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幌尻岳(2,052m)
十勝岳(2,077m)
トムラウシ山(2,141m)
紋別岳(866m)
樽前山(1,041m)

平成25年7月13日(土)〜21日(日)快晴
 
北海道
 
北海道の百名山

幌 尻 岳(2,052m)

十 勝 岳(2,077m)

トムラウシ山(2,141m)

紋 別 岳(866m)

樽 前 山(1,041m)

 

平成25年7月13日(土)〜21日(日)

北海道

 

憧れの北海道の行きました。百名山を目指す人には当然ながら欠かすことができません。その遠さゆえになかなか実現できませんでした。長期の休暇を取らねばなりません。しかし、歳とともに衰えゆく体力はいかんともしがたく、いつ行くのか、いつ行くのかと自問自答しつつも、「今でしょ!!」と一つのきっかけをもとに、実行することになりました。

さて、北海道への往路は太平洋フェリーで、名古屋港を7月13日(土)の19時00分発でした。14時30分に自宅を発ち、関市でK氏と合流し、名古屋港へと向かいました。出港の2時間前から乗船手続きが開始されると聞いていたので、17時着を目標にしていたが、少し遅れの17時15分に名古屋港フェリーターミナルに着いた。乗船したら、早速ビールで出陣式を行う。持参のビールとおつまみで宴会を始めた。そんな中、フェリーは定刻どおりに出港した。太平洋フェリーは、苫小牧港へ直行便ではないので、仙台港に寄港する。そのため苫小牧港まで、1日半かかるのである。風呂に入ったり映画を見たり甲板を歩いたりして過ごす。14日(日)の16時40分に仙台港に着いた。そして、乗客の下船、乗船を行い、貨物の出し入れを行い、3時間後の19時40分に苫小牧港に向けて出港した。またまた、大宴会をして船旅を楽しんだ。

そして、15日(月)の11時00分に予定通り苫小牧港に入港した。いよいよ北海道に踏み入れたことになる。この山行きは、それぞれの思惑があり、前半は別々の行動で、後半に合流して同一行動を取ることになっていた。それで、まず「イオン」で食料調達を行い、ついでに昼食を摂ってからK氏をJR苫小牧駅まで送ったのであった。その後、K氏はJRで移動してアポイ岳へ登ることになっていた。自分は、幌尻岳の登山基地となっている豊糠山荘へと向かった。日高自動車道で富川ICまで行き、そこからは国道237号(日高国道)を北上した。国道沿いには「幌尻岳」登山口の大きな看板があるので、間違えることもない。

 

国道237号から右折すると、あとは一本道で桂峠を越えると豊糠集落に入る。

 

 

豊糠山荘は、集落の入口近くにあり、閉校になった豊糠小中学校を改装して、登山者用の宿泊施設にしたらしい。

 

 

 

 

1泊2食で5,000円と第1ゲートまでのシャトルバスの往復運賃3,500円を支払って、宿泊室に入った。宿泊室は2段ベットが6台で12人定員であった。先着順で好きな場所を取れるので、一番入口に近いベッドの下段を確保した。入浴は16時から食事は17時からというので、それまではビールを飲みながら同宿の登山者と雑談をして過ごした。16時から入浴できるので、すぐに入浴した。2〜3人くらいしか1度には入れない。一緒に入浴した人は、福井県の方で百名山は86山登っているという。私も同じですと山談義に花が咲いたのであった。

 

 

夕食はジンギスカン鍋でどうしても苦手な人には特別に他の料理を作ってくれるという。ここでもビールを片手にジンギスカン鍋をつついた。翌日の出発は3時00分であるので、深酒をすることなく早々に2段ベットにもぐりこんだ。しかし、しかし!!隣の人のひどいいびきで全く眠れなかった。

翌16日(火)は、いよいよ幌尻岳への登山である。2時まえからごそごそと準備を始める登山者がいたので、自分も準備をして冷蔵庫から朝食用のおにぎりを頂いて外に出た。おにぎりは4個用意されている。朝食と昼食も考えてのことであろう。そのおにぎりは後で食べることにして、出かける前には持参したパンを食べたのであった。外へ出ると、星は出ていなかったので、天気はあまりよくないのかなと思った。シャトルバスは、2時30分ころには豊糠山荘の前に到着した。運転手が点呼を取り、バスに乗り込んだ。定刻の3時00分にバスは出発した。本日の始発の乗客は14人であった。あとで、わかったことだが、このうち13人は幌尻山荘に予約していたが、1人は日帰りなのであった。シャトルバスは予定通り3時57分に第1ゲートに到着した。

 

 

第1ゲートには仮眠所とトイレがある。日帰りでも最終のシャトルバスに間に合わなかったら、この仮設の休憩所で一夜を過ごすことになる。さて、登山者は、シャトルバスを下りるとすぐに林道を歩き始めた。自分も遅れまいと4時00分に歩き始めた。まず、取水施設まで約2時間の林道歩きなのだ。先に出発した登山者を追い越しながら、先を急いだ。4時20分に「取水口へ6.0km、第1ゲートへ1.5km」という表示板がある場所を通過した。

 

 

4時27分に「奥幌尻橋」を渡り、4時52分に分岐があり、「幌尻岳」の案内によって右へと進む。4時56分に「取水口へ3.0km、第1ゲートへ4.5km」という表示板を通過した。この先で先頭を歩いていた登山者に追いついた。話を交わすと、日帰りの予定なのでここまで急いで来たがどうにか1時間30分で取水口に着けそうである。それなら日帰りが可能であると確信したと言っていた。始発のシャトルバスの乗客14人のうち1人だけ日帰りを計画していたのである。道理でザックは小さいし、急いで歩いていたわけだ。それならと、自分もこの人について行けるのであれば、日帰りも可能であろうと、ひそかに日帰りを射程内に入れたのであった。

 

 

そして、5時31分に取水口へ到着した。ちょうど1時間30分であった。

 

 

ここで、日帰り者より先の5時33分に出発した。まずは、額平川の右岸沿いの登山道を登っていく。クサリにつかまって、岩を伝っていく場所もあるが、とにかく行けるところまで右岸側をさかのぼっていく。この右岸沿いの道で日帰り者に追い越された。そして、右岸側に道がなくなると、そこから渡渉が始まるのだ。

 

 

 

 

 

6時05分に第1渡渉地点に出た。日帰り者が渡渉の準備をしていた。自分も早速渡渉の準備をして、6時15分に渡渉を開始した。

 

 

右岸から左岸へ渡ると、6時16分に第2渡渉地点(左岸→右岸)である。

 

 

さらにすぐに第3渡渉地点(右岸→左岸)になる。

 

 

すると、対岸(右岸側)に滝が見えてくる。

 

 

しばらく左岸側を遡行し、6時20分に第4渡渉地点(左岸→右岸)に出る。

 

 

 

 

さらに6時24分に第5渡渉地点(右岸→左岸)、6時27分に第6渡渉地点(左岸→右岸)、6時29分に第7渡渉地点(右岸→左岸)を通過して、このあとしばらくは左岸側を遡行して行く。

 

 

 

 

そして、6時43分に第8渡渉地点(左岸→右岸)を過ぎると、右岸側の登山道を登って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

6時45分に第9渡渉地点(右岸→左岸)を渡り、左岸側を遡行して、6時47分に第10渡渉地点(左岸→右岸)を過ぎ右岸側を遡行して、6時50分に第11渡渉地点(右岸→左岸)を過ぎ左岸側を遡行して、6時54分に第12渡渉地点(左岸→右岸)を過ぎて右岸側を登って行く。

 

 

6時57分に第13渡渉地点(右岸→左岸)を通過して左岸を登って行く。

 

7時04分に第14渡渉地点(左岸→右岸)を過ぎると、しばらく右岸側の登山道を登って行く。

 

 

そして、7時11分に第15渡渉地点(右岸→左岸)に出ると、対岸には樹林の中の幌尻山荘が見える。これが最後の渡渉となる。締めて15回の渡渉であった。7時19分に幌尻山荘に着いたのだ。ここまでに水1リットルを消費していた。

日帰り者は先に到着していた。さらに身軽になって幌尻岳へと向かっていった。自分も遅れまいと、登山靴に履き替え、小さなザックに雨具とおにぎりを詰替えて、7時34分に幌尻山荘を出発した。いきなりの急坂である。林道や渡渉の疲れが出てきたのかピッチが上がらない。8時39分から8時50分まで休憩して、おにぎりを食べたがもどしてしまった。この体調不良はどうしてなのか?さっぱり原因がわからなかった。それでもここまで来たからには山頂を踏まねばならない。幌尻山荘は予約してあるのだから、急ぐこともあるまい。いやいや日帰り者を追えば、自分も日帰りすることができるぞ。と葛藤しながら登っていく。そして、ようやく9時19分に「命の泉」に着いた。ここまでに水をさらに0.5リットルを消費していたので、ここで0.5リットルを補給した。

 

 

9時31分に「命の泉」を出発し、急坂の潅木帯を抜けると9時58分に稜線に出る。

 

 

パッと展望が開けて、目指す幌尻岳が姿を現す。目標が見えてくると、意欲が湧いてくる。この付近では幌尻山荘に宿泊していた登山者が下山してくる。

 

 

左手下にカールを見ながら、反時計回りに稜線をたどっていく。山頂方面はガスがかかったり晴れたりしていた。

 

 

 

 

10時20分にピークを越え、10時42分にもピークを越えて、次第に高度を上げていく。さらに10時54分にもピークを越えたが、この付近で日帰り者が下山してきた。帰りのシャトルバスの時刻が気になって急いで下山してきたとのことだ。

 

 

 

自分もさらに士気を上げて登り、11時05分に「新冠コース」との合流点に出た。もうすぐ山頂である。

 

 

そして、11時12分に幌尻岳山頂(2,052m)に出た。山頂には誰も居なかった。しかし、展望は素晴らしかった。好天に恵まれてよかった。ここで、13時までに幌尻山荘まで下山できればシャトルバスの最終便に乗れるであろうと計算した。

 

そんなわけで、11時19分に下山を開始した。11時25分に「新冠コース」の分岐点に来たので、新冠コースの登山道を覗いてみるとすごい急登であった。急いで戻り、振内コース(往路)を下っていった。この付近から始発のシャトルバスでやってきた登山者とすれ違うようになった。11時37分、11時39分、11時50分とそれぞれピークを越えて、次第に高度を下げ、12時06分にはいよいよ稜線から急坂を下るようになった。12時20分に「命の泉」を通過し、往路で休憩した地点を12時33分に通過した。そして、13時04分に幌尻山荘に下り立った。この時点で日帰りを決断し、幌尻山荘の予約をキャンセルした。

山荘の管理人には、シャトルバス会社には最終便に乗ることを連絡しておくから慌てないように安全第一で下るようにといわれて、13時14分に山荘を後にした。13時15分に第15渡渉地点(左岸→右岸)を渡ってしばらく右岸側の登山道を下り、13時24分に第14渡渉地点(右岸→左岸)を渡って左岸側を下り、13時28分に第13渡渉地点(左岸→右岸)を渡り、13時31分に第12渡渉地点(右岸→左岸)を渡り、13時35分に第11渡渉地点(左岸→右岸)を渡り、13時37分に第10渡渉地点(右岸→左岸)を渡り、13時39分に第9渡渉地点(左岸→右岸)を渡り、13時41分に第8渡渉地点(右岸→左岸)を渡り、しばらく左岸側を下っていく。そして、13時55分に第7渡渉地点(左岸→右岸)を渡り、すぐ13時56分に第6渡渉地点(右岸→左岸)を渡る。さらに渡渉は続き、13時58分に第5渡渉地点(左岸→右岸)を渡り、14時00分に第4渡渉地点(右岸→左岸)を渡って、左岸側へくると、対岸(右岸側)に滝が見える。そして、14時04分に第3渡渉地点(左岸→右岸)を渡り、14時06分に第2渡渉地点(右岸→左岸)を渡ると、14時08分に最後の第1渡渉地点(左岸→右岸)に出る。これを14時09分に渡り終え渡渉を終了した。早速、登山靴に履き替えて、14時19分に出発し、右岸側の登山道を下って行った。14時51分に取水施設に到着した。ここからは1時間30分の林道歩きである。しかし、疲れた体には辛かった。15時30分に「取水口へ3.0km、第1ゲートへ4.5km」の地点を通過し、15時35分には右からの林道を合して、16時03分に「奥幌尻橋」を通過した。16時13分に「取水口へ6.0km、第1ゲートへ1.5km」の地点を過ぎ、16時34分に第1ゲートのシャトルバスの発着場に着いたのであった。約1時間40分の林道歩きであった。

シャトルバスは定刻の17時00分に出発し、18時00分に豊糠山荘に着いた。1泊の予定が日帰りとなったので、これからどうしようと考えたが、なかなかまとまらないのでとりあえず次の予定である十勝岳の登山口へと向かった。


十 勝 岳(2,077m)

 

                       平成25年7月17日(水)快晴

                       北海道上富良野町

 

さて、北海道の百名山2つめは、十勝岳である。幌尻岳を日帰りして豊糠から国道237号へ出て、国道237号を北上して上富良野町から道道291号線(吹上上富良野線)へ右折して、「望岳台」駐車場へ20時50分にたどり着いた。数台の車が駐車していた。レストハウス前の駐車場は2段になっており、下段にはレストハウスとトイレがあり、上段は駐車場と登山口であった。当然、ビールを買い込んできていたので早速ビールを飲んで就寝した。

 

 

 

明けて17日(水)の5時30分に登山口を出発した。最初は広い登山道で緩やかに登っていく。6時20分に美瑛岳と十勝岳との分岐点に着いた。「十勝岳、美瑛岳、望岳台」という道標とともに「十勝岳3.2km、望岳台2.0km、標高1,260m」という表示板があった。

 

 

ここで右へ折れて、十勝岳を目指す。上部に「十勝岳避難小屋」が見えてきた。

 

 

6時32分にその「十勝岳避難小屋」に着いた。ここで休憩し、6時38分に出発した。

左へトラバースして沢を渡り、ガレ場の尾根を登っていく。6時46分に「十勝岳←→望岳台」という道標と「十勝岳2.7km、避難小屋0.2km、望岳台2.5km、標高1,380m」という表示板があった。6時55分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、7時02分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、7時12分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、7時19分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、順次通過して、7時46分に昭和噴火口に出た。

 

 

ここには「望岳台←→十勝岳」という道標とともに、「十勝岳1.6km、望岳台3.6km、標高1,720m」という表示板があった。

 

 

 

十勝岳が目の前に迫ってきた。登山道が見えるが急なガレ場を登らねばならない。7時48分にここを出発した。7時54分に「望岳台←→十勝岳」の道標を過ぎて、7時58分に「望岳台→」の道標を過ぎる。8時06分に「望岳台←→十勝岳」の道標を通過し、8時09分に「十勝岳0.7km」の看板を過ぎた。さらに滑りやすいガレ場の急坂を登り、8時31分に「望岳台→」という看板のある場所に出た。

 

 

十勝岳の肩といった感じのところである。「前十勝コース 通行禁止」の看板もある。

 

 

少し休憩し、8時33分に出発した。山頂を目指して最後の急坂である。ヒーヒーハーハーいいながら、8時47分にやっと十勝岳山頂(2,077m)に出た。

 

 

すばらしい天気で大展望が広がっていた。コンビニで買ってきたサンドイッチを食べて休憩した。水は1リットル消費した。昨日トムラウシ山へ登ったという夫婦連れがいたので、早速トムラウシ山のホットな情報を仕入れた。

そして、9時03分に下山を開始した。9時11分に「望岳台→」の看板を、9時23分に「十勝岳0.7km」の看板を、9時25分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、9時30分に「望岳台→」の看板を、9時32分に「望岳台←→十勝岳」の道標をそれぞれ通過し、9時36分に昭和噴火口まで下ってきた。休憩はせず下りを急ぎ、9時49分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、9時52分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、9時56分に「望岳台←→十勝岳」の道標を、9時59分に「望岳台←→十勝岳」の道標をそれぞれ通過し、10時02分に「望岳台←→十勝岳」の道標と「十勝岳2.7km、避難小屋0.2km、望岳台2.5km、標高1,380m」という表示板がある場所を通過した。そして、すぐに沢を渡りトラバースして、10時07分に「十勝岳避難小屋」に着いた。ここから広い登山道となり、10時14分に美瑛岳への登山道と合流して、10時44分に登山口へと下ってきた。下りでは水を0.5リットル消費した。さすがに人気の山とあって、観光バスも来ていたし、登山者と散策者とが入り混じっていた。また、駐車場は満杯状態であった。

予定が1日早まったので、もう1つ百名山を登ろうと考えたが、北海道は広すぎて移動距離が長すぎる。明日の夕方にはJR新得駅で待ち合わせであった。とてももう1つの山へ登る時間はないので、トムラウシ山に備えて、明日はゆっくりと休養することにした。

まずは、望岳台の近くの「吹上露天の湯」へ入ることにした。なんといっても無料というのがいい。昨夜は暗くて入れなかったのであった。いや、入れたかも知れないが、入らなかったのである。


吹上露天の湯

 

平成25年7月17日(水)

                          北海道上富良野町

 

 十勝岳から下山して、早速入浴に訪れた。車は数台しか駐車していなかった。実は温泉は駐車場から150mほど歩かねばならない。私が入浴の準備をしていると、温泉から帰ってきた人が、ナンバーを見て「岐阜からですか?」と話しかけてきた。「たいへんよい湯です。いま出てきましたが、ちょうど男性が3人入浴しており、空いていますよ。滑るから岩につかまって歩くように。」とも言っていた。

 

 

 

 

 温泉へ続く道を下っていくと、すぐに樹林の間から温泉が見えてきた。管理人はおらず、簡易脱衣所がある。

 

 

 

また、渡り板や手すりや階段も整備されている。源泉からかけ流しでとてもよい。谷水で冷ましているようだ。源泉から流れ出ている流れに触れてみるとお湯であった。囲いもなく混浴なので、バスタオルや水着を着用してもよいと説明書きがある。

湯船の藻の加減なのか、お湯が緑っほかった。しかし、温度といい温泉は快適であった。そのうち、数名の男女が来て入浴したり、足湯だけだなどどいう女性も現れた。人数が増えてきたので適当なころあいに退散した。

 さて、その後はどこか観光でもしようかと、とりあえず、上富良野の市街地まで下ってきた。


日の出公園

平成25年7月17日(水)

             北海道上富良野町

 

吹上露天の湯から下ってきて、上富良野のスーパーでビールとつまみを買い入れた。そして、日の出公園という場所に来た。無料駐車場があるし、トイレも完備しているので車中泊にちょうど良い。ここで車中泊と決めて早速ビールで祝杯を上げた。サマーベッドを取り出して、木陰にセットしてビールをごくごくと飲んだ。

 

 

 

 

正面には十勝岳がきれいに見え、ラベンダー発祥の地らしく、ラベンダーを中心に他の花もきれいに植えられている。丘陵地のような公園に鳴っているのだ。公園の散策は後回しにしてとにかくビールを飲んだ。登山をして温泉に入った後だけにうまかった。

さて、K氏の様子を聞くためにメールを入れると、向こうも予定通りで苫小牧への切符を買うところだというので、こちらは1日予定が早くなったので明日は空いているから、苫小牧駅まで迎えに行こうかというと、それはありがたいというので、明日は9時00分に苫小牧駅前の「ルートイン苫小牧駅前」ホテルまで戻ることにした。

 

 

 

ビールの後は一眠りしたが、さすがに北海度、風が吹くと小寒い。夕方になってきたら、公園の人も少なくなってきたので、公園内の散策に出かけた。丘の上へと続く散策路を登っていくと、展望台とトイレもあった。丘の上の展望台まで車で上がってこられるようだ。また、公園内にはオートキャンプサイトもある。なかなか雰囲気のよい公園である。上富良野八景となっているらしい。

 

 

 

夕方になると、軽のキャンピングカーの夫婦が話しかけてきた。「ここで泊まりますか?我々も宿泊するのでよろしく。」ということであった。こちらは一般車であるが、向こうはキャンピングカーなので近くの人が見物に来ていた。私は関係ないとばかりに夕食用に持参したお粥を作り、缶詰をつまみにビールを飲み始めた。夕闇が迫る前に片付けて暗くなると同時に就寝した。しかし、一般車の中では安眠できない。

さて、翌日18日(木)は、1時ころに起き出して、日の出公園を出発した。往路をそのまま戻るつもりでカーナビをセットしたが、カーナビは旭川方面を案内していた。それで無視して国道237号を南下した。ところが、途中でも国道237号ではなく、国道38号を滝川方面へ行くように指示をしてくる。地図で確認しても明らかに遠回りなのだが高速を使うようにセットしてあるのかも知れない。時間はたっぷりあるのだから、カーナビの案内はやめて、国道237号をひたすら南下した。

途中で、義経公園に立ち寄ったが、休園中で閉鎖されていた。他に義経神社というのがあるのを知ったがもう後の祭りであった。

 

 

 

 

 

そして、道の駅「むかわ四季の館」に立ち寄ると、朝風呂をやっていたので早速入浴した。

 

 

 

 

 

 

 

そして、苫小牧東港、苫小牧西港のフェリーターミナルを下見して、コンビニで氷を仕入れ、朝食を摂ってルートインホテルへ向かった。8時40分にホテルの駐車場に着いた。

 


トムラウシ山(2,141m)

 

                      平成25年7月19日(金)快晴

                      北海道新得町

 

18日(木)8時50分に「ルートイン苫小牧駅前」ホテルで、K氏と合流して、トムラウシ温泉へと向かったのであった。日高まではいま来た道を引き返すことになる。こ日高自動車道から国道237号を経由して日高町へ入り、道の駅「樹海ロード日高」に立ち寄った。

 

 

 

しかし売店や飲食店は休業であったので、諦めて国道274号で日勝峠を越えて清水町へ入った。天気はよかったのであるが、日勝峠は濃霧であった。不思議なもので清水町に下ってくると晴れ渡っているのである。清水町で昼食を摂った。若牛の焼肉丼を食べた。さらに新得町のコンビニで明日の食料を仕入れて、道道718号線でトムラウシ温泉を目指した。ここから1時間30分ほど入った山の中にトムラウシ温泉はあるのだ。

トムラウシ温泉へ向かう最奥の集落は富村地区のようで、ここには富村牛小中学校がある。これより奥には民家はなく、トムラウシ温泉の「国民宿舎東大雪荘」は、一番奥にポツンとある一軒宿である。

 

 

14時頃に到着したので、チェックインする前に明日の短縮登山口を確認するため、さらに林道を奥へと車で進入していった。短縮登山口という案内板があるし、基本的に1本道で迷うことなく、東大雪荘から約20分で登山口に到着する。しかし、水溜りはあるし、でこぼこもあるので、注意して通行する必要がある。

 

 

 

短縮登山口の駐車場は思ったより広かった。3箇所に分かれているが、それぞれ隣接しており、合計では100台くらいは駐車できそうである。バイオトイレもある。まだ、相当数の車が残っていた。まだ、下山してこないのか、あるいは、日帰りでなくテント泊の車でもあろう。

さて、下見を終えて東大雪荘へ戻り、チェックインした。入浴は24時間可能である。夕食は17時30分からというので、それまで、持参したビールを飲んだり、コインランドリーで洗濯したりして過ごした。部屋には冷蔵庫があり、持込のビールを冷やすことができる。まあ、湯治客に連泊を勧めているくらいだから、当然かもしれない。早速、クーラーボックスの氷を製氷棚にいれて凍らせておいた。

翌19日(金)は、4時00分に登山口を出発する予定であったので、3時00分に起床し、すばやく準備をして3時30分に東大雪荘を出発した。登山口の駐車場に着いたころには、明るくなっていた。多くの登山者が準備をしていた。我々も登山口の登山届に記入して、4時04分に気合を入れて出発した。初めは平坦な樹林の中の登山道である。次第に登りになり、4時22分にはトムラウシ温泉から登ってくる本道との合流点に出た。

 

 

 

本道を来るとここまでに2時間かかるわけが、短縮登山口からは20分なので相当短縮されることは間違いない。ここには、「トムラウシ山8.5km、登山口3.3km、短縮登山口0.7km」という道標がある。天気は快晴で気分も上がる。傾斜がきつくなってくると、汗が噴出す。4時33分から4時36分まで体温調節のため休憩した。4時40分にコブを越す。

 

そして、4時50分から4時52分にも休憩して、5時07分にカムイ天上に到着した。

 

 

この先すぐ、5時09分には新道と旧道の分岐に出た。しかし、旧道はもう薮と化しておりとても踏み込める状態ではない。「新道←」という看板があるのみである。

 

 

この先で雪渓があったりする。5時17分から5時19分まで休憩した。この付近は基本的に尾根上を歩いていく感じなので、十勝岳や旭岳の展望がそこそこあって気分が和らぐ。また、トムラウシ山方面の展望も開けてくる。そして、コマドリ沢へ下降する手前の沢のところで、先人が休憩中であったので、我々も休憩した。6時05分から6時13分まで休憩して、朝食用のおにぎりを食べた。

さて、ここからは、コマドリ沢分岐へ向けて、標高差100mを急降下することになる。6時29分に沢に下り立った。この沢は、カムイサンケナイ川である。沢筋は残雪があった。カムイサンケナイ川の右岸側の雪渓上をさかのぼると、6時39分に「コマドリ沢分岐」に出た。

 

 

 

 

「コマドリ沢分岐」という標柱は残雪のため「コマドリ」までしか見えない。下の方は雪に埋まっているのだ。それくらいの積雪量だということだ。コマドリ沢は右岸側へ流入しているので、ここで、右岸へと渡って(雪渓の上なので渡渉はなんら問題ない。)コマドリ沢の雪渓を上り始めた。

 

 

雪渓は直登なので息が切れる。しかし、高度は稼げる。背後の山々がグングンとせりあがってくる。7時03分には雪渓を終え、岩の多い登山道になる。

 

 

 

さらに、7時09分には右方向へトラバースする岩場の登山道になる。ここまでに水1リットルを消費した。トラバースが終わるとガレ場のジグザグの登りになるが、樹林を抜けるので、展望が開けてくる。そして、急な斜面を登りきると平坦地になるが、これが「前トム平」と言われる場所である。

 

7時33分に「前トム平」に到着した。天気がよいので、展望がすばらしいし気分も上々である。7時35分に前トム平を出発した。ここから斜面を登ると、ケルンのある尾根乗り越しに出る。

 

 

7時45分にケルンを通過した。ここまで来るとトムラウシ山が見えてくる。さらに岩場を登って、7時52分にコブに出る。

 

 

このコブから下った鞍部の平地が「トムラウシ公園」である。

 

 

この「トムラウシ公園」には8時01分に到着した。ここで、エネルギーを補給し小休止して、8時09分に出発した。

 

 

雪渓や岩場のトラバースをこなし、8時50分に南沼方面とトムラウシ山山頂方面の分岐点に着いた。

 

 

いわゆる「トムラウシ分岐」といわれることところだ。「右手はトムラウシ山頂、左手はオフタケシケ山、十勝岳、手前はトムラウシ温泉」という道標がある。ここでも小休止して、8時56分に出発した。

 

ここからの急登ヶきつかったが、9時23分に待望のトムラウシ山山頂(2,141m)に立った。「やったー」とついつい叫んでしまう。

 

 

 

ここまでにさらに水0.5リットルを消費した。ここでも素晴らしい展望に歓声を上げる。結局、登りには5時間20分かかったことになる。

山頂には縦走の登山者やピストンの登山者など、多くの登山者がいたが、それぞれ下山して行ったので、我々も気が焦りゆっくりもしていられず、9字46分には下山にとりかかった。「トムラウシ分岐」を10時06分に通過し、「トムラウシ公園」で10時44分から10時46分まで休憩した。ここから登り返して、11時00分にコブを乗り越し、11時06分にケルンを過ぎる。眼下に「前トム平」が広がっている。その前トム平には、11時12分に下り立った。エネルギー補給のため、11時17分まで休憩した。ここから急な岩場の斜面を下り、岩場をトラバースして雪渓へ出る手前で、11時29分から11時34分まで休憩した。その後、雪渓を下って、「コマドリ沢分岐」には11時44分に下り立った。11時48分まで休憩し、沢の右岸を下って、登り返しの場所に出た。ここで、11時54分から11時56分まで休憩して、いよいよ登りにかかる。この登りを登り切ったところで、12時08分から12時11分まで休憩した。往路で休憩して朝食を食べた沢のところは12時17分に通過した。12時42分から12時45分まで休憩し、新道分岐では、12時58分から13時00分まで休憩した。この後、「カムイ天上」を13時01分に通過し、13時17分にコブを乗り越し、本道と短縮登山口との分岐には、13時26分に下り立った。ここで、13時33分まで休憩した。そして、短縮登山口へは13時47分に下り立ったのであった。下りでは、水0.5リットルを消費した。下りは4時間かかった。往復では休憩も含めて、9時間40分である。トムラウシ山は遠い山ということだ。

すぐに車をスタートさせ、林道を東大雪荘まで戻ったのであった。この日は東大雪荘でゆっくりと温泉に浸かった後、祝杯を上げたのはいうまでもない。そして満足感に包まれて熟睡したのであった。


紋 別 岳(866m)

 

                 平成25年7月20日(土)快晴

                 北海道千歳市

 

今回の北海道の山行きで計画していた百名山は、予定通り登り終えて20日(土)は、さわやかな気分の良い朝を迎えた。早朝にトムラウシ温泉の噴泉塔を散策した。

今日は、もう帰るだけなのであるが、フェリーの出港時刻は23時00分であり、相当時間があるので、どこかの山へ登ろうということになり、紋別岳に決定した。

東大雪荘から戻る林道でヒグマを目撃した。その後、白雲台展望台で展望を満喫して、下界へと下ってきた。そして、道東自動車道に乗って支笏湖へ向かい、千歳ICで降りた。ここから道道16号線で支笏湖付近で国道453号へ入る。支笏湖東岸の支笏湖温泉を過ぎるとすぐに紋別岳登山口の看板がある。この看板で右折して山麓の方へ上がっていくと、NTTドコモの専用道路となり、入口にはゲートがある。その手前に駐車広場があり、7〜8台くらいは駐車できるがほぼ満杯状態であった。それでもどうにか空きスペースに駐車した。ちょうど下山してきた登山者がいたので、片道1時間30分であること、このNTTドコモの専用道路を歩いていけば山頂に達することなど、情報を入手した。

 

 

 

12時13分に出発した。12時17分にゲートに着いた。ゲートの横に登山届ボックスがあった。実は、この登山届ボックスの脇から登山道があったのだが、気づかなかった。登山者はその殆どが車道を歩いて登っているようなのである。事実、この後もいくらかの下山してくる人たちとすれ違ったのである。そんなわけで車道を歩いて登っていった。

 

 

途中に距離表示があり、12時49分には「2849m/2000m」という表示の場所を通過した。つまり、このNTTドコモの専用道路は、総延長が4849mで、入口から2000m登ってきて、山頂までは2849mだということなのである。車道を歩いていると、山頂にあるアンテナ群が概ね見えている。上がってくるにつれて支笏湖や樽前山、風不死岳の展望が開けてきたが、暑いのは暑い。北海道へ来ていままでは涼しさに驚いたが、今日は暑い。舗装道路なので、照り返しがあるためなのかもしれない。それでもガマンして登っていく。12時52分に「2649m/2200m」の表示を、12時56分に「2469m/2400m」の表示を、13時00分に「2249m/2600m」の表示を、13時20分に「1049m/3800m」の表示を、13時25分に「849m/4000m」の表示を、それぞれ通過した。そして、13時36分に「0m/4849m」の表示のある車道の終点に到着した。反射板やらアンテナ塔が林立している。さらに一番高い場所を目指して登っていくと、13時38分に三角点を発見した。やはり、1時間30分ほどを要している。

 

 

三角点の標柱や山頂の表示などはなにもない。しかし、アンテナ塔の横の一番高い場所にあるので、すぐに見つかる。支笏湖や樽前山、風不死岳、恵庭岳などの展望は抜群である。

山頂では、展望を楽しみながら、行動食を食べてしばしの休憩である。そして、まだ時間があるので、下山したら温泉へ入ることはもちろんであるが、その前に目の前の樽前山へも登ることを決めた。樽前山には、K氏はすでに登っているので、私が登る間は駐車場で待っているという。

そんなわけで、13時46分には下山することにした。山頂から車道の終点へ行かず、歩道を使い近道をして、13時48分に車道へ下り立った。ここで、水0.5リットルを消費した。そして、この後は車道をたどった。13時56分に「849m/4000m」の表示を、13時57分に「1049m/3800m」の表示を通過した。車道の路傍にフキが群生していたので一掴み採取した。そんな道草をしたが、14時43分にゲートまで下ってきた。そして、14時44分に駐車地点に戻ったのであった。下りは1時間ほどである。

さて、それで、登山靴のまま車に乗り込み、次の樽前山へ向かった。


   樽 前 山(1,041m)

 

                 平成25年7月20日(土)快晴

                 北海道苫小牧市

 

 今回の北海道遠征の最後の山となる、樽前山である。なんでも200名山には入っているらしい。結構人気の山であるようだ。支笏湖温泉からは、国道国道453号で支笏湖を右手に見る形で時計回りに回ってくる。そうすると、直進する国道276号を分けて、右折し、国道453号と国道273号の重複路線に入る。しばらく走ると、樽前山の道路標識があるので、道道141号線へと左折する。この道路は樽前錦岡線というらしいが、センターラインのない樹林の中の道路だ。この道路が左へ90度曲がる地点で、曲がらずそのまま直進する林道の入口がある。この林道が樽前山の7合目まで通じている道路だが、未舗装の道である。入口には「7合目の駐車場が満杯になった段階で入口を閉鎖する。」という説明書きがある。それほど人気の山であることを悟った。しかし、今日は時刻が遅いので下山してくる車ばかりで駐車場の心配はなさそうだ。

 7合目の駐車場が近くなると、路肩に駐車している車が出てきた。つまり彼らが登山口の7合目に着いたときは駐車場が満杯であったということだ。15時00分に7合目の駐車場に着いたが、案の定、駐車場は半分以上空いている状態であった。駐車場は50〜60台ほど駐車できそうで、トイレや7合目ヒュッテもある。

 

 

 

ザックはできるだけ軽くして、水は、500ミリリットルのペットボトルを2本持って、15時10分に登山口を出発した。15時16分には樽前山という大きな看板のある広場に出た。斜面ではあるが、ベンチも多く設置されており、観光客はここまで上がってきて展望を楽しんでいるようだ。

 

 

 

 ここからは、本格的な登山道の様相を呈してくる。ここから少し登ると、樹林はなくなり日陰のないガレ場の登山道となる。もうこの時刻では下ってくる人ばかりである。樹林はないため、太平洋や苫小牧、紋別岳など展望はすばらしいのであるが、直射日光があたり暑いのには参った。

 

 

 15時46分に東山と西山の分岐点に出た。溶岩ドームをはさんで東山と西山があり、通常は東山を樽前山山頂としているらしい。目の前に台形の溶岩ドームがある。その外周をぐるりと回るように道がついている。まず、東山へ登ることにした。

 

 

 

15時53分に樽前山山頂(東山)(1,022m)に着いた。三角点もある。登山口ではK氏が待っているので、ゆっくりしているわけにはいかない。

 15時58分に下山して、西山へ向かうことにした。16時00分に分岐まで下り、前方に見える西山へ向かって歩き出した。溶岩ドームは右手に見る形になる。

 

 

16時09分には途中にある「樽前山神社奥宮」に着いた。東山と西山の中間点か。

 

 

 

ここからはいったん下り、その後は西山へ向けての登りとなる。16時26分に溶岩ドームを回る道と西山へ行く道の分岐に出た。西山から延びる尾根上である。

 

 

 

そして、16時28分に西山山頂(004m)に到着した。ここにも三角点がある。また、反射板もある。こちらも遮るものはなく360度の展望である。

 16時34分には下山にかかった。16時35分に分岐を通過し、往路をそのまま引き返した。16時49分に樽前山神社奥宮を通過し、東山への分岐には17時02分に着いた。ここから転がるように下って、樽前山の看板には15時16分に着いた。そして、17時18分に登山口の駐車場へ下り立った。往復で2時間8分もかかってしまった。延性の疲れが累積しているのであろうか。

 すぐに車をスタートさせ、温泉に入るために「休暇村支笏湖」へ行ったが、日帰り入浴は、16時00分までであると断られてしまった。しかたがないので苫小牧に向かって車を走らせ、途中に温泉があれば入浴しようとしたが、温泉はないまま苫小牧についてしまった。おなかも空いてきたが、見知らぬ土地でウロウロしてもダメだと思い、フェリーターミナルよりは、先であるが、18日の早朝に入浴した道の駅「むかわ四季の館」へ行くことにした。

 18時45分に「むかわ四季の館」に着いた。入浴は22時00分まで、食事処は20時00分にオーダーストップだという。しかし、お客が途切れると20時00分前でも閉店することがあると聞いて、先に食事をすることにした。メニューは「ホッキ貝丼」にした。鵡川はホッキ貝が有名らしいからだ。さて、食事の後、ゆっくりと入浴した。その後、土産を物色し、この道の駅のオリジナル商品だという「ししゃもの昆布巻」を購入した。「白い恋人」よりよかろうと思ったのである。

 さて、こんな具合で20時を回ったので、新日本海フェリーのターミナルである苫小牧東港(周文)へと出発したのであった。往路は太平洋フェリーで復路は新日本海フェリーなのである。

 出港は23時30分でその2時間前から手続きを開始するというので、21時30分までに着けばよかったのであるが、十分に間に合った。手続きを済ませて売店でビールを買い込み出港を待った。車を運転してフェリーに乗船するため、まだ、ビールは飲めなかった。乗客は22時45分から乗船開始で、車両は23時00分から乗船することになっている。

 車両の積み込みが遅れたが、それでも予定どおり23時30分に出港した。早速、ビールで宴会を始めた。明日21日(日)の20時30分に敦賀港へ入港予定なので、ビールは昼までしか飲めない。そんなわけでビールを飲んで就寝し、翌朝入浴することにした。船室は個室風でよく眠れた。入浴は8時00分からであったので、早速風呂へ入りに行った。露天風呂もあり快適である。今日は天気もよいのでなおさらである。風呂上がりには早速ビールである。朝食のためレストランへ行き、ビールを飲んだ。昔から、朝風呂、朝酒は財産を潰すといわれているが、それだけ気持ちがよいということだ。

 さて、朝食のあとは、また船室へ帰ってビールである。その後、寝てしまって結局昼食は抜く羽目になった。夕食は、またまたレストランで摂ることになったが、もちろんもうビールは飲めなかった。夕食後は、デッキに出て夕日を見た。西の空には雲があったが何とかサンセットは見ることができた。その後は、また風呂へ入ってから、船室へ入って横になって休息した。敦賀には定刻の20時30分に入港した。下船は、同乗者も車に乗って一緒に下船することができたので早かった。

 下船後、国道8号で北陸自動車道の敦賀ICまで来て、高速に乗り関ICで高速を下りた。そして、関市へ22時05分に着き、ここで自分の車に乗り換えた。22時17分に出発し、22時45分に帰宅したのであった。長い北海道遠征の完了である。明日は仕事だが、ちゃんと旅行用品を片付けてから就寝した。