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金剛堂山(1637.8m)200名山
1等三角点「点名:金剛堂山」
前金剛(1637.7m)
中金剛(1,650m)
奥金剛(1,616m)
平成28年6月26日(日)曇り時々雨
富山県南砺市利賀村水無
今日は、200名山を登るため富山県に出かけた。先週は富山県の300名山へ登ったが、そのときは日帰りのため、併せて登れなかった山である。
計画より早く、2時37分に自宅を出発した。3時07分に美濃ICから東海北陸自動車道に上がった。睡魔に襲われ、3時48分から3時53分までひるがのSAで仮眠した。さらに松ノ木峠PAでも4時07分から4時09分まで休憩し、4時32分に白川郷ICから流出した。ここまでは順調であったが、この後、たいへんな目にあう。計画では白川郷から林道牛首線を通り、牛首峠を越えて、水無ダムのところで、県道34号線(利賀河合線)に出て、かつての水無地区を経由して、そこから林道を利用して、東俣峠へ至るルートを考えていた。それで、白川郷から牛首峠へ通じる林道入り口へ行くと、なんと!!林道は通行止めとなっていた。ゲートには鍵がかけられていないようで開けて入れないこともないが、予定のルートをあきらめて富山県側から入ることに変更した。国道156号へ戻り、北上して、旧平村から旧利賀村への案内標識により右折して、大山福光林道を通り、新山の神トンネルを抜けて、旧利賀村へ入った。トンネルを抜けて、突き当たったT字路が、県道34号線(利賀河合線)であるので、これを右へ行けば旧利賀村水無地区へ通じているが、ここでは左折して、国道471号へ出て、ここで右折して、新楢尾トンネルを抜けて、突き当たりのT字路を県道229号線へと右折した。後は1本道で、栃谷登山口に到着する。
(避難施設)
(登山口と駐車場)
(正面にある赤い橋を渡って、登山道が続く)
ここには、トイレや給水所、駐車場も完備されている。ここが金剛堂山への一般的な登山口なのである。しかし、往路の途中から雨が降り出して、この時点でも小雨が降っていた。天気予報では回復するようなので、そのうち止むだろうと思っていた。それもあり、今日は最短時間で登れるルートとして、東俣峠からさらに林道を走って、東俣登山道入り口から登る計画でいた。そのため、東谷峠を目指し、栃谷登山口からさらに奥へと車を進めた。未舗装の林道を登っていくが、相当な悪路である。砂防堰堤の工事中なので、多少は改修されているが、奥へ上がるほど道路状況は悪くなる。そのうち落石のため通行不能の場所が出てきた。それで、落石を取り除く作業を1人で行った。10分ほどの作業で落石はどけることができたが、この先、まだ落石があるかもしれないと思い、東俣峠への進入はあきらめて、栃谷登山口から登ろうと、ここから引き返した。しかし、あきらめきれず、路肩で待機していると、1台のハイエースが林道を上がって行った。その車も落石の場所から引き返してくると思ったが、まったくその気配がない。それで、あのハイエースが通れるなら自分の車は当然通れるはずと、ハイエースの後を追って、また、東俣峠へと上がって行った。落石現場は簡単に通過し、慎重に上がって行った。なんと、上部では舗装してある部分もあった。そんな具合に苦労して、東俣峠にたどり着いた。
(東俣峠)
(東俣峠にある案内図)
(東俣峠のトイレ)
(東俣峠にある道標)
(山菜採りの料金表)
東俣峠は四つ辻の広場になっており、道標、トイレ、入山監視所があった。山菜をとるために入山する人の監視所のようだ。地元地区の人は、1日1人1,000円、地区外の人は1日1日5,000円という看板がある。今は、山菜の採れる時期は過ぎたので、これらの看板や監視所は取り除かれるのであろう。
さて、ここから東俣登山道入り口までも林道が延びているが、ここからはさらに悪路となる。普通車でも通れないことはなかろうが、4WD車なら安全だろう。このことは想定していたので、今日は4WD車で来ており、何ら問題はない。それでも慎重に運転して林道を上がって行く。栃谷登山口から東俣峠まで約8km、この東俣峠からさらに約2km上がった林道の終点が東俣登山道入り口なのである。したがって、東俣峠に車を置いて、約2kmの林道を歩くのもよかろう。
(林道終点)
(道標)
林道の終点は、二股に分岐しており、左への林道は通行止めの杭が打ってあり進入できないが、少し先で行き止まりのようだ。右への林道は、東俣登山道入り口へ続いている。6時52分に到着した。予定のコースより相当遠回りしたが、結局予定より早く着いたのでよかった。
幸いにも雨は上がっていたが、露があるので雨具を着込んで6時57分に出発した。林道を少し下ると、「東俣口」という標柱があり、その左側に東俣登山道入り口がある。
(この標柱から登山道へ)
(林道から登山道への入り口)
6時59分にいよいよ登山道に分け入った。最初は下りであり、鞍部まで下ってから登りに転じるが、背丈以上に伸びた笹がうっとうしくて歩きづらい。7時03分にピーク@を超える。ピークといっても明確なピークではなく、その先で下りがあるので、ピークと認識しただけのことである。その後も、7時13分にピークAを、7時16分にピークBを、7時18分にピークCをそれぞれ超える。ここから金剛堂山の稜線が見えてくる。この先、明確なピークはないが、多少のアップダウンはある。そして、7時36分にピークDを越え、7時45分に平原へ飛び出したと思ったら、そこが奥金剛(1,616m)であった。ここには「利賀川水源地碑」がある。
(奥金剛)
(中金剛を望む)
金剛堂山は、南砺市(旧利賀村)と富山市(旧八尾町)の市境に位置する1等三角点の山である。江戸時代は加賀藩領と富山藩領の境界であったため、加賀藩では「金剛堂山」と呼び、富山藩では「西白木峰」と呼んでいた。
一般的に金剛堂山というと、1等三角点のある「前金剛(H=1,637.8m)」を指すが、前金剛から南に約520mの場所にある、「中金剛(H=1,650m)」が標高の一番高いピークである。また、中金剛の南には「奥金剛(H=1,616m)」がある。
一般的な栃谷登山口から登れば、前金剛、中金剛、奥金剛という順になるが、今日は東俣登山道から登ってきたため、奥金剛、中金剛とたどって、前金剛まで行くことになる。
そんな訳で、7時49分に出発して、中金剛を目指す。8時00分に中間にあるピークを越え、8時07分に中金剛に出た。
(中金剛)
(前金剛を望む)
中金剛は奥金剛から見るととがったピークに見えるが、山頂には「中金剛 1,650m」という札が木に取り付けてあるだけである。休憩場所もない。8時11分に出発し、前金剛へ向かった。
(記念碑)
途中に何かの記念碑があったが、何の記念碑なのかわからなかった。8時15分にこの記念碑を通過して、8時22分に「前金剛(1637.8m)」に飛び出した。
(金剛堂山)
(1等三角点)
ここは広場となっており、祠、方位盤、金剛堂の石柱、1等三角点がある。ここが金剛堂山であることを実感できる。雨は上がっていたが、帰りの落石や土砂崩れが心配であったので、8時28分には下山した。8時34分に記念碑のある場所を通り、8時39分に中金剛を通過した。この付近からまた雨が降り出してきた。しかし、下りだったので、先を急ぐしかない。登山道は雨水が流れており、ぬかるみで歩きにくいが、水たまりも構わず、登山靴のままジャブジャブ歩いた。8時44分に中間のピークを越え、8時55分に奥金剛まで戻ってきた。あとは、少しの登り返しはあるものの、下りのみである。9時01分にピークDを、9時11分にピークCを、9時14分にピークBを、9時17分にピークAを、9時29分にピーク@をそれぞれ通過して、9時32分に登山道から林道へ出た。トボトボと林道を上がり、9時34分に駐車地点に戻ってきた。ここに、3等三角点「点名:東俣(1513.3m)」があるはずであるが、この藪の中を探す気にもなれず、あきらめた。
雨具は経年経過のためか、服は下着までずぶぬれになってしまった。服を着替えて、9時54分に出発した。なんとか、無事に林道を抜けだしたかった。10時07分に東俣峠の四つ辻に出て、10時32分に栃谷登山口まで下ってきた。ここで一安心である。往路をたどり、11時18分に五箇山ICから東海北陸自動車道に上がった。12時02分にひるがのSAを通過し、ぎふ大和PAで、12時15分から12時27分まで休憩し、12時48分に古城山PAで最後の休憩をした。12時53分に美濃ICから流出した。途中で給油して、13時21分に帰宅したのであった。
データ
高速代 3,590円
燃料代 2,994円
走行距離 375.3km
使用燃料 26.5g
平均燃費 14.2km/g