願 教 寺 山(1,691m)
平成13年5月12日(土)快晴
八幡町のアパートを午前3時30分に出発し、石徹白へと向かう。白山中居神社前には4時30分すぎに到着し、さらに奥の白山登山道入口の駐車場を目指す。20台くらい駐車できる立派な駐車場と休憩舎、公衆便所がある。こうした施設は登山者にとって非常に助かる。美濃禅定道と言われるだけのことはある。しかし、今日はこの白山禅定道へ行くのではない。あまり人の入らない願教寺という山へ登るのだ。登山道がないので、こうした残雪の時期にしか登れないのだ。さて、ここからさらに未舗装の林道が続いているので、どこまで行けるのかと車で進入する。地図どおりにS字カーブを過ぎ、登っていくと、やがて、崖崩れと雪のため通行不能となる。その手前に3台くらい駐車できる広場があり、すでに先客が1台止まっていた。京都ナンバーのボルボである。この車でここまで来たのかと感心する。
さて、今日の長い行程を考えるとゆっくりもしていられない。早速、準備をして、5時00分に出発する。5時07分に右から流入する母子岩谷に架かる「母子岩橋」を通過する。その先で先ほどの京都ナンバーの人たちがキャンプをしていた。聞けば昨日から釣りに入って、朝食の準備中であった。そして、5時13分に笠羽橋を渡って石徹白川の右岸へ行く。林道は真っ直ぐに石徹白川の左岸を登っている。ここで石徹白川は笠羽谷と名前が変わるのか?また、ここで左側から谷が合流している。この左からの谷の右岸側に山道があるので、これをたどる。所々には雪が残っている。5時21分には右(対岸)から谷が流入している場所を通過する。尾根から急に落下する谷である。5時30分にも(対岸の)右から谷が流入する場所を通過した。これは牛ヶ谷か?さらに5時43分にも右から谷が合流している。Y字形に合流しているが、この右の谷が願教寺谷である。左の谷は本谷としておこう。このころ太陽が背後から昇った。このあたりはまだ残雪が藪を押さえてくれているので助かる。谷は西向きから南西へと方向を変えるので、左へ曲がるように本谷の右岸を登って、5時51分にこの谷を渡る(右岸から左岸へ)。さらに5時56分に小さな沢を渡り(右岸から左岸へ)、6時02分にも小さな沢を渡る(右岸から左岸へ)。6時18分にも沢を右岸から左岸へ渡る。そして、すぐにまた小さな沢を渡る。谷の名前はわからない。そしていよいよ、6時25分に願教寺谷と思われる大きな谷を渡る。つまり、願教寺谷の左岸を登ることとなる。左岸の尾根へと取り付くこととなった。雪が消えて笹と雑木林の藪が出ているので、谷身を登ったり、残雪のある所を登ったりで、7時55分にはなんとか雪のある尾根上に出た。標高は1,550mくらいである。残雪の尾根を登り、8時06分には目指す頂上が見えてきた。頂上はすごい残雪でピラミッド型にとがっている。しかし、ここからは雪が消えていたりで、背丈を超える藪を分けたり、雪の残っている側を巻いたりしながら、8時50分に県境の稜線上のピークに出た。稜線上の笹は背丈が低く、見通しが利くので助かった。頂上は目の前だ。県境の稜線上にはかすかな踏み跡がある。9時00分には頂上に着いた。一番西の崖っぷちに三角点がある。東の方はすごい残雪があったが、三角点の周りは雪が解けており、三角点に対面できてよかった。頂上は残雪のおかげでとがって見えるのであり、雪が解けると案外頂上は平坦なのかも知れない。最初はすごい残雪の下が頂上で、三角点には対面できないと思ったが、三角点は西の端で雪のない藪の中でわずかな切り開きの中にあった。雲ひとつない快晴で、展望は思いのままだ。野伏ヶ岳、薙刀山、よも太郎山、銚子ヶ峰、一の峰、二の峰、三の峰、別山、白山、さらに大日ヶ岳、丸山、芦倉山など、周囲の山々はまだ残雪がある。記念写真を撮り、昼食をすませて、10時00分には下山を開始した。10時04分には稜線からの下り口となるピークに着いた。10時30分には尾根からの下り口に到着した。10時40分には谷身へ下りたった。10時54分には右から小谷が合流してくる場所を通り
、11時04分には願教寺谷を渡る。さらに、11時06分と11時11分に小さな谷を渡り、11時14分には本谷を渡った。ここからは本谷の右岸を下り、11時19分には、本谷と願教寺谷の合流点を過ぎる。11時24分には左から牛ヶ谷が合流している場所を通過し、11時28分には左から谷(尾根から急落下している)が合流している地点を過ぎる。このあたりからは、踏み跡が現れる。そして、11時36分に本谷、願教寺谷と笠羽谷が合流して、石徹白川となる合流点に架かる笠羽橋へ着いた。ここで、11時37分から12時03分までわさびを採り、12時04分に母子谷橋を越え、12時11分に車へ戻った。長い山登りであった。