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土蔵岳(標高)

平成9年12月1日()
 
岐阜県坂内村
 
グループ
10            土 蔵 岳(1,002m)
 
                        平成9年12月1日(月)晴れ
 
 誕生日休暇をとって山へ登るのはよいもんだ。何せ他の人々は仕事をしてるんだから。まあ、それはそうとして、この「土蔵岳」は、どんな山なのか。簡単に登れると思ったのがいけなかった。午前7時30分に家を出て、国道303号線で、揖斐川町、久瀬村、藤橋村、坂内村と揖斐川、坂内川をさかのぼって川上に着く。ここで、ホハレ峠林道と、夜叉ケ池への林道を右に分かれて、八草峠へ向かう。国道303号線は、八草川の左岸を八草峠へと登っているが、その八草川へ、右から谷が流れ込んでいるが、夜叉が池への道との分岐点から、2つ目の谷が上原谷のようである。その付近は多少開けており、農地や作業小屋がある。さて、この上原谷の右岸沿いに林道がある。これを進入したが、すぐに鎖があって、車では入れない。鎖にはガキがかかっていないので、とれないことはないが、その先はひどい道でとても車では通行できない。そんな訳で、ここに車を止める。時刻は8時55分である。林道ははじめは上原谷の右岸を登っており、すぐに橋を渡って左岸に移る。しばらくで9時04分にはまた橋を渡って右岸へ行き、そこからはすぐ、9時09分には林道が終わっている場所に到着する。見上げるとすぐに大きな堰堤がある。堰堤は2つ連続している。この堰堤を越すのがたいへんであろうと思われる。どこかに道はないかと探すと、道路の左手、つまり上原谷の右岸に踏み跡(山道)がある。これを辿ることとなる。上原谷の右岸、即ち、上流に向かって堰堤の左側を高巻いて、9時37分に堰堤の上流へ出る。堰堤の上流で谷は3つに分かれているが、目指す土蔵岳は真ん中の谷の上流で、2つのピークの右側であろうと想像して、真ん中の谷を遡行する。しかし、道は全くない。案内書によるともっと上流まで山道があるように書いてあるが、これらは堰堤の工事の時に無くなってしまったのか。あるいは、人が通らず自然消滅してしまったか。とにかく道がないので、藪の中を突き進むことになる。谷は藪が切れているとはいえ、谷が小さいので谷の中まで、藪が生い茂っており、ちょっとやそっとでは、突き進めない。藪でもタラの木やイバラが多くて特に煩わしい。タラの木もタラの芽ならよいが、トゲばかりではそれこそ大変である。案内書に記載してある、上原の出作り村か、あるいは、牧場の跡なのか、平らな広場のような場所もあるにはあるが、イバラやタラの木が生い茂り、田畑や牧場があったなどどは、とても思えない状況である。堰堤の上流部の急登をすぎると、そうした、平坦地があり、それを過ぎると最後の急登が待っている。うしろを振り返ると、背後の金糞岳から延びる尾根の山々が大きくせり上がってくる。しかし、目指す土蔵岳は見えてはいても、とても先が長い。堰堤から谷を遡ること約1時間で、11時29分にやっと尾根上に立つことができた。頂上はさらに右手のピークらしい。そこから右手の方へ登ると、やっと、目印があった。先人は滋賀県側から尾根へ登ってきたのであろうか。目印を辿って、11時45分やっとの思いで、頂上に到着した。藪との悪戦苦闘約3時間である。こんなにたいへんな山は初めてである。いい加減にくたびれてしまった。今日は天気予報で夕方からは雨となっていたので、いままで、ずっと雨の心配をして登ってきた。幸い薄日が射したり、青空が見えたりの天気であった。しかし、これから先のことはわからないので、早々に下山することとした。11時51分に下山にかかる。11時56分には、尾根からの下り口の所に到着した。あとは、一目散に谷を下る。ジャブジャブと水に浸かりながら、濡れるのもかまわず下って、12時39分にダム(堰堤)上部まで下りた。疲れた体にムチ打って、最後の堰堤の高巻きをする。12時52分に林道の終点に着き、12時54分には2つめの橋、12時58分には1つめの橋を越えて、13時01分に、車に戻った。後は車を飛ばして14時30分ころ自宅に帰った。