷となり、道も消えてしまう。道の消える当たりの檜にも黄色のペンキが塗ってある。あとは、とにかくこの谷をつめることとする。すると大きな岸壁が立ちはだかる。それを乗り越えると、右手中腹に山道らしいものがある。どこから続いている道かはわからないが、良いこと幸いにこの道を辿ることにした。すると、9時40分頃、また、やや平らな広場に出る。ここが谷の源流と思われる。平らではあるが、窪地(溝)があるので、それを上流へと登る。すると、また、窪地が2つに分かれている。あとは、「カン」を頼りに右手の窪地を辿る。高い所を目指して登る。頂上は近い感じである。檜の林の中を高地目指して登る。時々雑木林の藪もあるが、とにかく登るしかない。やがて、檜より雑木が多くなったかなと思うと、空が明るくなり、切り倒した雑木の枯れたものがある。そして雑木の高さが低くなったので、前方を伺うと反射板がある。ここが頂上に違いないと確信した。反射板の方角へ進むと、三角点があった。この反射板をたてたときに、雑木を伐採したようだ。その枯れ木がたくさんある。しかし、それから相当期間が経過して、さらに雑木が伸びて来ている。このままでは、三角点がまた雑木林の中に没してしまう。丁度、反射板の裏側というか、北側に当たる場所である。中部電力の「北山反射板」らしい。南側の展望は結構よい。反射板の周囲を見ると、自分の登って来たのと反対側(西洞側から)に、いい道がついている。どうも、この「北山反射板」の巡視道のようである。こんないい道があるなんて、全く知らなかった。この」道を登ればずっと楽に短時間で登ることができる。三角点の脇でラーメンをすすり、お茶を飲んで、10時47分、下山にかかる。11時には谷の源流というか、道が出てくる所に着く。岸壁の上の中腹の道を辿ってみたが、それは途中で消えてしまったので、登り返して、上りに通った岸壁を下る。11時25分に谷に水が現れ、2つに分岐している所へ到着した。あとは、道に沿って下り、11時43分に車に到着した。車に乗り込み、東洞を下って、先ほどの中部電力の「北山反射板」の巡視道を確認すべく、西洞谷を遡ってみる。西洞は、東洞より道が狭くて距離が長い。やがて、かつての西洞集落の中心地と思われる所へ着いた。そこには、「西洞人家分布図」なる石碑が立っている。そして、その前に砂利を敷いて整備した駐車場(5〜7台位駐車可能)もある。そして、そこから山道が伸びており、「北山反射板」の立て看板も立っている。ここから、登れば明瞭な道が続いていると思われる。折から2人の登山者が登って行くところであった。さらに車で、西洞林道を登ってみたが、相当奥まで林道ができている。最終地点を確かめるまでは行かず、途中で引き返す。1時00分ころに家に到着した。