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3等三角点「点名:易老岳」(2,254.5m)
易老岳(2,354m)「御料局三角点」
光岳(2,591.5m)「3等三角点「点名:光岳」」【日本百名山】
イザルガ岳(2,540m)「三角点はなし。」
平成27年7月19日(日)曇り後晴れ
長野県飯田市易老渡
海の日を含めたこの3連休は、「光岳」と決めていた。百名山完登に向けた最後の山である。以前にも2回計画していたが、登山口となる易老渡までの林道が通行止めとか、静岡県側からの登頂を計画すれば台風が接近するとかで、実行に至らず、近くて遠い山となり、百名山の完登の最後の山となっていた。
7月18日(土)〜20(日)で計画していた。しかし、今回も台風11号が接近し、台風は、17日に最接近し、四国、中国地方を縦断して日本海に抜けたのであるが、台風が通過して、南から暖かい風が吹き込んで大気の状態が非常に不安定だという。18日の飯田市の天気予報を見ても台風は東北沖へ進んでいるのにまだ雨雲がかかり曇り時々雨の予報だ。19日の天気も時々雨の模様である。そんな訳で迷った挙句、出発を1日遅らせることにした。ということは、21日(火)は休暇を取ることになる。
光小屋は、利用制限がいろいろある。19日(日)の予約をすると、定員40人のところすでに予約が45人あり、予約なしで宿泊する人もいるので、混雑を覚悟で来てくれという。20日(月)は9人ほどの予約だと言っていた。もし、光小屋で宿泊するにしても20日(月)の方がゆっくりと寝ることができそうだ。そんな訳で、19日(日)の予約を20日(月)に変更した。光岳そのものは、日帰りの予定であるが、宿泊予約はあくまで安全パイのつもりで、光岳へ登ったときの体調とか天気の具合で宿泊するかどうかの判断をするつもりである。
まえがきが長くなりましたが、19日(土)の12時25分に自宅を出発した。関市で同行者と合流し、13時23分に美濃加茂ICから東海北陸自動車道に上がった。美濃JCTで東海環状道に移り、さらに土岐JCTで中道道に乗り移る。13時55分に恵那峡SAでトイレ休憩し、14時06分に恵那峡SAを出た。14時36分に飯田ICで高速を下り、上村へ向かう。カーナビには下栗の里を入力していたが、思ったようなルートを案内してくれない。カーナビは無視して、三遠南信自動車道の矢筈トンネルへの最短ルートを走る。矢筈トンネルを抜ければすぐに国道152号である。飯田ICから約1時間かかる。今度は上島トンネルの手前から「下栗の里」とか「しらびそ高原」方面へと右折する。林道は上島トンネルの上部を通り、さらに上がっていくが、道幅はせまく、クネクネ道なので、慎重に運転する。しらびそ高原方面への分岐があり、その先には「この先落石が多く大変危険」と書かれた看板があるが、通行止めにはなっていないようだ。とにかく登山口の易老渡までの林道は落石が頻繁に発生し、通行止めになることもたびたびある。「いったん入山し、通行止めになると、数日閉じ込められることもある。」とも看板には書かれている。あとは、運を天に任せるしかない。ところが、ここにきて、雨が降り出した。発電所がある北又渡あたりからは、本格的な土砂降りとなった。こんな様子で明日は登れるのか、ますます心配になってきた。もし明日の朝も雨なら、登山は中止してこのまま帰ろうと考えていた。そんな不安を抱きながら狭隘な林道をさかのぼっていく。路面にはすでに小さな落石がある。なんとか、16時14分に易老渡に着いたが、駐車場はほぼ満車で路上駐車もあふれていた。こんな天気でも3連休なので登山者が多いのであろう。ここ易老渡は光岳の登山口であるが、駐車場とトイレはあるが、休憩舎はないので、さらに奥へ進み、16時21分に聖岳の登山口である便ヶ島まで入った。便ヶ島には聖光小屋があり、炊事場や水洗トイレもある。テント場になっているのだ。便ヶ島の聖光小屋は、休業中であった。テント場には登山者の車が数台あり、休憩舎では登山者がテントを張っていた。テントは休憩舎の外に張ってもらいたいものだが、この天気ではやむを得ないか?なんとか相席で休憩舎内のテーブルを確保できた。我々とて雨の中にテントを張って夕食をとるのも面倒であった。車の中で夕食をとることも考えたが、相席にしてくれたので助かった。なんでもこの相席の女性は、新潟の人で、明日から1週間ほどかけて、テントを担いで光岳から南アルプスを北上縦走するのだそうだ。まったくすごいと思う。女性の単独で縦走とは・・・私も見習いたいものだ。
早速、単独女性と山談義をしながらビールを飲んだ。後1座で百名山達成だと離したら、喜んでくれた。夕闇が迫ることには宴会はお開きとなり、お互いに健闘を祈りつつ、テントと車中に入って就寝した。
夜中にトイレに起きた時は、雨は降っていなかったが、0時ころに起きようかと寝覚めた頃には、車の屋根をたたく雨音が聞こえたようだった。それでまたウトウトしていた。それでも予定では2時出発であったが、出発はすこしでも早い方がいいだろうと、0時30分には起床した。幸いにも、雨は止んでいた。そして、準備をして、1時00分には便ヶ島を出発した。易老渡まで来て、駐車場を探したら、幸いなことに1台分だけ空いていた。ラッキーであった。路上駐車をしなくて済んだ。深夜のこととて外には誰もいないが、我々はヘッドランプの光を頼りに準備をして、1時23分に駐車場を出発した。下流側へ少し歩くと、登山口があり、鉄製の橋がある。1時25分にこの橋を渡って、左岸側へ移る。橋の手すりに「面平←@→易老渡」という看板がかかっていた。実はこの登山道は、急登の直登であり、易老渡から面平までは、1/10〜10/10まで番号が着いた看板があり、面平から易老岳までは、「面平←J→易老岳」のように11/30〜30/30まで番号が書いた看板が付けてあるのだ。ペース配分には十分役に立つだろう。そんな訳で、1時35分にA番を、1時42分にB番を、1時48分にC番を、1時56分にD番を、2時02分にE番を、2時10分にF番を、それぞれ通過した。長丁場なので、気は焦っても胆力を温存させるため、体がいうことを聞かず、スローペースで進んだ。小さなコルを越え、2時24分にG番を通過した。ここまで約1時間かかっている。コースタイムでは「小さなコル」まで1時間15分となっている場所だ。
樹林帯の中の急登であるが、今日は暑いこと暑いこと、汗が噴出し水は2.5gを用意していたが、500ミリgのペットボトルはすぐに空になった。それでも登らなければならない。そして、面平には2時55分に到着した。登山口から1時間30分である。コースタイムは2時間のところだ。これなら、まあ、順調だろう。このまま行けば日帰りができると思った。3時04分に面平を出発した。すぐに倒木をくりぬいた登山道があり、そこにJ番ポイントがあった。易老岳の30番ポイントまで続く。その後、3時15分にK番を、3時25分にM番を、3時30分にN番を、O番とP番は見落とし、3時59分にQ番を通過した。この先すぐに小広場があった。急登の連続する登山道に平坦な広場があるのだ。まだ暗いため、登る方向を失ったがすぐに発見できた。
(R番の看板)
4時10分にR番を過ぎて、4時24分にS番に着いた。急坂の途中であったが、ここで小休止し、4時35分に再出発した。以後も樹林帯の中のがまんの急登が続き、4時45分に「21番」を、4時50分に「22番」を、5時00分に「23番」を、5時08分に「24番」を、5時23分に「25番」を、5時31分に「26番」を、それぞれ通過した。もうそろそろ三角点があるはずだが、と思いつつ進むと、ピークのような平坦地に出て、そこに3等三角点「点名:易老岳」(2,254.1m)があった。
(3等三角点「点名:易老岳」)
(3等三角点「点名:易老渡」)
5時37分に到着した。この急登を登り切った稜線上に易老岳があるが、三角点は登山道の途中にあるのか。さて、5時42分に再出発した。すぐの5時46分にはロープのある岩場に差し掛かった。このコースの唯一の危険個所か?簡単に通過し、5時48分には「27番」を通過し、「28番」は見落としたが、6時00分に「29番」を通過した。そして、6時07分に茶臼岳と光岳との分岐点に出た。
(易老岳にある御料局三角点)
(易老岳)
分岐点のすぐ先10mほどに易老岳山頂(2,354m)があった。三角点はなく、かわりに御料局三角点と山頂標柱があった。6時08分に到着である。展望はない。さて、分岐の標柱には、「茶臼岳160分、易老渡170分、光小屋160分」となっており、別の看板に「光岳2:40」というのもあった。ここまでに水は2リットルを飲み干していた。あと500ミリリットルしかないが、水場である静高平まで持つかどうか?そんな不安があった。
(易老岳の分岐)
(道標)
大休止しようとしたが、先の長さを考えると落着けない。計画より30分早く出発したこともあって、ここで計画より1時間30分早かったので、これなら日帰りが十分可能であろうと判断していた。体力も温存してきたこともあり、先を急ぐことにして、6時14分にここを出発した。ここからは、最低鞍部の三吉平までの下りになる。三吉ガレを通過し、7時02分に三吉平に着いた。樹林の中である。ここで休憩し、これからの登りに備えた。7時12分に出発し、涸れ沢のガレ場を登っていく。コースタイム1時間の登りである。7時35分に中間点に着いた。「三吉平0:20←→静高平0:45」という看板があった。何かこの付近から雲行きが怪しくなり、雨が降りそうな気配がしてきた。そんな中、登り続けて、8時04分に静高平に出た。
(静高平)
(水場)
「三吉平0:40←→光小屋0:20」という看板がある。待望の水場である。水は2.5リットルを飲み干していたので、非常に助かった。「ここで、水が汲めるときは、光小屋では水をお分けしません。」という看板があった。空になった2.5リットルのペットボトルに水を満タンにした。
8時13分にここを再出発した。8時19分に「イザルガ岳」への分岐があった。往復15分と書いてあったが、天気が良くないので、先に光岳へ行くことにして、直進した。ここから木道が現れた。ほぼ平坦な道である。8時27分に光小屋に着いた。小屋では休憩せず、そのまま光岳へ向かった。8時33分に小屋の背後のピークに出た。
(分岐の標柱)
ここには、分岐の標柱があった。「光小屋5分、柴沢吊橋280分、光岳15分」となっていた。ここから小さなアップダウンを繰り返しながら、光岳方面へ向かう。8時46分に光岳山頂(2,591.1m)に出た。
(光岳山頂)
(3等三角点「点名:光岳」)
(山頂標)
(百名山完登)
(光石)
(展望台の御料局三角点)
ここには、3等三角点があるが、点名も光岳である。山頂には単独行の男性がいた。そして、ほぼ同時に後から単独行の男性が上がってきた。「祝!百名山完登!」の「たれ」を掲げて、写真を撮ってもらった。単独行のお二人には「おめでとう!」と言われた。「展望台10m」、「光石7分」という看板があったので、展望台まで行くことにした。展望台には御料局の三角点があり、西方面、南方面の素晴らしい展望である。眼下に光石が見えた。相当下方に見えたので、7分ではいけないだろうし、帰りの登りが辛そうだったので、光石へは行かずに引き返した。
9時10分に下山にかかった。9時19分に柴沢吊橋への分岐を通り、9時23分に光小屋まで戻ってきた。
(富士山)
(富士山)
(光小屋)
(光小屋)
(光小屋)
心配した雨は降らず天気は回復し、ここから富士山の素晴らしい展望があった。それで、帰りにはイザルガ岳にも登ることにした。ここでトイレを拝借し、日帰りするのでと、今日の予約はキャンセルした。9時27分に出発し、9時37分にイザルガ岳の分岐に着いた。
(光小屋と光岳)
(イザルガ岳への分岐)
ここからイザルガ岳への登りにかかり、9時46分にイザルガ岳山頂(2,540m)に出た。イザルガ岳の山頂は、広いガレ場となっており、360度の展望がある。もちろん富士山もきれいに見えた。
(富士山)
(富士山)
(聖岳)
(イザルガ岳にて)
ここでは富士山を見ながら、おにぎりをほおばり休憩した。10時03分に下山し、10時09分に「イザルガ岳」分岐まで戻ってきた。後は、とにかく易老渡へ向けて下るのみだ。10時14分に静高平を通過した。足元の悪いガレ場を下り、10時31分に「三吉平0:20←→静高平0:45」の看板の場所を通過した。10時48分に三吉平へ下り立ったので、小休止した。10時55分に再出発した。ここから易老岳までは、苦しい登りとなる。ちょうど1時間かかり、11時56分に易老岳に着いた。12時10分に出発し、急降下の下りになった。こんなところを登ってきたのかと疑うような急な下りである。とにかく番号を拾いながら確実に下るしかない。12時14分に「29番」を、12時21分に「27番」を、それぞれ通過し、12時25分にはロープのある岩場を通過した。12時27分に3等三角点「点名:易老岳」まで下ってきた。後は、黙々と下る。12時30分に「26番」を、12時35分に「25番」を、12時42分に「24番」を、12時47分に「23番」を、12時53分に「22番」を、12時55分に「21番」を、それぞれ通過して、13時00分に「S番」に下り立った。ここで10分休憩し、13時10分に出発した。この調子なら15時までには下山できるだろう。13時15分に「R番」を過ぎて、さらに小さな広場も通過し、13時19分に「Q番」を、13時27分に「O番」を、13時32分に「N番」を、13時37分に「L番」を、13時40分に「K番」を、それぞれ通過し、13時45分に面平に下り立った。ここまで来て初めて安堵の表情となった。あと1時間で登山口まで下ることができるだろう。最後の休憩をして、13時53分に出発した。14時05分に「H番」を、14時09分に「G番」を通過すると、小さなコルを越えて、14時16分に「F番を」を、14時21分に「E番」を、14時24分に「D番」を、14時30分に「C番」を、14時34分に「B番」を、14時38分に「A番」を、それぞれ通過して、14時45分に橋を渡った。林道を登り、14時47分に駐車場に戻ってきた。予定より3時間35分ほど早かった。これなら十分明るいうちに帰宅できるだろう。
15時13分に車をスタートさせた。とにかく一刻も早く落石が頻繁にある林道を脱出したかった。15時58分に上村地区まで出て、16時45分に飯田ICから中央道に上がった。ところが恵那ICから瑞浪IC間で渋滞にはまり、結局、18時13分に美濃加茂ICから流出した。18時36分に関市で同行者と別れ、19時06分に帰宅したのであった。とても疲れたので、入浴後百名山完登の祝杯のビールを少し飲んだだけで、すぐに寝てしまった。
データ
走行距離 329.6m
使用燃料 42.11g
燃料代 5,811円
平均燃費 7.8g/km
高速料金 1,950円×2=3,900円