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おんな城主「直虎」ゆかりの地めぐり


平成29年04月08日(土)雨
 
静岡県浜松市
 

    おんな城主「直虎」ゆかりの地

    奥山氏居館跡(50m)

奥山城跡(50m)

方広寺三重の塔

井伊谷宮

龍潭寺

井伊谷城跡(4等三角点「北神宮寺」)(114.9m)

掛川古城跡(子角山)(50m)

龍華院(徳川家光の霊廟)

舟ヶ谷城山(80m)

天ヶ谷の城平

 

    平成29年4月8日(日)雨

静岡県浜松市・掛川市・御前崎市

 

 今日は天気予報では雨であった。普通なら骨休めとするところだが、雨であるからこそ大河ドラマ「直虎」のゆかりの地へ行こうと考えた。雨なので家事もできなおので家族にも気兼ねなく出かけられるという訳である。「直虎」ゆかりの地ならば、傘を差しても歩けるであろうという安易な考えのもとである。

 朝はそんなに早くはなく、6時24分に自宅を出発した。カーラジオでは掛川市、島田市、菊川市には「大雨警報」が出ていると報じていた。これは大変な天気だと思いながらも引き返そうとは思わなかった。6寺47分に関広見ICから東海環状自動車道に上がった。7時09分に土岐JCTを通過し、7時33分に豊田東JCTを通過した。そして、7時35分に岡崎SAに滑り込んだ。この付近では雨は小雨であった。さて、大休憩のあと、8時01分に岡崎SAを出発した。8時33分に浜松いなさJCTから三猿南信自動車道へ移り、浜松いなさICから流出した。インターを出ると、すぐに「奥山」の案内板が現れ驚くと同時に安心した。奥山氏居館跡は、奥山高原や富幕山にも近いのである。富幕山へ登りに来たときの記憶がよみがえって来た。

(右折して、方広寺への細い道へ)

(鋭角に右へ曲がるとすぐに三重の塔駐車場がある。)

(三重の塔)

(三重の塔の説明)

(方広寺遠景:駐車場から)

そうした案内板につられて、方広寺へも立ち寄ることにした。8時54分に方広寺三重の塔駐車場に着いた。方広寺は井伊家の一族奥山朝藤が後醍醐天皇の皇子・無文元選を招いて開創した、禅宗臨済宗方広寺派の大本山であり、井伊直政の実母は奥山家の出身である。こんなゆわれの寺であるが、三重の塔を見ただけで、本堂まではいかなかった。

(奥山氏居館跡)

(奥山氏居館跡)

(説明板)

(付近の地図)

(奥山神社)

(奥山神社)

その後、奥山氏居館跡を見学した。こちらは現在は高台があるのみでミカン畑となっている。県道303号線を挟んで、奥山氏居館跡と奥山神社がある。奥山神社前まで車で上がれるが駐車場はないと思われる。

(奥山地区集会所)

(奥山城跡があったと思われる高台:奥山集会所の裏山)

 さて、9時30分に車をスタートさせ、奥山地区を出発した。そして、9時40分に井伊谷宮駐車場に着いた。大河ドラマのおかげで案内看板が多くあり、迷うこともない。井伊谷宮は、「創立明治5年、後醍醐天皇第4皇子である宗良親王を祀る旧宮幣中社。学徳成就・家内安全などを願い、毎年多くの参拝者が訪れる。」とのことである。

(井伊谷宮駐車場のトイレ)

(井伊谷宮入口)

(駐車場にて)

(駐車場にて)

(井伊谷宮)

(井伊谷宮)

(井伊谷宮)

さて、傘をさして参拝し、9時50分に駐車場を出発して、龍潭寺へ向かい、9時53分に龍潭寺の駐車場に着いた。こちらは、説明も不要であろう。井伊氏歴代を祀る寺であり、龍潭寺庭園が有名だ。雨にもかかわらず、観光客がすごい。また、ボランティアの案内人もいらっしゃる。

(龍潭寺)

(龍潭寺にて)

(龍潭寺境内案内図)

(井伊家発祥の地)

(龍潭寺)

(龍潭寺の説明)

(龍潭寺)

(龍潭寺にて)

駐車場も無料なのはありがたい。しかし、本堂は拝観料がいるため入らなかった。さて、次は本日の本命である井伊谷城跡である。これも案内板により、地域遺構センター駐車場を利用する。私は、その隣の多目的研修センターの駐車場へ入れた。

(井伊谷城跡入り口)

(左へ進む)

(井伊谷城跡登り口)

(説明板)

駐車場からすぐに井伊谷城跡への道が始まる。登山道は山頂まで舗装されている。これも大河ドラマのおかげか。そのため、雨ではあるがドロドロにはなることはない。10時08分に傘をさして登っていく。しかし、風が強いので足元は濡れてしまう。

(井伊谷城跡)

(展望台)

(井伊谷城跡)

(4等三角点「北神宮寺」)

(4等三角点「北神宮寺」)

10時18分に山頂の土塁跡に出た。展望台がある。また、4等三角点「北神宮寺」(114.9m)もある。さらに井伊家の本城である三岳城跡も遠望できるポイントがあった。しかし、今日は雨天のため展望はきかない。なにせ、すぐ眼下の龍潭寺すら霞んでいるのだから。10時21分には下山し、10時26分には駐車場に下り立った。

 すぐに車をスタートさせ、今度は掛川古城(50m)へと向かった。浜松西ICへ上がるまでが相当渋滞した。11時05分に浜松西ICから東名高速に上がったが、三方ヶ原SICが開通していたのでこちらから高速に上がった方がよかった。その三方ヶ原PAで11時09分から11時12分までトイレ休憩した。相変わらず風が強く、時折雨も強くて慎重な運転を強いられる。11時31分に掛川ICから流出した。掛川城は案内もあり簡単に到着するが、今日は掛川城ではなく、その北東350mほどに位置する掛川古城が目的なのである。

(掛川古城=子角山山頂)

(子角山山頂にある展望図)

(龍華院にて)

(徳川家光霊廟)

(龍華院への登り口)

11時40分に龍華院の駐車場に着いた。この駐車場までの道路を狭くて普通車では通行は困難であろう。掛川城の駐車場に止めて歩いた方が無難である。掛川古城は、16世紀初頭、東遠江経営のために今川氏親(うじちか)の重臣朝比奈泰熈(あさひなやすひろ)によって築かれた。現在の掛川城から北東350mほどのところにある子角山(ねずみやま)(50m)に位置し、本曲輪(ほんくるわ)、二の曲輪、三の曲輪、北曲輪などいくつかの曲輪が残っている。11時45分に子角山山頂(50m)に出た。三角点はない。なお、子角山のとなりには龍華院があり、ここには徳川家光の霊廟がある。11時50分に下山して、11時54分に駐車場へ戻った。

 さて、今度は御前崎市の舟ヶ谷城跡である。カーナビは掛川ICから菊川ICまで東名を使うように案内するが、一般道を行くことにした。県道37号線を南下し、小笠南小学校の東側交差点を左折(「新野」という案内標識がある。)し、トンネルを抜けて御前崎市へ入り、椎野幼稚園交差点を北へ600m進むと津島神社がある。その津島神社の裏山が舟ヶ谷城跡なのである。なかなか津島神社がわからず、付近をうろうろしていたら、「佐馬武神社」「舟ヶ谷城山」「八幡平城跡」という案内板を見つけ、以後はそれらの案内板をもとに、舟ヶ谷城山登山口を見つけた。なお、駐車場は「空いているところをご利用ください。」という立て看板のある空き地を利用する。こうした地元のご厚意に頭が下がる思いである。

(舟ヶ谷城山の案内板)

(お堂の隣が駐車場です。)

(こんなやさしい看板があります。)

(登山口)

12時51分に駐車場をスタートし、12時56分に舟ヶ谷城山の登山口に着いた。相変わらず雨が降っていたので傘をさして舗装路を登っていく。

(ここまでは茶畑の作業道)

(説明板がある)

12時58分に舗装路の終点広場に出た。ここまで茶畑の作業道であろう。ここから登山道となる。

(北曲輪が山頂のようだ。)

(山頂にある案内板)

13時02分に「1号堀切」、13時05分に「2号堀切」を通過し、13時05分には左は「堀切」、右は「順路」という分岐に出たので、順路に従って進む。13時06分に「1号横堀」、13時07分に「2号横堀」、13時08分には「5号横堀」、13時09分には「6号横堀」、13時09分に「7号横堀」を通過し、13時10分に「北曲輪」という看板のある山頂(80m)に出た。「舟ヶ谷城山の案内図」があり、「見晴らし台」という看板とベンチがある。

13時14分には下山にかかった。往路をたどらず、そのまま先へ進むと、下りとなり、13時16分には茶畑に下り立った。ここからは舗装された作業道を下る。13時19分に一般車道に下り立った。

(下山した場所、この後、車道を歩いて駐車場所へ戻った。)

(対馬神社)

(対馬神社)

 車道を戻り、13時32分に駐車地点に戻った。今度は、すぐ近くの新野川を挟んだ対岸にある、佐馬武神社へ行くことにした。

(案内地図)

(佐馬武神社登り口)

(佐馬武神社)

(佐馬武神社)

佐馬武神社は、「新野こどもの里」の5差路のそばである。高源寺の駐車場を佐馬武神社の見学者用に開放している。13時41分に駐車場を出発した。13時44分に佐馬武神社の登り口に着いた。ここから山道を登り、13時45分に佐馬武神社(40m)に着いた。佐馬武神社は新野佐馬介のお墓である。13時47分に下山し、13時50分に登山口に下り立ち、13時51分に駐車場に戻った。

 13時52分に出発し、帰路に就いたが、すぐ先に「天ヶ谷城平」の看板を見つけ、興味を惹かれ、13時53分に「天ヶ谷城平」の看板に着いた。

 

(天ヶ谷の城平)

ここに駐車して城跡まで登らねばならないので、雨天でもあり今回はパスした。13時55分にスタートして、菊川ICを目指した。14時22分に菊川ICから東名に上がった。14時54分に三ケ日JCTから新東名へ移り、15時41分に豊田東JCTを通過し、16時09分に土岐JCTを通過した。この手前で燃料残量警告灯が点灯したが、構わず走行した。16時35分に関広見ICから流出した。そして、途中で給油し、17時03分に帰宅したのであった。

 

 

(データ)

高速代    5,420円

燃料代    3,910円

使用燃料   32.05g

走行距離  452.2km

平均燃費 14.1km/g

使用車     エブリー