猿ケ馬場山(1,840m)
平成12年10月22日(日)快晴のち曇り
1週間前、「籾糠山」まで登ったのに、ガスが立ちこめ、登頂を断念した「猿ケ馬場山」を目指す。前日、10月21日(土)14時30分に自宅を出発。八幡町まで50Km1時間、白鳥町まで70Km1時間30分、牧戸まで100Km2時間といったところか。そして、今日の目的地である、白川村の道の駅「白川郷」には17時10分ころ着いた。今日はここで車中泊となる。早速、買い込んできた「もつ鍋」で一杯である。街灯もあるので、夜でも心配はない。また、土曜日の夜のこととて、新潟、富山、長野、浜松など他県ナンバーの車が止まっている。自分と同様車中泊の連中だ。さて、18時30分には就寝し、翌22日(日)、起床は5時40分であった。しまった。寝過ごしてしまったと思いつつ、早速朝食を済ませて、一路天生峠へと車を走らせる。峠には「天生高層湿原植物群落地」や「高野聖」の看板がある。観光客のための駐車場もあるので、車を止めるには心配ない。峠にはすでに7〜8台の車が止まっている。ここで車中泊をしたのか、今朝登ってきたのかはわからない。この大駐車場に車を止め、登山準備をして6時06分に歩き始める。籾糠山までは、1週間前のコースと同じだ。「天生の高層湿原群落」へを中心とした遊歩道が整備されているので、これを利用する。「籾糠山」への道は、中部北陸自然歩道にもなっているようだ。登山道も、標識もしっかりしており、心配はない。「天生湿原 1.3Km」の看板に導かれて遊歩道を進む。ガスが立ちこめてはいるが、紅葉が真っ盛りでまことに美しい。坂を登って、6時10分には、赤い三角屋根の小屋があり、ここから左へ曲がって下る。この分岐点に「天生湿原 1.1Km」の看板がある。6時11分には「天生湿原 1.0Km」の看板を通過し、6時16分には「匠屋敷まで500m」の杭がある。6時22分には鞍部を越えて、6時23分に天生湿原に着く。おおきな看板があるのですぐに分かる。天生湿原の両側に道があり、西廻りコースと東廻りコースとあるようで、ここで道は左右に2分している。ここで、東廻りコース(西と東の看板が反対ではないかと思う。)をとり、右へと進む。するとすぐ、6時23分には、「籾糠山 3.0Km」の標識があり、左手に天生湿原を見ながら、木道を進む。奇麗な紅葉である。6時27分には天生湿原の反対側の端に着き、ここで西廻りコースと合流する。「籾糠山 2.7Km」の看板がある。ここを過ぎると道は下って、水芭蕉が咲くという湿原に出て、沢を渡る。すると、巨大なブナの原生林であり、6時30分に「右 籾糠山 2.6Km、左 木平湿原 1.2Km」の看板があり、道は2分する。営林署の掲げた「天生渓谷を経由してブナ原生林へ」という立て看板もある。いわゆる尾根コースと沢コースの分岐点である。どちらも「籾糠山」へ行けるが、尾根コースは坂が急であり、遠回りでもあるので、今日は先が長いこともあって、迷わず沢コースをとる。6時31分には「籾糠山 2.5Km」の看板を通過する。6時37分には「籾糠山 2.3Km、天生湿原 0.5Km」の杭がある。6時45分には「籾糠山 1.8Km、天生湿原 1.0Km」の杭があり、この先、沢沿いに登り、沢をあちこちに渡りながら、登るようになるり、左右に分岐する沢の真ん中の尾根を登ると、やがて、6時53分には、「左 木平湿原 1.3Km、右 籾糠山 1.3Km、天生湿原 1.4Km」の杭がある。この当たりからガスが晴れてきて、天気も快晴、真っ青な空が顔を除かせた。この分岐で、右へ進んで道は沢を渡って、尾根へと直登している。ここが最後の水場となろう。尾根を登ると、左には今渡った沢があり、右手にも沢がある。この急登を登り詰め、坂がなだらかになると、やがて、7時01分には「籾糠山 0.7Km、天生湿原 2.0Km」の杭がある。さらに進んで鞍部を越えるとすぐ、7時02分には「籾糠山 0.4Km、天生湿原 2.2Km」の杭を通過し、やがて、7時05分にはピークがあり、頂上かと思ったが違うようだ。いったん下がってさらに急登すると、7時25分ようやく「籾糠山」へ到着した。すでに2人がいた。1人はここにテントを張っており、1人は今朝3時30分に駐車場を出発して登ってきたとのこと。頂上には「天生湿原 2.6Km」の杭がある。環境庁指定の中部北陸自然歩道となっている。今日は1週間前とはうって変わって、空は快晴で周囲はすばらしい展望である。紅葉が真っ盛りで実にきれいである。目指す「猿ケ馬場山」もくっきりと奇麗に見える。その道筋となる尾根筋もはっきりと見える。先週諦めた天気とは大違いである。これなら道に迷うこともなくいいだろう。この尾根筋を進むことに決めた。先客たちはカメラを設置してシャッターチャンスを狙っている。その中を、7時37分に出発する。1人が「猿ケ馬場山」までは切り開きがないと教えてくれた。もとよりそのつもりである。少しでも先まで切り開きがあることを願っているだけである。その先は登山道がないため、薮こぎを覚悟しているわけだ。さて、「籾糠山」の頂上から下ると、7時44分には「スミ子平」へ着く。ここに仮設小屋がある。道を切り開くための鎌とかノコギリが置いてあるのか。さて、さらに先へ進むと、雑木林を抜け、やせ尾根へ出る。左側は絶壁で、右側は雑木林というところだ。右手後方には三角錐の「籾糠山」と今歩いてきた尾根筋が見える。右手前方にはこれから目指す「猿カ馬場山」である。そして、8時02分に「レモンピーク 1,720m」と書いた看板のピークへ着く。「石川スキー登山研究会」が掲げたもののようだ。ここから尾根上を下って、少し登る返すと、8時09分に坂の途中で右へ折れる分岐の道(切り開き)がある。それを入ってみるがすぐに行き止まり(切り開きがなくなる。)となる。尾根筋のルートでは、いったんピークへ登って、また下るという3角形の2辺をたどることになるので、少しでも近回りをしようと、ピークまで登らず、ここから谷へ下りて、「猿ケ馬場山」の手前のピークへ出ようという魂胆らしいが、薮がひどくてどうもそう簡単にはいかないようだ。さて、こちらはさらに坂を登り、8時26分に「もしもしジャンクション 1,818m籾糠山 北東90分、猿ケ馬場山 北西40分」という看板が雑木に掲げてある所に着く。これも新しいがやはり、「石川スキー登山研究会」が付けたようだ。この先新しい切り開きを進むと、8時30分、切り開きがなくなる。この切り開きは「石川スキー登山研究会」が毎年行っているようだ。切り開きの終点の雑木に「00 10 21 4年目 ここまで N.Y」という布きれがぶら下がっている。ここから薮へ突っ込む。すぐに谷があるので、これを越える。そして背丈を超える根曲がり笹と灌木の中を尾根からはずれないように進む。いったん下って登り返すことになる。そして、9時22分にやっと大岩に着いた。これを左へ曲がって越える。これが先ほど切り開きの終点から見えていたピークと思われる。さらに少し下って登ると9時42分につぎのピークへ着く。しかし、「猿ケ馬場山」では勿論ない。さらに前方にピークが見える。あれが目指す「猿ケ馬場山」であろう。ここから誰が付けたか赤いビニールテープが引っ張ってある。このテープを付けた御仁は、「籾糠山」から大瀬戸谷へ下って、大瀬戸谷からこのピークへ上がって来たようだ。まさに「籾糠山」から「猿ケ馬場山」への最短距離をたどった感じである。このテープをたどるが所々切れている。薮との格闘にあまりにも体力を消耗し、途中の笹薮の中で、周囲は何も見えず、ただただ笹に囲まれて、10時04分から14分までパンを食べて休憩する。そして、薮との格闘を続け、やっと10時58分、目指す「猿ケ馬場山」の頂上へ着いた。しかし、相変わらず笹と灌木のすごい薮であるし、見通しは全く利かない。先にテープを付けた御仁もここで引き返しているようだ。ここは猿ケ馬場山の最高点(1、840m)ではあるが、三角点はこの広い薮の平原の中を、ここから西へ750mも行った所のようだ。それでそちらの方へ行って見ることにした。11時16分には直径5mくらいの池(沼地)がある。さらに進んで見るも、平坦であり、すごい薮であり、とても三角点を見つけられるとは思えず、時刻も迫ってくるので、三角点を諦め、満たされぬ思いで、引き返すこととした。時刻は11時27分にある。また、帰りもあの薮と格闘せねばならないかと思うとうんざりである。さて、11時36分に池(沼地)へ戻り、ここで記念写真をとる。11時48分に最高点のピークへ戻った。ここから下って、12時27分にもうひとつのピークへ達する。ビニールテープがあった所だ。そして12時37分に大岩の所を通過して、13時11分にやっとの思いで、切り開きまで戻った。あとは快適に下るのみである。すぐ、13時15分に「もしもしジャンクション」に着く。赤い布きれをよく見ると、切り開いた月日が書いてある。「00.10.21」に始まり、「00.10.14」「00.10.8」「00.9.28」「00.9.16 松栄、米田、浅加、西」「00.9.15」「00.8.27」「00.8.24」「00.8.20」「00.8.12〜13 石川スキー登山研究会」「00.8.6 西 米田」「00.7.2 松栄、浅加」とかの布きれが付いている。「99.8.2」などあることから、毎年夏に切り開きを行っているのであろうか。たいへんご苦労さんなことである。この人達のおかげで快適な登山をすることができる。頭がさがる思いだ。さて、13時27分には脇道への分岐点を過ぎ、13時37分に「レモンピーク 1,720m」を越える。13時53分に「スミ子平」を過ぎると、「籾糠山」への急な登りとなり、14時06分に「籾糠山」の頂上に着く。もう誰もいるはずがないと思っていたが、なんと、夫婦連れがラーメンを食べていた。しかし、こちらは先を急ぐことにした。頂上から下ろうとしたとき、登ってくる夫婦連れに出会う。こんな遅くから登って来る人もいるのかと思う。さて、すぐに下山中の夫婦連れを追い越し、14時14分にピークを過ぎ、14時17分に「籾糠山 0.4Km、天生湿原 2.2Km」の杭を過ぎ、その先でまた、登ってくる夫婦連れに出会う。14時20分には「籾糠山 0.7Km、天生湿原 2.0Km」の杭に着く。そして、急坂を下ると、14時30分には天生渓谷に降り立つ。ここまででも相当登山者に出会ったが、この当たりからさらに多くの登山者に出会う。14時31分に「右 木平湿原 1.3Km、籾糠山 1.3Km、左 天生湿原 1.4Km」の杭のある分岐点に着いた。登ってきた沢コースを帰ることとし、14時39分には「天生湿原 1.0Km、籾糠山 1.8Km」の杭に出くわす。14時46分には「天生湿原 0.5Km、籾糠山 2.3Km」の杭がある。そして14時50分に「天生湿原 0.2Km、籾糠山 2.5Km」という看板がある。そして、14時51分「天生湿原 0.1Km、籾糠山 2.6Km、木平湿原 1.2Km」の看板のある尾根コースと沢コースとの分岐点(合流点)に着く。ここでも20人くらいのパーティーに出会う。ここから沢を渡って、湿地を通って、坂を登ると、14時55分に「籾糠山 2.7Km」の看板があり、天生湿原の端で、西廻りと東廻りの分岐点(合流点)である。ここで登りと同じ東廻りコースをたどり、15時00分に「籾糠山 3.0Km」の看板を通り、15時00分に天生湿原の西廻りコースと東廻りコースの分岐点(合流点)であり、「天生峠駐車場 1.1Km」という標識の場所に着いた。この当たりからは、軽装の散策客に多く出会う。先を急いで、散策観光客の合間を縫って、15時07分に「匠屋敷 500M」の杭を通過し、坂を下って15時21分「天生峠 1.0Km 天生峠駐車場 0.4Km」の看板までたどり着く。ここで右へ分岐する道を下ると営林署の林道へ出る。しかし、ここからまっすぐに坂を登って「天生湿原 1.1Km、天生峠駐車場 0.3Km」の看板へ着く。大変な紅葉狩りの観光客である。観光客の中をすり抜けて、15時17分に車へ戻る。15時33分に車に乗り込み、白川村方面へ下り、白川村を通って、18時30分に帰宅した。