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霊仙山(750.5m)
権現山(996m)
ホッケ山(1,050m)
蓬莱山(1,173.9m)


平成25年12月14日(土)晴
 
滋賀県大津市
 
滋賀県の山

霊仙山(750.5m)

権現山(996m)

ホッケ山(1,050m)

蓬莱山(1,173.9m)

 

     平成25年12月14日(土)晴

                       滋賀県大津市

 

 今日は、琵琶湖西岸の比良山系の蓬莱山へ出かけた。びわ湖バレーのスキー場の山である。比良山系の武奈ヶ岳から続いている尾根である。この比良山系を縦走している人もいるが、私も挑戦してみたいと思っている。その小手調べではないが、霊仙山から蓬莱山を縦走してみたのである。

夕方には用事があったので、16時00分までには帰宅しなければならず、3時00分には出発しようとしていたが、出発が遅れて、午前3時40分に自宅を出発した。国道303号の八草トンネルを経由する予定であったが、天気予報では冷え込みが厳しく雪が降るというので、関ヶ原から米原経由に変更した。5時00分にJR米原駅付近を通過した。途中の竜王「かがみの里」という道の駅に立ち寄ったが、トイレは閉鎖されていた。やむなく、トイレ休憩を諦めて、6時30分に琵琶湖大橋を渡り、「琵琶湖大橋米プラザ」という道の駅に立ち寄ったが、ここでもトイレは閉鎖されていた。滋賀県の道の駅はどうなっているのか?大体道の駅に寄るのはトイレ利用が大多数だと思うのだが、そのトイレが使えないのでは道の駅の役割がないと思う。全国の道の駅を利用してきたが、こんなのは初めてである。車中泊とかで駐車場を占拠してトイレを使われるのがいやなのであろうか。まあ、トイレくらいならコンビニを使えということなのであろうか。議論の分かれるところであろう。

さて、琵琶湖大橋を渡ってから、直進して、真野インターから琵琶湖西岸道路(湖西道路)に乗る。この琵琶湖西岸道路(湖西道路)は、今は無料で走れる。そして、和邇インターで降りる。インターを出ると、すぐにT字路に突き当たる。右は栗原、左は和邇方面となっている。ここで、右へ曲がる。道路脇には「この先行き止まり」という看板があるが、そのまま進む。つまり、行き止まりが栗原登山口なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

栗原集落を通り抜け坂道を登っていくと、7時00分に栗原登山口に到着した。終点になっている。登山道の案内板と登山届ボックスがある。7時18分にここを出発した。

 

 

 

 

直進すると権現山であるが、左折して霊仙山を目指した。舗装した林道を登って行くと、7時24分に終点の電波塔に着いた。

 

 

 

 

 

舗装路はここまでなので、ここで、Uターンして山道へ入る。霊仙山を目指して急坂を登って行く。7時28分にピークを越える。少し下って鞍部を通過して、登りに転じると次第に急な登り坂になる。最後のほうは直登でなく、ジグザグに道がついている。そうしたジグザグの道を登り切り、7時58分に霊仙山(750.5m)の山頂に飛び出した。 

 

 

山頂には三等三角点があり、ここは「縦走25」というレスキューポイントの表示もある。一方向の展望が開け、琵琶湖とこれから縦走する権現山方面が見える。先が長いので、8時04分には権現山へ向けて出発した。尾根を歩くのであるが、アップダウンがある。少し下って8時06分に鞍部を通過すると、8時06分にピークを越える。ここからさらに下って、8時10分に鞍部を通過する。

 

 

そして、8時18分に栗原登山口からの道と合流する。ここからは、急な登りとなり、8時48分にやっと権現山(996m)山頂に出た。山頂には、「ホッケ山を経て、蓬莱山」、「アラキ峠を経て平」、「栗原、JR和邇駅」という道標がある。国道367号側から(平地区から)の登山道もあると言うことだ。

 

そういえば、この翌日(15日)に皆子山(972m)へ登ったボーイスカウトの一団が遭難騒ぎを起こしている。15日は大雪注意報が出ていたらしい。皆子山は京都府の最高峰のようだ。またいつかは登らねばなるまい。

今日は、天気はいいのであるが、風が強くてとても寒く感じる。防寒具を着込んでいた。積雪は5cm位である。登山道脇の草が雪をかぶっているのでそれらが衣服に付いて濡れる。ザックに付けていたペットボトルのお茶は凍ってシャーベット状になっていた。気温が低いであろうことが想像出来た。とにかく風が強いのである。それでも眼下に見える琵琶湖は朝日に輝いてキラキラ光っていた。天気はよく天空の道であることに間違いはない。暖かければのんびりと歩くのもよかろう。しかし、今日はじっとしていると冷えるので、動いていた方がよい。休憩も少なめにして先へ急いだ。8時55分に出発した。緩やかに下っていくが、9時00分には右手に小さな神社がある場所を通過した。そして、登りに転じると、9時16分にホッケ山(1,050m)山頂に飛び出した。

 

ここはレスキューポイント「縦走23」となっている。ここは樹木がなく360度の展望であるが、その分風当たりが強い。9時19分には出発した。緩やかなアップダウンが続き、9時34分にはお地蔵さんの鎮座するピークに出た。

 

すぐ眼下に小女郎峠と小女郎ヶ池が見下ろせた。

 

 

9時36分に小女郎峠に下り立った。レスキューポイントは「縦走22」である。まず、小女郎ヶ池へ向かった。

 

 

そして、9時40分に小女郎ヶ池に出た。池の由来を書いた大きな看板がある。周囲を一周できそうであるが、今日は時間もないのでパスした。9時42分には引き返した。9時45分には小女郎峠に戻り、蓬莱山を目指して登っていく。9時58分にはお地蔵さんが2体鎮座する場所を登り、10時06分に蓬莱山(1,173.9m)山頂に出た。

 

 

風が強いのに閉口した。ここは「びわ湖バレースキー場」になっている。スキー場をオープンさせる準備なのか雪上車が動いていた。山頂付近にはスキー場のリフトがあり、「彼岸の鐘」やケルン、お地蔵さんも並んでいる。一等三角点は移動できないが、山頂の標柱はスキー場の邪魔になるので、移動してあるような気がする。標柱は、三角点から相当離れた山頂広場の端っこにある。自動シャッターで写真を撮ろうとしたが、風が強くてカメラが転倒してしまい撮れなかった。

 

やむなく早々に下山した。10時16分に下山開始、往路を引き返した。10時20分にお地蔵さんの鎮座する斜面を通過し、10時30分に小女郎峠に下り立った。そういえば、ホッケ山から蓬莱山の間の登山道にはお地蔵さんが数体鎮座しているし、蓬莱山の山頂には数体のお地蔵さんが並んでいたが、なにか理由があるのかな?小女郎峠から坂を登ると、ピークにでるが、ここにもお地蔵さんが数体並んで鎮座している。10時32分にここを通過し、10時46分にホッケ山まで戻ってきた。さらに先を急ぎ、11時04分に権現山へ来た。この手前で登山者に出会ったが、権現山の山頂には大勢の登山者がくつろいでいた。多くは平地区から登ってきたようである。栗原登山口からはそれだけ大勢の足跡がなかったし、登山口にも車は1台しかなかったのである。さて、権現山もノンストップで通過して、急坂を下り、11時21分に霊仙山への尾根道を分けて、ここからは往路ではなく、霊仙山を経由せず栗原登山口へ直接下りる道を下った。

 

 

11時35分に「←権現山 栗原→」という道標の場所を通過して、11時38分に林道の終点に出た。

 

 

ここはレスキューポイント「周桑26」となっている。

 

 

 

林道を下って行くと、11時43分に「←権現山 JR和邇駅→」という道標がある林道の分岐を通り、11時46分に駐車地点へ着いた。朝駐車していたのとは違う車が1台駐車してあった。朝駐車していた車の持ち主は権現山を往復されたようだ。権現山へ登るときに、山頂直下ですれ違ったのであるから。

丁度12時00分に車をスタートさせ、復路は琵琶湖の西岸道路(湖西道路、国道161号)を北上した。やはりこちらの方が渋滞がないと思う。木之本から国道303号で八草トンネル経由で帰ったのである。ところが、金居原付近へ来ると、道路に積雪があり、岐阜県側に来ると、融雪装置がないため路面が真っ白になっていた。タイヤチェーンは持っていたが、スタッドレスをはいていなかったので、それこそおそるおそる慎重に運転してきた。無事に来たく出来てよかった。予定通り15時00分には帰宅した。