![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
小石下(1,586.4m)
蕨段(2,073.2m)
千枚岳(2,879.8m)
丸山(3,032m)
悪沢岳(3,141m)
荒川中岳(3,083.2m)
荒川前岳(3,068m)
小赤石岳(3,081m)
赤石岳(3,120.1m)
平成26年8月30日〜31日
静岡県静岡市葵区井川
南アルプスの百名山である、荒川岳と赤石岳へ行く計画を立てた。いつ実行するのか、その機会を狙っていた。この縦走路は、昨年9月の連休に挑戦し、天候悪化により撤退してきた経緯がある。そのリベンジなのである。
前日の夜に出発する計画であったが、天気予報がよろしくないので、ギリギリまで迷っていた。もう1つの候補である間ノ岳方面の天気予報も比較しつつ、天気のよい方へ行こうと思っていた。しかし、静岡市の葵区も山梨県南アルプス市もどちらも芳しくないので、結局、今回も断念せざるを得ないか?と思った。それでもあきらめきれず、29日(金)の19時の天気予報をチェックすると、南アルプス市は雨の予報であるが、静岡市葵区は「雨」の文字があるものの、雨は30日の深夜・早朝のみであとは曇り、31日は曇り、1日は曇り一時雨であった。
そんな訳で急きょ悪沢岳・赤石岳への縦走に行くことに決めた。すぐに仮眠に入り、30日(土)の出発は1時15分となった。
1時15分に自宅を出発、1時30分に関ICから高速に上がった。1時59分に土岐JCTを通過、2時25分には豊田JCTから東名高速に移った。さらに2時57分に三ケ日JCTで新東名に入った。3時12分に浜松SAに立ち寄った。そして、3時17分に出発し、3時54分に静岡SAにもトイレ休憩のため立ち寄った。ここのコンビニで朝食と昼食用におにぎりとランチボックスを購入した。そして、4時14分に出発し、新静岡ICで高速を下りる。あとは、県道27号線を安倍川に沿って北上し、油島で左折して、さらに落合で県道27号線と分かれて直進し、県道189号線へ入る。あとは一本道で横沢を通過し、くねくねと登っていき、笠張峠を過ぎると県道60号線に合流する。するとすぐに富士見峠の駐車場を過ぎる。南アルプス玄関口「富士見峠PAがある。ここには、駐車場とトイレがある。遊歩道もあるようだ。さて、ここからくねくねと下っていくと井川ダムに着く。井川ダムの堰堤上を渡り、接岨峡からの道と合流して、井川地区へ向かう。井川観光会館を左に見て通過し、田代温泉(赤石温泉)の「白樺荘」も通過して、6時10分に臨時駐車場に着いた。なんとか東海フォレストの送迎バスの始発である8時00分には間に合った。もっと早い時刻に臨時便が出ることを期待して、すぐに車内で就寝した。
(臨時駐車場入り口)
(臨時駐車場)
7時00分には起きだし、駐車場の仮設トイレを使い、コンビニで購入したおにぎり2個の朝食をとって準備をしていた。
(駐車場のトイレ)
(送迎バスの案内所)
(送迎バス)
しかし、臨時バスは来ず、結局、8時00分の定刻どおりの発車となった。切符はどのように買うのかと聞くと、並んだ順番に今日の行先(宿泊場所)、食事の有無を尋ねるので、バス代3,000円を用意してくれという。この3,000円は、山小屋での宿泊代に充当することができる。それで、1番目で予定通り千枚小屋、素泊まりと答えて、3,000円を払ってバス券を購入し、バスに乗り込んだ。
東海フォレストのバスは、聖岳への登山口で乗客を降ろしながら、9時00分に終点の椹島に着いた。
(椹島の登山口方面)
(椹島の看板)
バスを下り、早速準備を整えて、9時04分に出発した。
(鳥居の横の登山口)
(道標)
椹島を奥へと進んで、鳥居の左側を通り、山道へ入る。
(林道にある道標)
そして、9時09分に車道へ出た。先ほどバスで通った道だ。ここから未舗装の車道をさらに奥へと進んで行くと、青い滝見橋がある。
(滝見橋の手前から左へ入る)
(登山道の入口)
9時14分にこの橋の手前で左へ入る。ここから登山道である。右岸沿いに登って行き、9時20分に吊り橋に出る。
(吊り橋)
吊り橋を渡って左岸へ出ると、しばらくはトラバース道であるが、その後岩場の急登になる。
(標高1300mの看板)
9時42分に「1/7 標高1,300m」という看板のある岩場を通過した。喘ぎながらこの急登を登り切ると、9時53分に左側に鉄塔が見えた。「NO.22鉄塔」である。この付近は平坦地であるが、すぐに坂道となり、この坂道を登り切ると、10時01分にピークに出て、ここに「NO.21鉄塔」がある。
(NO.21鉄塔)
この鉄塔の下をくぐって、道は下りとなり、岩場を下る。10時09分に「岩頭見晴」を通過し、下ってから登り返すと、10時26分に林道へ出る。
(林道へ出る)
ここまでに水1リットルを消費した。林道を右へ進んで行くと、左側に鉄梯子があり、千枚小屋の案内がある。
(ここから再び登山道へ)
10時27分にこの鉄梯子を登ると、ジグザグの急登になる。
(標高1500mの看板)
10時42分に「2/7 標高1,500m」の看板を通過した。
(小石下の三角点にある標柱)
10時48分に「小石下」という三角点のピークに出た。ここには「椹島1時間30分、千枚小屋4時間30分」という道標がある。10時52分にここを出発した。
(再び林道を横断)
この先、11時09分に林道を横断した。ここまでにさらに水500ミリリットルを消費した。ここからは、緩やかなトラバース道である。11時55分にやっと「清水平」に着いた。冷たい水が出ており、ここで、水1.5リットルを補充した。「4/7 標高1,900m」という看板があるが、「平」とは名ばかりの斜面の途中である。ここで、おにぎりを2個食べて休憩した。
12時13分に出発し、12時54分に蕨段に到着した。
(蕨段の説明板)
(蕨段の標柱)
(蕨段の三角点)
前回は気づかなかったが、ここには、三角点があるので写真を撮った。また、「椹島3時間、千枚小屋3時間」という標柱もあった。12時57分に出発し、さらに、13時07分に「5/7 標高2,100m」の看板を通過し、13時10分に「見晴台」に着いた。
(標高2100mの看板)
(見晴台)
(見晴台にある千枚小屋への看板)
清水平で追いつかれた2人パーティと抜きつ抜かれつしてきたが、この当たりでは完全に自分が先行する形となっていた。
(木馬道跡の看板)
13時29分に「木馬道跡」の看板を通過し、13時42分に「6/7 標高2,300m」の看板を通過した。
(標高2300mの看板)
さらに14時12分に「古い伐根と樹木」という看板の場所を通った。
(古い伐根と樹木の看板)
そして、14時22分に「駒鳥池」に着いた。ここには、「千枚小屋1時間、椹島4時間」という標柱がある。
(駒鳥池)
(駒鳥池の説明板)
(駒鳥池の標柱)
14時34分に「管理道路」への分岐を通過した。
(管理道への分岐の標柱)
14時57分に「7/7 標高2,500m」の看板を通過した。
(千枚小屋)
そして、14時59分にやっと「千枚小屋」に着いたのであった。ここまでにさらに水500ミリリットルを消費した。当然に小屋の前で水を補給した。
予定通り、今日はこの千枚小屋に泊まることにした。それだけ疲れていた。前回のペーストほぼ同じであった。これでは、荒川小屋どころか中岳避難小屋へも行けやしない。体力が落ちたものである。
(百枚小屋)
(百枚小屋の内部)
そんな訳で、千枚小屋で素泊まりの手続きをとった。素泊まりということで、「百枚小屋」をあてがわれたが、小屋にはまだ、まだ誰もいなかった。それで荷物の整理をしていたら、清水平であった2人パーティが入ってきた。その後、どんどん到着して、百枚小屋は10人ほどになった。それでも満杯ではなく、広々とし、ゆっくりと休むことができた。
明日の長丁場に備えて、十分な休養が必要であったので、早速、夕食を作って食べて、就寝した。しかし、他の登山者も夕食や談笑していたので、なかなか寝付けなかった。外では、雨が降ったりやんだりしていた。時折、強く降ったりして心配であった。結局、熟睡することはできず、完全回復とはいかなかったが、1番乗りで出発した。朝食はコンビニで購入したパン(ランチボックス)2個とした。雨は幸い止んでいたら、木々には露があるので、雨具を着こんでヘッドランプを点けて出発することにした。
出発は、3時00分の予定であったが、3時32分の出発となった。
(二軒小屋への分岐)
3時59分に「二軒小屋」への分岐に出た。「千枚小屋0.6km、千枚岳0.3km」という道標がある。このすぐ先で稜線へ出て、4時20分に千枚岳(2,880m)に到着した。
(千枚岳)
(千枚岳の三角点)
まだまだ真っ暗であった。長居は無用と、4時27分に出発した。この先、急な岩場の下りがあり、相当緊張した。慎重に、とにかく慎重に岩場の尾根を通過し、5時26分に丸山(3,032m)に立った。
(丸山にて)
「荒川中岳避難小屋120分、千枚小屋90分」という標柱がある。東の空が明るくなり、富士山が見えてきたが、山頂付近は雲に隠れていた。ここでも、パン(ランチボックス)2個を食べてから、5時39分に出発し、いよいよ悪沢岳(荒川東岳)を目指した。ここから悪沢岳までは岩場の連続である。
(悪沢岳(荒川東岳))
そして、6時10分に悪沢岳(3,141m)に立つことができた。ここまでに水500ミリリットルを消費した。
(富士山)
このころには明るくなって、富士山も雲が取れてきれいな姿を見せていた。6時18分に出発し、荒川中岳へと向かった。下りはいいが、登りになるととたんにペースが遅くなる。天気がよくなり太陽も顔を出してきたので、途中で、雨具を脱いで着替えをした。このため、7時02分から7時19分まで休憩した。少し登っては、すぐに休み、また、少し登っては休み、を繰り返しながら、なんとか7時32分に荒川中岳避難小屋に着いた。
(荒川中岳避難小屋)
(荒川中岳)
(荒川中岳の三角点)
その横を通過して、7時36分に荒川中岳(3,083.2m)に立った。空は晴れ渡り、すばらしい展望が広がっていた。7時42分に下山し、今度は前岳へ向かった。前岳までは近い。
(荒川小屋への下降点)
7時45分には荒川小屋への下降点に着いた。
(荒川前岳)
7時51分に前岳(3,068m)に着いた。ここで、予定よりも40分遅れであった。出発の遅れを取り戻すどころか、どんどん遅れが広がっていく状況である。さて、ここを7時55分に出発し、荒川小屋へと向かった。7時58分に稜線から荒川小屋への下降点を通過して、急な斜面を下った。
(荒川小屋が見える)
8時26分に荒川小屋が見えるようになると、「荒川中岳避難小屋60分、荒川小屋30分」の道標がある場所に着いた。まだ、30分もかかるのかと思いながら先を急ぐ。
(荒川小屋)
8時45分に荒川小屋に下り立った。ここまでにさらに水500ミリリットルを消費した。小屋から3分の水場に下りて、水を1.5リットル補充した。この荒川小屋の出発は、8時56分であるが、登りはきつくて、9時20分から9時25分まで休憩し、その後も休み休みしながら登って行った。
(大聖寺平の標柱)
(大聖寺平の標柱)
9時37分に大聖寺平に到着した。ここは、広河原小屋からの登山道が合流するはずであるが、道標は古くなっていた。いまは、あまり使われていないようだ。新しい道標は「荒川小屋1.3km30分、赤石小屋4.4km210分」となっており、広河原小屋への案内はない。さて、9時43分に出発し、いよいよ、赤石岳への急斜面の登りに取り掛かった。しかし、ここが一番きついところであった。9時55分から9時58分、10時12分から10時15分、10時26分から10時29分、10時39分から10時41分、10時50分から10時51分、11時13分から11時15分、というように10分登っては2分休みを繰り返しながら、なんとか登りきった。
(小赤石岳)
11時23分に小赤石岳(3,081m)に立つことができた。ここには三角点があるはずだが見つからなかった。この頃からガスがかかり始め、赤石岳も見えなかった。
(雷鳥)
(雷鳥)
11時31分に出発し、途中で雷鳥のつがい?親子?を見ながら、11時43分に赤石小屋への下降点に着いた。ここに荷物をデポして赤石岳へ向かおうとしたが、「盗難注意」の看板があったので、荷物はそのまま背負っていくことにした。そのためなのか、赤石岳への最後の登りがきつくて、11時59分から12時01分まで休憩し、なんとか、12時09分に赤石岳(3,120m)に立つことができた。
(赤石岳)
(赤石岳の三角点)
(赤石岳避難小屋)
すぐ下には「赤石岳避難小屋」があった。外観では中岳避難小屋より新しいようだ。山頂で休憩中に数人の登山者が登ってきた。ここで、昼食用に持参したパンを2個食べた。
(雷鳥)
(雷鳥)
山頂のすぐそばにも雷鳥が4羽現れた。我々を歓迎しているのであろうか。周囲はガスのためなにも見えないので、12時26分に下山にかかった。ここで、予定より1時間の遅れであった。しかし、山頂の案内板には、百闢エ山の家へも荒川小屋へも赤石小屋へもいずれも2時間と書いてある。それなら14時30分に赤石小屋に着くはずであり、場合によっては、一気に椹島までも下れないかともくろんだがそんなに甘くはなかった。12時39分に赤石小屋への下降点に着いた。ここから急な斜面を下ることなる。下りきったところが砲台休憩所であろうか。13時11分にたどり着いた。ここからは、トラバース道となる。しかし、多くのアップダウンがあり、疲れた体にこたえる。13時26分から13時29分まで休んだが、ここまでに水500ミリリットルを消費した。さらに、13時40分から13時43分までも休憩し、14時11分に富士見平に出た。
(富士見平)
「赤石小屋30分、赤石岳避難小屋150分」という標柱がある。しかし、ガスのため展望はなかった。ここから一転、下りとなり、14時38分に赤石小屋にたどり着いた。予定より10分遅れに戻っていた。赤石小屋の前には「赤石岳3時間、椹島3時間半」の道標があり、18時08分には椹島に下りられる計算になるが、足に相当な疲れがきていたので、予定どおり、赤石小屋に泊まることにした。小屋から10分のところに三角点があると案内板があったので、確認に行きたかったが、看板に気づいたのが遅く、夕食時間に遅れそうだったので三角点は諦めた。明日の始発(6時30分発)の送迎バスに乗るためには、3時00分に出発すればいいのであるが、余裕を見て2時00分に出発することにしていた。今日は食事つきの宿泊なのでゆっくりと休めるであろう。ただ、天気予報によると、降水確率は80%ということで雨中の下りとなることは間違いなかった。夕食は17時00分からで、生姜焼き定食であった。大枚800円をはたいて、エビスビール500ミリリットル缶を飲んだ。まだ、早いが百名山97、98座目の完登を祝ってのことである。食後は、すぐに就寝した。今日は3人分のスペースに2人であったので、安眠できた。ただ、ツアー客が大声で談笑していたのでうるさかった。20時00分の消灯後はさすがに静かになってよかった。
さて、最終日の9月1日は、1時22分に起床し、1時46分に下山にかかった。雨は小雨が降っていたので、雨具を着けて、ヘッドランプを点けての下山である。2時05分に「赤石小屋まで30分」の看板を通過し、3時04分には「椹島ロッジまで90分、赤石小屋まで120分」の標柱に着いた。ここが蕨段かと思ったが、どうも違うらしい。ここまでに水500ミリリットルを消費した。雨は霧雨が降ったりやんだりの状態であった。そんな中、3時27分に「蕨段」という看板のある場所に下り立った。ここまで1時間30分で下山できると見込んでいたが1時間40分であった。さらに先を急いで、3時45分に林道跡のような場所に下り立った。ここからは、早いだろうと思ったが、足の疲れがひどく、2度も転んでしまった。その後は、余計に慎重になり、スローペースとなってしまった。そして、4時20分に「椹島 1/5 赤石小屋」という看板の場所を通過し、4時49分に林道の登山口に下り立った。どぼとぼと林道を歩き、4時56分に椹島ロッジに着いた。結局、赤石小屋から2時間半どころか、3時間10分かかったことになる。椹島ロッジの休憩室で、赤石小屋で作ってもらった弁当を食べた。さらにパンを2個食べた。
予定通り、下山の送迎バスは、6時30分に出発した。乗客は、椹島ロッジに宿泊し、聖沢登山口まで行くという3人と自分の4人だけであった。3人は聖沢登山口で下車したので、あとは自分1人だけでとなった。バスは予定どおり7時30分に臨時駐車場に着いた。駐車場ではこれから入山する登山者がたくさん待っていた。
さて、登山装備を解いて、7時40分に車をスタートさせた。9時23分に新静岡ICから新東名高速道に上がった。富士見峠付近から「給油」ランプが点灯し、ヒヤヒヤであったが、なんとか静岡SAのガソリンスタンドまでたどり着くことができた。9時36分に静岡SAに着いた。早速、20リットル給油した。単価が高いので帰宅できる最少限度の給油にしておいた。しかし、単価が10円高いと言っても、20リットルなら20円の違いだ。給油後、土産を買って、10時12分に出発した。10時31分に掛川PAに立ち寄り、最後に残ったパンを食べた。10時39分に出発、以後、11時06分にいなさJCTを、11時15分に三ヶ日JCTを通過した。そして、睡魔に襲われ、11時30分から11時34分まで赤塚PAで休憩した。その後は順調で、11時55分に豊田JCTを、12時23分に土岐JCTを、12時46分に美濃関JCTを通過し、12時51分に関ICから流出した。給油後、13時20分に帰宅したのであった。三田洞神仏温泉に行こうと思ったが、残念ながら1日は休館日であった。
高速料金は、2,930円(深夜割引)+4,180円=7,110円
総走行距離は、681km
使用燃料は、47.62リットル
燃料代は、7,839円
平均燃費は、14.3km/リットル
千枚小屋(素泊まり) 5,500円
赤石小屋(夕食+弁当) 9,100円
ビール(500ミリ缶) 800円