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額堂山(420m)

平成年月日()
 
愛知県音羽町・豊橋市
 
グループ

額 堂 山(420m) 

 

平成21年2月14日(土)快晴

 

愛知130山へ登っている。それで、今日は額堂山と観音山へ登る計画で出発した。リハビリにも行かねばならないし、いろいろ家事もあって、結局、出発は10時00分になってしまった。さらに、途中でいろいろ用事があり、関インターから高速に乗ったのは、10時30分であった。高速に乗ればあとは、走るのみだ。岡崎インターへ11時30分に着き、現在の休日昼間割引(通勤割引と同じ条件)を使うため、岡崎インターでいったん高速を下り(軽自動車1,050円)、再び、岡崎インターから高速に乗る。そして、11時45分に音羽蒲郡インターで下りた(軽自動車200円)。ここから、国道1号に出て左折し、すぐに11時51分に音羽交差点で、県道332号線(大代音羽線)へ左折する。そして、県道332号線を進んで行くと、萩小学校を左に見て道なりに進む、やがて、集落を通り抜けて、萩坂峠への坂道を登って行く。2つのヘアピンカーブを越えて、登ったところ辺り(萩坂峠の手前)に、県道の左手に「覚道地蔵尊参道」という石柱が現れる。そこから山道が上がっている。山道の左手には「額堂山登山口」という立杭看板もある。車では進入できない。しかし、その付近は県道が広がっていて、駐車帯がある。縦列駐車でも5〜6台は駐車出来そうである。12時00分に到着した。

ここに駐車して、早速登山準備をし、12時08分に出発した。そして、12時11分に「覚道地蔵尊」に着いた。この説明板には、「今から約160年前、天保五年(1834)一人の山伏(賀茂郡荷掛村の人)が仏道修行のため、諸国行脚に出ましたが、この地の近く「大代」で病にかかり、ここまでかろうじて辿りつき、村人の手当ても空しく亡くなられました。村人たちはなきがらをこの地に葬り、その菩提のために「覚道地蔵尊」像を建てました。その後、近くで草刈をしていた人が急に腹痛を覚え、この地蔵尊にお祈りしたところ、不思議にも全快したと伝えられています。音羽町教育委員会」(原文のまま)ということが書かれている。さて、11時17分にここを出発する、すぐに変形5差路の交差点に出る。はて?どこへいくのか?と思案したが、中部電力の鉄塔巡視路案内板があり、「幸田新三河線NO.38、NO.39、NO.40」の案合板がある。また、その横に「額堂山→」の立て看板もある。それで、NO.39鉄塔を目指すことにした。コンクリート舗装された登山道(?)を登って行く。すると、12時23分に39番鉄塔に着いた。この鉄塔の下をくぐり、尾根を目指し、コブを越えて、下り、今度は登りとなり、植林の中の道を登って行く。12時29分には「立入禁止」の札が付いているロープの張ってあるコブを越える。この付近から雑木林になる。この先12時33分と12時34分にコブを越え、12時35分には、左下眼下に採石場があるコブを越える。そして、右が植林、左が雑木林の道を登って行き、12時38分にはコブを越し、右が植林、左が雑木林の坂を登って行く。そして、12時40分にコブに出て、ここで90度右へ曲がって下って行く。それを登り返し、12時42分にコブを越え、12時43分に額堂山山頂(420m)に達した。山頂には案内板が多くある。「分岐経由林道←→上り 大代 下り 萩坂峠」の看板や、「下山 まわり道 大代 萩坂峠へ」の看板がる。しかし、樹林のおかげで展望はなし。

12時48分には下山した。12時49分に下山して最初のコブを越す。12時51分に次のコブを90度左へ曲がる。あとは、12時52分にコブを越え、12時55分に採石場が見える場所を通過し、12時56分、12時57分にそれぞれコブを越えて、12時59分に「立入禁止」の札のあるコブを越えると、13時04分に39番鉄塔に出た。13時07分に変形5差路を通過して、13時08分に「覚道地蔵尊」を通過し、13時10分に駐車地点に着いた。