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黍 生 山(374.4m)
平成21年8月8日(土)晴れ
今日は、早朝から各務原市の最高峰である金比羅山と、そのとなりで360度の展望がある明王山へ登った。その後、所用とリハビリを済ませ、愛知130山へと向かった。
関ICから高速に上がり、最初は、三ヶ日ICまで行って、「富幕山」へ登るつもりであったが、豊田JCTから岡崎まで渋滞という情報を得て、急遽、「村積山」に変更して、豊田東ICで下りた。そして、「村積山」へ登った後、「天下峯」へ登り、さらに香嵐渓の近くの「黍生」と「飯盛山」へ登ろうとしたが、結局、「黍生」しか登れなかった。
この「黍生」は、登山口を見つめるのに苦労した。自分の勘を頼りに地図から判断して探せば良かったと、後から思ったものである。県道39号線を香嵐渓方面へ進むと、香嵐渓の手前で、国道153号にぶつかる「追分」交差点がある。ここには、県道358号線も交差している。県道39号線からこの交差点を直進すると県道358号線(月原方面の道路委案内板がある。)に入る。この交差点から100mほど先の右手に「黍生山登山道」の道標があったのだが、30m程のところでUターンしてしまった。事前にインターネットで調べて、登山口は「白鷺温泉口」のバス停の近くと思いこんでいたためである。もっとも、「白鷺温泉口」バス停から100mくらいなので、近くと言えないこともないのであるが。登山口は帰りに気づいたのであり、「黍生山登山道」の入口は、左手の生コン工場、右手に歯科があるところだ。歯科を左に見て、その右手の道を上っていくのである。しかし、出発時は民家の軒先から登っていった。
先の「追分」交差点の前の集会所に隣接した「公衆便所」の前に駐車した。ここから歩いて「白鷺温泉口」バス停まで歩き、付近の登山口を探した。民家と民家の間の狭い坂道を登っていくと、それはお墓への道であったが、お墓の先の踏み跡をたどって、尾根に上がった。しかし、どうも眼下の田んぼを隔てた向こうの山が黍生山らしい。結局、この山の尾根を進むと、一旦、下ってしまう。下ったところに「黍生山登山道」の道標があった。この道標は珍しく、土管にペンキで描いたものであった。その土管には杖も用意してあった。15時09分にここから山道へ入った。なお、この手前に広場(空き地)があり、車はいくらでも駐車できる。この登り口には中部電力の鉄塔巡視路の案内板「NO.99、NO.100」がある。山道を登っていくと、15時11分に鉄塔に出る。NO.99鉄塔であろうか。さらに登って、15時14分には鉄塔巡視路案内板「越戸足助NO.99、NO.98」という看板のある分岐に出た。15時20分には尾根を乗り越し、「奥矢作東部線NO.46、NO.47」という案内板のところに出るが、この案内板には「←登山道」の板が付けてある。また、左下には谷が見えてくる。そして、15時23分にこの谷を渡る。渡るとすぐに「水場」があるが、飲む気にならなかった。ここは、2つの谷が合流する場所であった。ここから、左の谷の左岸沿いを登っていくことになる。15時26分に「鉄塔NO.47,45,46」の分岐があるが、NO.45の方へ登ると、15時27分には「鉄塔NO.45、46」の分岐に出る。ここから、鉄塔巡視路を離れ、谷の左岸沿いの道を登っていく。15時29分に谷の左岸から右岸へと谷を渡る。そして、坂を登ると、林道へ出た。林道を左へ行き、すぐに右の斜面へと山道を入る。15時38分に主尾根に出て、右へ曲がって行く。15時39分に黍生山山頂(374.4m)に飛び出した。山頂は広場になっているが、かつては、黍生城があった場所らしい。
15時47分に下山する。15時48分に主尾根から左へ曲がって下る。15時51分に林道へ下り立つ。林道を横断して、山道を下り、15時53分には谷筋に出て、15時54分に「鉄塔NO.45」への分岐を過ぎ、すぐに、「鉄塔NO.46」の分岐を過ぎる。そして、15時55分に水場を通過して、谷を渡り、15時57分には鉄塔巡視路案内板に付けてある「←登山道」の看板を過ぎる。16時00分には尾根を乗り越し、16時01分に鉄塔NO.98への分岐を過ぎる。16時03分には鉄塔の横を通り、16時05分に登山口に出る。復路は、ここから県道358号線へと未舗装の道路を下る。すぐに舗装が現れ、16時09分に県道358号線(月原近岡線)に出た。16時10分に国道153号と県道39号線が交わる「追分」交差点に着き、16時12分に駐車地点に戻った。
あと、飯盛山へも行こうとしたが、時刻が遅くなったので、今日はこれまでとして、帰路についた。帰宅は17時50分であった。