カレンダー  岐阜県の山 東海の百山 ぎふ百山 続・ぎふ百山 日本百名山 愛知130山 岐阜県外の山 岐阜の山旅

七面山(1,982.4m)

平成25年8月25日(日)雨
 
山梨県早川町
 
山梨県の山

七面山(1,982.4m)

 

平成25年8月25日(日)雨

山梨県早川町(身延町飛地)

 

今日は急遽思い立って山梨県と静岡県の境にある、八鉱嶺(1,917.9m)へ登るつもりであった。

安倍峠まで来るまで入れ、登山口から2時間30分ほどで山頂へ着けるらしい。あわよくば、そこから七面山まで縦走(片道4時間)しようと考えていた。

早朝3時に出発予定であったが、2時30分くらいに起きて見ると外は雨・・・これで八鉱嶺にいくのはやめて、近くの山に変更してもう一度布団に潜り込んで寝ようとした。いやいや東海地方は雨でも山梨県は曇りかも知れない。行くだけでも行ってみようと思い直して飛び起きた。前夜に用意はしていたが、それでもいろいろあって、結局出発は、3時26分になってしまった。関ICへは、3時43分に入り、土岐JCTを4時14分に通過した。4時40分に恵那峡SAに着いたので、トイレ休憩をした。雨は降り続いて止む気配はない。さらに、眠気がしてきたので、4時56分に神坂PAに入り仮眠した。5時33分に出発した。外は明るくなってきた。6時15分に駒ヶ岳SAを通過し、6時35分から6時45分まで辰野PAで休憩した。最近は恵那峡とか駒ヶ岳のSAは混雑するので、務めて小黒川とか辰野のPAを利用するようにしている。そんな訳で時間をくってしまったが、7時40分に増穂ICで中部横断道を下りた。高速料金は2500円である。

このあと、身延町の国道52号から右折して「大城」へ向かい、安倍峠を経て梅ヶ島温泉へ通じる林道を行こうとしたのであるが、残念ながら、路肩崩壊のため静岡県側へは通り抜けできないという。実際、ゲートがあり、物理的に通行不可能であった。ここで、「はたと困った。」ここまで来て、八鉱嶺に登れないとどうするか。他の山の地図は「七面山」のものしか持って来ていなかったので、即決で「七面山」へ登ることにした。八鉱嶺より2倍近く時間がかかるがやむを得ない。幸いに雨は小雨で降ったり止んだりになってきた。

という訳で、国道52号に出て、北上し、早川町の羽衣登山口へと向かった。国道52号からは南アルプス街道(南アルプス公演線)を奈良田方面へと入っていくのだ。そして、七面山温泉から左折して南下すると、終点が「羽衣」である。ここが登山口(表参道)となる。すでに登山口の下見はしてあるので、迷うことなく到着した。もっとも、七面山温泉にも登山口(裏参道)があるが、「羽衣」からの方が断然近いので殆どの人は羽衣登山口を利用するだろう。登山口には無料駐車場とトイレがある。時刻が遅かったので、駐車場が空いているか心配だった。手前の河川敷のような場所にも駐車してあったので、一番近い駐車場は満車なのかと思ったが、実際に上がってみると、十分空いていた。

 

 

 

七面山は、登山が目的の登山者というより法華経の信者が修行のため登る山なのだろう。「七面山登詣のしおり」には、「法華経の聖地として知られる七面山は、南アルプスをめぐる山々のうちの一つですが、山岳信仰をもって広く知られている標高1982mの美しい霊山です。」と記されています。

いろいろと前置きが長くなったが、9時07分に出発した。雨が降っているので雨具を着けての出発だ。雨中の登山訓練か。今日はそんなに気温は高くないと思うが、蒸し暑いことこの上ない。登山道は、参道であり、終始階段状のジグザグの道になっている。また、丁目ごとに登楼があり、山頂の敬慎院が50丁目である。さらに休憩所が数カ所あるし、ベンチが設置しておあり、丁目ごとのベンチには屋根までついている。信者が登りやすいようになっているのであろう。

9時12分には2丁目の「神力坊」に着いた。前出の「七面山登詣のしおり」にようると、「ここから登詣道がはじまるので、参拝者が道中安全を祈念して出発する場所です。」とのことである。実際白装束の信者たちでごった返していた。すごい人数である。登山の格好をした人はほんの数人しかいない。頭のてっぺんから足の先まで、白装束に身を包んだ老若男女数十人のグループが、「南無法蓮経」と唱えながら登詣道を登っていくのは圧巻だ。2列縦隊で登っているが、登山者がいると、片側に寄って礼儀正しくあいさつしてくれる。そんな登る人や下山する人たちと交錯しながら、参道を登っていく。雨は降り続いていたが、樹林の中なので、直接雨に打たれることなく、雨は緩和されていた。9時43分に13丁目の「肝人坊」に着いた。ここは、前出の「七面山登詣のしおり」によると、「天明2年(1792)6月、日行法師の創立。休憩所になっています。」とのこと。ここも白装束で一杯であったので、休むことなく通過した。次は、10時16分に23丁目の「中適坊」に着いた。ここは、前出の「七面山登詣のしおり」によると、「享保8年(1723)3月、蓮信法師の創立。ここは天地の境といった感じがします。」とのことである。この後、11時11分に35丁目を通過し、11時15分に36丁目の「晴雲坊」に着いた。ここは、前出の「七面山登詣のしおり」によると、「文化元年(1804)、善心日修法師の創立。富士山は目の前にあり、夏でも鶯の声が聞こえます。山頂まではもう一息です」とのことである。そのことばどおりで、すぐに山頂(というのは、敬慎院のことですが)かと思ったが、なんのなんの、まだまだ、先は長かった。そんな訳で、山頂(敬慎院)の入口である和光門(46丁目)に着いたのは12時00分であった。

 

 

この門をくぐって、坂を登り詰めると、鐘楼がある。12時05分に到着。ここから左へ曲がって登っていくのが参道らしい。あまりの辛さに、ここからまっすぐに平らの道を進んだ。吉門をくぐると、そこが敬慎院であった。

 

 

 

 

まず、参龍殿があり、次に池大神宮、そして、七面山本社がある。12時07分に七面山本社前に出た。早速、雨を避けて本社の前で、2リットルのペットボトルのお茶を500ミリリットルのペットボトルに移し替えた。ここまでに1リットルの水を飲み干していたのだ。すると、敬慎院の僧が近づいてきて、「お茶の用意がありますから、中でお休みください。」という。しかし、汗でべたべただし、お茶はまだまだ用意したのがあったから、丁寧にお断りした。実際、田の登山者は休憩していたようだし、後から来る信者たちは、ここで休憩したり、宿泊したりするのであろう。

さて、12時11分にここを出発して、本社の正面の階段を登っていくと、12時13分に「随身門」という門に出た。

 

この門は、前出の「七面山登詣のしおり」によると、「七面山の山頂にあります。右大臣・左大臣の御神像を安置した二間半の大きな門です。この随身門の前でご来光を拝するのですが、霊峰富士を始め、眼下には身延山や鷹取山の姿を望むことができます。大正10年に完成しました。」とのことである。また、ここは49丁目となっているので、順番からいってもこの門をくぐって、50丁目の七面山本社へ下るのであろう。だから、先程の鐘楼から左へ曲がって坂を登ってくると、この随身門の前に来るのである。ここは、ご来光(富士山)の遙拝所であるが、今日は真っ白で、富士山どころか何も見えない。

 

 

ここから登山道を七面山山頂に向かうのであるが、当然であるが、参道ではなく山道になる。始めは幅広の道であるが、やがて、普通の登山道になる。しかも、この先がきつかった。50丁目まで登ってき身体に堪えた。13時01分にやっと七面山山頂(1,928.4m)に飛び出した。山頂は広場になっており、三角点や方位盤もある。しかし、樹林に囲まれて展望はない。ここから、縦走するに希望峰まで1時間、八鉱嶺まで4時間という表示がある。

 

 

 

13時06分には下山した。13時29分に「随身門」まで下り、そのまま往路をたどり、13時33分に七面山本社前を通過し、13時34分に鐘楼の横を通って、参道を下る。13z井36分に和光門をくぐり、13時54分に晴雲坊を通過、14時17分に中適坊、14時33分に肝心坊、14時52分に神力坊をそれぞれ通過して、14時55分に登山口へ下り立った。結局、雨は降りっぱなしであった。

すぐに車をスタートさせ、往路を戻った。帰宅したのは、19時30分であった。途中の中津川IC〜恵那ICで事故渋滞(10km)があったため、中津川ICで下りて恵那ICで上がり直したため、高速を利用した距離は短かったが、料金は合計で2,700円と往路より高かった。

高速料金は、往復で5,200円

総走行距離は、689.5Km

使用燃料は、45g、燃料代は、6,990円

平均燃費は、15.3km/gとなった。