108 水 無 山(1,506m)
平成12年10月15日(日)快晴
古川町の下数河の袖峠から「高山」へ登ったあと、時刻が早いので先日挑戦して、登山口へすらたどり着けなかった「水無山」へ登ってみることにした。国道41号で数河の坂を下って右折し、国道471号で宮川村へ入り、国道360号へ右折すると、河合村へ入る。JR高山本線の踏切を越え、天生峠(白川村)方面へと走る。すると、国道471号の分岐を過ぎ、さらに走って上ヶ島地区へ着く。国道360号から右折して「なかんじょ川 かわあそび」の方へ入る。国道360号はこの先ですぎに橋を渡って、右岸へと行っている。つまり、右岸へ渡らず、国道から右折するわけだ。さて、右折すると、すぐに最初の橋がある。これが上ヶ島谷に架かる橋である。この橋を渡らず右折して、上ヶ島谷の左岸沿いの林道を登っていく。昨年の集中豪雨による災害復旧の工事の真っ最中で、一般車は立ち入り禁止の立て看板がある。今日は日曜日なので、工事は休みらしい。工事用重機や資材の側を通り抜けて林道を登っていく。しかし、相当な悪路である。4輪駆動車でないと登れないであろう。この林道もついに、崖崩れの土砂のため、通行不能となる。国道360号から分岐して約4.5kmのところである。ちょうど路肩(山側)に2〜3台の駐車可能な広場があるので、ここに車を止め、登山準備をする。10時23分に春木始める、10時32分には崖崩れで林道が崩壊している現場をとおり、10時35分に川を渡る。渡ったところがT字路になっており、林道は左右に分岐する。この渡った谷は上ヶ島谷の支流であるのに、本流と間違えたため、道を間違え、本来左へ行くべきところを右へ進んでしまった。このため、「水無山」へはたどり着けないはめになる。そのときは、間違いに気づかず、右の林道を登っていく。10時40分には堰堤があり、10時55分には林道も終点となり、「林道終点」の白い杭がある。その先を探っても、山道らしきものもない。そこで、終点の手前約50mで左から流れ込んでいる支流の谷を遡行することにした。谷を遡行して行くと、11時16分には谷水も涸れ、11時21分にはまた水が出てくるが、11時26分には完全に涸れてしまう。涸れ谷を登って行くと、11時34分には落差約10mの涸れ滝がある。これを右へ高巻いて、さらに登ると、11時50分には谷がいよいよ細くなり、二分するので、左の谷を登る。灌木と笹の藪と格闘して、12時00分に尾根上に着く。しかし、灌木と笹の藪がひどくて、見通しは全く利かない。それでもなんとか高みを目指して尾根を進む。アップダウンしながら12時28分にピークへ着き、三角点を探すが、全く見あたらない。背丈を超える藪がひどくて、周囲を見回しても何も見えず、木に登ってみても見通せない。いまいる所より、さらに高いピークの方角がわからないのである。やむなく、諦めて大木の下で昼食をとる。そして、12時55分に下山にかかった。13時16分には尾根からの下り口に戻り、13時20分に谷に下り立つ。13時24分に涸れ滝の上に着き、13時27分に涸れ滝の下に出て、13時32分には水が出てきて、13時35分に水がいったんなくなり、13時37分にはまた水が出てくる。13時45分には林道へ出る。13時55分に堰堤を過ぎ、13時58分にT字路の三叉路合流点へ着く。ここに「サルクラ林道 平成3年度竣工」という白い杭がある。先にこれを見つけていたら、間違わずに済んだものをと後悔しつつ下る。災害で林道が流れてしまっていたため、この杭にも気づかなかったのである。14時00分には崖崩れの現場を過ぎ、14時10分に車へ戻った。今日は失敗である。先日は登山口へたどり着けず、この山には苦労させられる。さて、もう1日、道の駅「アルプス飛騨古川」で車中泊をして、明日、「籾糠山」と「猿ヶ馬場山」へ登ろうと思う。
108 水 無 山(1,506m)
平成12年10月28日(土)曇
再々度の挑戦となったこの水無山である。いままでとはルーとを一新して、白川村から牛首峠を越えて、富山県利賀村へ入り、水無林道(?)を経て、水無山の肩まで車で登るというルートである。飛騨山岳会もこのルートで登っている。早朝、5時30分に家を出発し、水無山を目指す。10月15日に河合村の上ヶ島谷からアタックして失敗した山である。ただ、問題は道路が通行できるかどうかにかかっている。前は2回とも、道路が昨年の集中豪雨で崩壊し、その復旧ができていなかったのである。今回とて同様のことが懸念される。だめで元々と思ってとにかく白川村へ向かう。国道156号をひたすら北上する。郡上八幡まで50km、1時間、白鳥町まで70km、1時間半、ひるがの高原を越えて、牧戸で100km、2時間という具合だ。白川村へ入り、白川保育園の看板で、国道から右折する。同じ看板に左折すると、白川村役場と白川中学校との表示がしてある。白川村役場とは反対方向へ入るわけである。鳩ヶ谷八幡神社前の信号交差点から約800m行ったとこrだ。さて、国道を右折すると、すぐに庄川の橋を渡り、坂を登ると集落があり、それを道なりに突っ切ると、山へ登っていく林道の入口がある。「広域基幹林道 牛首線 幅員5.0m、延長10,183m」という杭の表示がある。国道から林道入口まで約600mである。さて、この林道を登っていくと、約1.6kmで舗装が切れる。あとは、土砂道となり、さらに2.8km走ると、峠に近くなり、右へ分岐する道がある。これをやり過ごし、左折(直進)して、さらに約400m行くと、「牛首区の記念石碑」が右側に現れる。なんでも、この牛首川のほとりに、「牛首」という平家の落人集落があったが、過疎化の波に追われ、昭和40年に最後の家が移転して、消滅したとのこと。誇り高き「牛首区」の存在を残すため、石碑を建設したと記してある。これこそ本当に白川村、利賀村のどちらからも隔離された集落で、かってのその生活ぶりは、自ずと想像できよう。さて、この当たりから尾根近くの山腹の道となるが、ここから約5.6km走ると、右からの林道がY字路で合流する。合流して100mも進むと、やっと牛首峠らしくて、「林道牛首線 岐阜県白川村 富山県利賀村」の大きな石碑がある。ここが岐阜・富山の県境のようだ。そして、林道はここで3つに分岐する。正面に標識があり、一番右の林道はどこへ通じるのか不明(標識に表示なし)である。真ん中の林道が「林道アテビオ線」で、「主要地方道 利賀〜河合線」へ通じ、一番左の林道が「広域基幹林道」で、これも「主要地方道 利賀〜河合線」へ出るような表示がしてある。しかし、主要地方道へ出るまでの距離は、「アテビオ線」の方が近くて、「広域基幹林道」経由の場合の約半分(約6.5kmか?)くらいである。そして、目指す水無集落(これも廃村)跡へも、「アテビオ線」の方が三角形の一辺をたどる感じで近い。従って、当然「アテビオ線」を下る。峠から約1.0kmで「岩穴谷官行造林地」の杭があり、さらに1.1kmで左へ分岐している林道がある。これは峠の案内表示にあったとおり、広域基幹林道へ接続している道だ。これを無視して右へ下ると、約1.4kmで「水無湖キャンプ場」が現れる。この湖は利賀川ダムの完成(昭和49年6月竣工)によってできた湖である。林道入口からこのダムまで約14.5kmである。さて、水無キャンプ場から約500mで利賀川ダムの堰堤上を渡るが、これを渡ると、T字路に突き当たる。これが、「主要地方道 利賀〜河合線」のようだ。ここで、右折して(左折すると利賀村役場方面)、約2.5km進むと、右折して橋を渡る道が分岐している。右折して橋を渡ったところに大きな案内看板がある。案内看板によると、この林道は「水芭蕉の群生地」へ通じる林道であるらしい。しかし、「水無山登山道」への道でもある。ただし、この案内看板には「水無山」の表示はあるが、この林道が「水無山へ通じる」という表示は一切ない。まあ、国土地理院の地図によると、この林道しかないので、とにかくこの林道を登ることとした。ちなみに右折せず、「主要地方道 利賀〜河合線」をそのまま直進すると、約1kmで「水無神社」が左手に出てくる。ここまで来たら行き過ぎである。実際、自分もここまで来て引き返したのである。この「水無神社」の付近がかつての水無集落跡あのであろう。峠の付近には「牛首集落」、この川の畔には「水無集落」があったのであろう。いづれにしても、車も林道もない時代には、相当の苦難が予想される。下界から隔離された時給自足の生活であろうが、発祥が平家の落人集落というのなら、それもうなずけよう。
さて、先ほどの案内看板のある三叉路までもどり、「水芭蕉群生地」の案内に従って林道を登っていくと、すぐに(約100m)橋を渡る。橋から約1.8km(案内看板から約1.9km)で、「水芭蕉の群生地まで7km」という杭(標柱)がある。ここから約約1.9kmで営林署の作業小屋が左右に1棟づつある。もうそろそろ登山口があってもよいがと思いつつ、さらに、約200mで、「水芭蕉群生地まで5km」の杭(標柱)がある。さらにこの杭から約2.4km進むと、林道崩壊があり、通行不能となる。路肩に車を止めて歩くこととなる。「主要地方道 利賀〜河合線」から分岐して(案内看板から)約6.4kmである。この道でよいのかどうか、一抹の不安はあるが、ここまで来たら先へ進むしかない。登山口は「水芭蕉群生地」より手前なのか、先なのか、あるいは「水芭蕉群生地」から登るのか、全くわからない。とにかく、準備をして9時35分に出発する。9時43分に「水芭蕉群生地まで2km」の杭(標柱)があり、10時00分に林道から登る登山口に着く。看板もなにもないが、地図によると前方の頂がどうも「水無山」のようだし、木に目印のテープがある。「勘」によってここから登ることにする。しかし、笹と灌木の藪だ。林道近くは笹の背丈が低くて、密生もしていないので良かったが、頂上から派生する尾根へ登る頃には、笹の背丈も太さも増し、さらに密生してくるので、大変な労力となる。一旦、肩と思われるピーク(林道から見えていたピーク)に着き、さらに、前方のピークを目指す。「水芭蕉群生地」が右手下方に見える。飛騨山岳会の人たちの記述によると、「小さな沢を少し登ると、山道になる。」とのことであるが、探しても道は見つからない。それよりもピークは近いので、藪の中をしゃにむに登っていく。そうすると、藪との苦闘の末、10時29分に頂上(1,506m)へ到着する。藪こぎは約30分である。見晴らしは樹木のため、よくない。記念写真と昼食を撮り、11時02分に下山する。今度は飛騨山岳会の記述と思われる登山道を下ることにした。ほとんど藪に埋もれてしまいそうな切り開きである。たしかに切り開きはあったと思われる。切り開きの跡をたどると、11時10分には沢に出た。たしかに飛騨山岳会の記述どおりだ。間違いないと確信し、沢を下ると、11時15分に林道へ出た。林道には、たしかに「水無山登山ルート」という黄色のプラスティック杭と、「水無山登山口」という木の杭がある。しかし、いずれも倒れそうである。さて、林道を歩いて11時21分には、先ほど登った登り口のところへ着き、11時38分には「水芭蕉群生地まで2km」の杭(標柱)のところを過ぎ、11時54分に車へ戻った。12時00分に出発し、来た道を下って、牛首林道を経て白川村へ、あと、国道156号を経て、16時00分に帰宅した。