カレンダー  岐阜県の山 東海の百山 ぎふ百山 続・ぎふ百山 日本百名山 愛知130山 岐阜県外の山 岐阜の山旅

榛名山(1,449m)
(掃部ヶ岳)

 


平成28年8月28日(日)
 
群馬県高崎市
 

武甲山(1,295.4m)200名山

2等三角点「点名:武甲山」

   

    榛名山(1,449m)200名山

    

   

 

平成28年8月27日(土)〜28日(日)雨

埼玉県横瀬町

群馬県高崎市

 

今回は、300名山の諏訪山と200名山の武甲山を計画していたが、天候が芳しくなく結局、武甲山と200名山の榛名山へ登ることとなった。

午前1時13分に自宅を出発し、関市へ向かう。1時39分に関市で同行者と合流し、美濃加茂ICへ。1時51分に美濃加茂ICから東海環状自動車道に上がり、3時06分に土岐JCTを通過し、3時08分に駒ヶ岳SAに着いた。ここでトイレ休憩と運転を交代し、3時14分に出発した。約1時間走行し、4時10分に八ヶ岳PAで運転を交代した。そして、4時31分に甲府昭和ICで流出した。当初の計画では、今日の登山予定は、諏訪山であったが、天気予報の関係で諏訪山は明日に回し、今日は武甲山に登ることにしていた。甲府市内で給油を済ませ、国道140号(秩父往還)を北上する。雁坂トンネル(有料730円)を抜けて、埼玉県に入り、秩父市街で国道299号へ右折し、さらに、西武秩父線の横瀬駅へと右折して、道なりに進む。西武秩父線のガード下を通り、武甲山を削っている石灰工業地帯を抜けて、一の鳥居へと上がって行く。6時44分に一の鳥居をくぐって、登山口の駐車場に着いた。先客が3台駐車していた。雨は、往路の途中から降り始めたが、この時点でも小雨が降っていた。天気予報でも降雨であったが、天気は次第に回復していくものと思っていた。

 

(一の鳥居の駐車場)

(駐車場側から一の鳥居を見る。写真の奥の鳥居をくぐって、駐車y増に入る。)

 

(登山道の案内図)

 

早速、雨具を着て準備をして、7時00分に出発した。まずは、駐車場の奥へと続く、林道を登っていく。川の合流点で、右岸から左岸へ渡るところで、車は通行止めとなっていた。

川を渡る橋にバリケードがあり、「この橋は歩行者用であり、車では通行できません。」という趣旨のことが書いてあった。その橋を渡って、林道を登っていくと、別荘のような建物がある横を通過していく。1棟には電気が点いていたが、住人が起きているのであろうか。さらに上には養魚場のような池もあった。7時05分には「5丁目」という石柱があった。以後1丁目ごとに石柱があり、山頂の御嶽神社が52丁目であった。

 

(8丁目にある道標)

 

7時10分には「8丁目」を通過した。ここには、「武甲山←→横瀬駅」という道標もあった。左下に沢を見ながら、さらに登っていくと、7時21分に「武甲山・大持山 登山コース」「大杉の広場 1000m 約50分」「武甲山 1295.4m 約1時間40分」という道標がある場所に着いた。

(15丁目付近にある道標)

 

(15丁目付近から階段状の本格的な登山道へ入る。)

 

ここから本格的な登山道となる。階段を上ったすぐ上に「15丁目」の石柱があった。雨具を着ているために暑くてたまらない。汗でメガネが曇り、見えないので汗とメガネを拭きつつ登る。7時31分に「18丁目」を通過し、10時18分に不動滝に着いた。

 

(不動滝)

(不動滝にある社)

 

この道は御嶽神社の表参道になっているので、登山道はよく整備されている。7時35分に「20丁目」を通過し、7時47分に「25丁目」を、7時56分に「28丁目」を、8時04分に「31丁目」を、それぞれ通過して、8時09分に「大杉の広場」に着いた。

 

(大杉の広場)

 

(大杉の広場)

 

ピッタリコースタイム通りであった。ここには「大杉の広場 ここまできたね、あと60分」「大杉の広場 1000m」「武甲山 約50分」「生川基点 515m 約50分」という道標があった。ここが中間点になるだろう。この表参道はずっと植林帯の中を登っている。8時30分に「40丁目」、8時40分に「43丁目」、8時54分に「48丁目」、9時00分に「51丁目」をそれぞれ通過した。

 

(51丁目にある道標)

 

「51丁目」には「シラジクボ 小持山 大持山 浦山口登山道」「武甲山山頂」という道標があり、近くにはトイレと展望台のような建物があった。また、目の前には御嶽神社が見えてきた。9時05分に御嶽神社に到着した。その左側を通り抜け、「第 展望所」の案内に従って、フェンスに沿って左の方へ登ると、9時07分に武甲山山頂に飛び出した。

 

(武甲山山頂)

 

(武甲山山頂の標柱)

 

山頂の北側は石灰岩の採掘のため削られている。その採掘地域はフェンスで囲まれている。山頂と三角点はそのフェンスの中にある。山頂の標柱は、山頂直下に立てられたものと思われる。実際、フェンスを乗り越えて、ピークに行って見ると、ピークにも赤い鉄柱が立ててあった。

 

(最高点)

 

さらにそこから少し下がったところに2等三角点「点名:武甲山」があった。

(2等三角点「武甲山」)

 

三角点からさらに下ると、「第2展望所」がある。つまり御嶽神社の右側を通って登ると、第2展望所へ出るのである。しかし、石灰岩の採掘のため、第2展望所は廃止(?)されているのである。そのため「第1展望所」の「1」の文字も消されたのであろう。そんなことを考えながら、御嶽神社まで下りて、神社の手洗い水の建物の下で休憩した。このころから雨が本降りとなってきたのだ。朝のうちは小雨で午後には雨は止むと予想していたが、まるで反対で、小雨が本降りに変わったのである。雨具は着けていても、汗で衣服はびっしょりと濡れていた。そのため、食事を摂ることもなく、9時36分には下山にかかった。登山道は、小川のように雨水が流れていた。タイムを記録するのもおっくうで、9時59分に「大杉の広場」まで下ってきた。10時18分に「不動滝」を通過し、10時22分に林道状の登山道に下り立った。「15丁目」付近である。そして、10時35分に登山口の駐車場へ戻ってきたのであった。雨の中の登山は疲れが倍加する。

 10時50分に車をスタートさせ、国道299号に出てから、少しだけ走って、「武甲の湯」の看板を見つけ、早速、入浴することにした。衣服がビタビタだったので、ゆっくりと温泉につかりさっぱりした。温泉内に休憩所もあったので、ここでおにぎりでも食べようとしたが、「飲食物持ち込み禁止」であったので、入浴のみにして、途中の道の駅で食べようとした。12時15分に「武甲の湯」を出発した。国道299号で志賀坂トンネルを抜け、神流町で国道462号に左折して、上野村へ入り、道の駅「上野」に着いた。おにぎりは途中の車中で食べていたので、道の駅では上野村のコンビニはどこにあると聞いたが、上野村にはコンビニはないという返事であった。ビールを買いたかったのであるが、道の駅には売っていなかったからである。今夜の宿はカーナビには電話番号で入力したらヒットしたので問題はなかった。しかし、この時間に行ってもチェックインはできないだろうと、思ったのである。JAの販売所でやっとビールを見つけたので、ビールとつまみを購入して、松川屋へ向かった。14時00分に旅館に着いた。おかみさんは昼寝中であったが、気持ちよく起きてくれ、部屋にも入れるとのことであった。

 この旅館は、82歳のおばさんが一人で切り盛りしておいでで、アットホームな宿であった。ビールを買い込んでいたので、すぐに部屋へ上がってビールを飲みたかったが、そうは問屋が卸さなかった。おかみさんが、まあ、上がってお茶でも飲んで、とおかみさんの部屋へ通され、手作りのお茶菓子ときゅうりの漬物を出された。お茶を一服して部屋へ上がろうとしたのであるが、おかみさんが旅館のこと、家族のこと、上野村のことなど、延々とお話をはじめ、2時間も付き合わされる羽目になった。上野村は、あの日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山のある村なのだ。墜落した時は、遺族や関係者、報道関係者などでごったがえしたとのこと。私は御巣鷹山へは登りに来ているので、その辺の事情は多少は理解できた。その後、旅館の経営の話から、おかみさんの旦那さんの話から、息子さんや家族の話へととんどん発展していったのである。

 ようやく16時ころになって、風呂が沸いたのを機に解放されたので、早速風呂に入って、ビールを飲んでいたところ、すぐに夕食ができたから食べてくれという。(自分の目にかなった)よいお客さんには、ビールを1本サービスするからと言われ、さらに明日は出発が早いので朝食は断っていたのであるが、赤飯を蒸してサービスだと言って持たせていただけた。その言葉どおり、1泊2食で6000円なので、朝食分500円を差し引いてくれた。

さて、そんな訳で、夕食はおかみさんの部屋で、おかみさんと一緒にいただくことになり、ここでもおかみさんの話が続き、食事の量も半端でなく、お腹いっぱいになってしまった。明日も天気は悪そうなので、「諏訪山」はあきらめて、「榛名山」へと変更した。諏訪山は厳しい山なので、雨の中での山行きは危険が増すので、もっと簡単に登れる山を、ということで近くの200名山である榛名山に変更した次第である。

 

 翌28日(日)は、3時51分に宿を出発した。前夜のうちに清算も済ませていたが、おかみさんは起きて見送ってくれた。県道45号線(下仁田上野線)で下仁田町へ出て、国道254号、県道10号線、国道406号、県道211号線、県道33号線と乗り継いで、榛名湖に出た。6時00分に国民宿舎榛名吾妻荘の前の無料駐車場に駐車した。無料駐車場にはトイレと東屋があった。また、すぐ近くに高崎市営の無料大駐車場もあった。さすがに観光地だけのことはある。しかし、国民宿舎榛名吾妻荘は、現在閉鎖中であった。

 

(無料駐車場とトイレ)

 

(駐車場を出発)

 

 小雨が降っていたので、今日も雨具を着けて、6時21分に出発した。6時24分に「掃部(かもん)ヶ岳登山口」「硯岩登山口」という看板のある登山口に着いた。

 

(吾妻荘の看板の向こうに登山口がある)

 

(登山口)

 

ここから登山の開始である。

 

(登山道に入ってすぐにある道標)

6時26分に「掃部ヶ岳 1.2km」「榛名吾妻荘 0.1km」という道標のある場所に来た。足元には笹が生えている急登をこなして尾根に出ると、そこは硯岩への分岐点であった。6時37分に到着である。

 

(硯岩への分岐点)

 

ここには「掃部ヶ岳 0.8km」「硯岩 0.1km」「榛名湖(吾妻荘) 0.5km」「榛名湖ふれあいの郷 0.6km」という道標がある。100mくらいなら硯岩へ寄ってもいいかとも思いましたが、この雨では展望もないだろうからとすぐにあきらめました。さて、尾根に乗ったのだから、ここから山頂までの800mは楽だろうと思ったのが大間違いであった。尾根を直登していく登山道は、足元には笹が群生し、木製の階段が作ってあるが、階段の踏み場の土が流出して掘れており、非常に登りにくい。ところどころには階段の横の笹原に踏み跡がついているので、そこを登ったが、いずれにしても雨の中ということも手伝って辛い登りとなった。

 

(湖畔の宿からの登山道と合流する)

 

6時58分にようやく分岐点に出た。「榛名湖 湖畔の宿 1.1km」「掃部ヶ岳 0.2km」「硯岩 吾妻荘」という道標がある。榛名湖畔から硯岩を経由せず、直登してくる登山道と合流しているのだ。木製階段の下りが、危ないと判断して、下山はこの道を使おうと思った。ここからは山頂まで200mの距離だ。

(掃部ヶ岳山頂)

 

7時09分に掃部ヶ岳山頂(1,449m)に飛び出した。「掃部ヶ岳 1449m」「(すもん)ヶ岳」「榛名湖」という道標がある。

 相変わらず小雨が降り続き、展望は全くない。それで、7時14分には下山にかかった。7時21分に硯岩方面の分岐点に出た。ここからの下山は榛名湖畔の宿方面の登山道を下った。湖畔の宿の裏手に出て、遊歩道を左へ進み、7時47分に高崎市営無料駐車場に下り立った。無料駐車場を横切って、7時50分にトイレと東屋のある無料駐車場に帰りつきました。早速、東屋で雨具を脱ぎ、着替えをした。

 8時10分に車をスタートさせ、一路帰路に就いた。帰路は、県道33号線で国道18号へ出て、9時03分に松井田妙義ICから上信越自動車道に上がった。9時10分から9時33分まで横川SAに立ち寄った。釜飯弁当を買おうとしたが、高すぎて買えなかった。あとは、帰るのみで、10時27分に姨捨SAで運転を交代し、10時29分に出発。11時30分に駒ヶ岳SAに着き、トイレ休憩と給油と運転を交代し、11時43分に出発した。12時44分に土岐JCTを通過し、12時58分に美濃加茂ICから流出した。13時15分から13時44分まで関市に立ち寄って、同行者と別れ、14時22分に帰宅したのであった。

 その後は、遅い昼食とビールを飲んで、無事帰宅できたことを感謝したのであった。

 

 

 

 (データ)

高速代     9,880円

ガソリン代   7,837円

走行距離   837.8km

使用燃料    65.57g

燃費    12.8km/g

車両       ラブフォー

宿泊費    12,000円(2人分、1泊夕食分)

食事代       961円

入浴代       800円

ロッカー代     100円