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皆子山(971.5m)
平成26年4月12日(土)晴れ
滋賀県大津市
今日はとにかく皆子山へ行くんだ!!と決めていた。同行者はN氏とK氏である。同行してくださることに感謝!感謝!である。お二人の同行のおかげでこの皆子山への山行きが実現したことに何の疑いもない。
そんな訳で、6時30分にK氏にお迎えいただき、K氏とともにN氏宅へ向かう。そしてN氏と合流し、国道303号で木之本町へ向かった。順調に進み、7時45分には木ノ本町を通過した。7時55分には、道の駅「あぢかまの里」に着いたので、8時02分までトイレ休憩とした。そして、国道303号に乗り、国道161号を経て、再び国道303号に乗る。さらに国道367号に分岐して、8時40分に道の駅「くつき新本陣」に着いた。8時53分までトイレ休憩をして出発した。そして、8時20分に登山口となる「平バス停」に着いた。国道367号沿いの駐車帯に駐車した。
(国道367号沿いの駐車帯、正面の奥の左にあるのが、「平」バス停です。)
(反対側から見た駐車帯です。)
9時40分にここから出発した。近畿自然歩道の標柱から分岐して、安曇川に架かる仲平橋を渡る。
(近畿自然歩道の看板から入る。)
(すぐに仲平橋で、安曇川を渡る。)
そして、安曇川の左岸沿いを下り、正教院へと進み、正教院の右側を進むと、正面に墓地が見えてくる。
(正面の民家の手前を左へ曲がって、坂を登る。)
(正面に「正教院」が見えてくる。正教院の右側から奥へと回り込む。)
(正教院の裏側に行くと、墓地が見えてくる。)
(墓地の手前から山道が延びている。ここから入山する。)
9時45分にこの墓地の手前から山道へと入山する。いきなりの急登となる。途中で9時53分から9時57分まで、さらに、10時07分から10時09分までと2度の休憩を経て、10時14分に左からの尾根と合流する地点に出た。今までは植林の中であったが、ここで、右は植林、左は雑木林になる。10時19分にここを出発した。右手は植林、左は雑木林の境の尾根を登る。10時28分には右からの尾根が合流する地点に出る。
(右から尾根が合流する場所です。)
ここからはまた植林に突入する。10時33分にここを出発する。そして、10時36分に標高938mと思われるピークを越えて、10時44分には「平←」の看板がある尾根の合流点に出た。
(左から尾根が合流する地点)
(「平」への道標、このルートで唯一の道標です。)
10時n46分にここを出発し、右手へ曲がり尾根を登って行く。10時51分には標高941mピークに出た。この付近にはワラビの枯葉が多く見られ、ワラビの群生地と見られる。10時52分にここを出発し、11時05分には展望地に出た。
(展望地)
琵琶湖や比叡山がきれいに見える。ここまで来れば、もう山頂は近い。ここを11時11分に出発し、右へ曲がって登ると、11時14分には寺谷方面への下山道や皆子谷方面へと下山道に合流する。
(寺谷へ下山するコースの入口です。)
(皆子谷コースと寺谷コースの分岐点です。)
そして、ここから右手へ平坦地を進むと、11時16分に皆子山山頂(971.5m)に出た。
(皆子山山頂)
(山頂の看板)
(山頂の看板)
(山頂の標柱と三角点)
武奈ヶ岳や比良山がきれいに見えた。それをつまみにして早速昼食となった。
(武奈ヶ岳)
(比良山)
早速、昼食パーティとなったが、K氏が手作りの「味ご飯」をごちそうになり、大変おいしかった。感謝!感謝!である。そして、思い思いの追加の食料を胃袋に詰め込んだ。しかし、あまりにおいしくてお腹に入らなかった。
11時47分に下山を開始した。11時49分に寺谷コースの分岐を過ぎて、11時52分に展望地を通過した。どんどん下って、12時03分には標高941m地点に出て、12時06分まで休憩した。さらに下って、12時09分に「平」への看板のある分岐で左へ曲がり、12時14分には標高938mピークを通過して、12時15分に尾根が分岐する地点に出た。12時17分にここでは右の尾根へと下る。さらに12時24分には尾根が分岐する地点に出て、ここでは左の尾根へと下る。12時37分にお墓の横の入山口に下り立った。12時42分まで休憩し、正教院にお参りして、集落内を歩いて、12時46分に駐車地点に戻ったのであった。
13時00分に出発し、13時25分に道の駅「くつき新本陣」に着いたので、13時36分まで休憩した。その後、「海津桜」のために渋滞にあい、15時06分に木ノ本町を通過した。国道303号は渋滞もなく、16時34分に岐阜市の「○○寿司」に着いたので、今日の反省会と称して、京都府の最高峰に登れたことの祝賀会を始めた。この祝賀会は18時00分まで続き、いよいよ越しを上げた。
そんな訳で、帰宅したのは18時15分であった。