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焼 山(1,709.2m)
平成25年6月16日(日)晴れ
岐阜県恵那市
今日は、「ぎふ百山」の焼山へ行くことにした。「ぎふ百山」の完全制覇を目指す人たちからリクエストを受けたので、同行していただいた。この焼山は、中津川市と恵那市(旧上矢作町)の境界尾根にそびえる山である。恵那市の最高峰という。しかしながら、「ぎふ百山」のご多分にもれず、れっきとした(??)薮山であった(過去形)。それが、最近、登山道が切り開かれたのである。そのルートは、阿岳谷沿いの林道の終点から、1670m峰へ上がりそこから境界尾根を焼山山頂までたどるというものである。しかし、登山道が切り開かれたといっても、登山者が少なければ元の薮山に戻るのに多くの歳月を要しない。従って、ぎふ百山は登りたいが、薮山はどうも・・・という人たちにとっては、「行くなら今!!」ということになる。そうでなければ、残雪期に登るか、あえて薮こぎに挑むかということになる。
さて、前置きが長くなったが、そんな事情で焼山を選んだわけです。梅雨の最中であるが、今年の梅雨は空梅雨で天気予報では、雨は15時ころから小雨の予報であった。午前4時45分に自宅を出発し、5時00分にN氏宅でN氏を乗せ、関市ではK氏の車に乗り換えて、5時45分に美濃加茂ICから高速に上がった。そして、恵那ICで一般道へ。国道257号を南下した。木の実トンネルを抜けると、旧上矢作町だ。道の駅「ラ・フォーレ福寿の里」でトイレ休憩をした。そして坂を下って国道418号へ左折する。上矢作病院をすぎてすぐのところで、国道418号から分かれて、左の道へ入る。集落を抜けるとY字路分岐があるが、「阿岳谷方面」の看板に従って、左の道へ進む。さらに進むと、植林の中のY字路分岐がある。ここでも「阿岳谷方面」の看板に従って直進する。左の道にはチェーンがかけられていた。さて、さらに進んでくると、またY字路分岐があった。ここにも「阿岳谷方面」の看板があるので、それに従って直進する。いよいよ林道らしくなってくる。
すると、ゲートがあった。これ以上は一般車は通行できない。100mほど戻ったところに待避所があり、車は2台ほど駐車できる場所があった。ちなみにここには、「NO.22」という立て札があった。この手前にも番号札があった。そして、この先にも番号札があり、採石場跡地には「NO.56」という立て札があった。長い林道歩きのペース配分になるだろう。
さて、早速準備をして7時09分にスタートした。約2時間の林道歩きを強いられる。とにかく歩くしかないのだ。7時12分にゲートをすり抜ける。
7時20分に「NO.25」の立て札の場所を通過した。7時30分に「NO.29」を、7時40分に「NO.32」地点を通過し、7時44分には「NO.34」の地点に着いた。
ここから「白井沢方面」へ林道が分岐していた。「阿岳谷方面」の表示に従って直進する。7時53分には「NO.36」地点の分岐に来た。
ここでも「阿岳谷方面」の表示に従って、直進する。
さらに8時04分には左へ作業道が分岐している場所を直進し、8時06分には右へ分岐する林道があったが、ここも「阿岳谷方面」の表示に従って直進した。
8時10分に「NO.41」地点を通過し、約1時間歩いたので、8時18分から8時24分まで休憩した。しかし、まだ林道歩きの半分なのである。8時45分に「NO.50」地点を過ぎると、防災工事が目立つようになってくる。しかし、疲れも出てきたので8時51分から8時55分まで休憩を入れた。9時02分に「NO.55」地点を通過すると、9時08分に採石場跡地に着いた。
ここには、「NO.56」の立て札があった。そしてこの奥で林道は終点となっていた。9時13分に到着である。やはりこの林道歩きに2時間かかっている。距離は10kmくらいであろうか。
林道終点からそのまま奥へと進むと、踏み跡はあるようであった。30mほど奥に枯れ沢があった。そこにはポールが立てられ、踏み跡は枯れ沢へ下っている。
枯れ沢の対岸左手を見ると、「焼山登山口」の看板が木に付けられていた。紅白の目印も付けられていた。最初の取り付きにはロープも設置されていた。このロープを登ったところで、これからの急登に備えて、9時15分から9時22分まで休憩した。その後、登りにかかったが、この急登は半端じゃない。
9時31分から9時40分まで、9時48分から9時51分までと休憩を繰り返しながら、10時00分にやっとコブへ出た。ここからは急登も多少は緩やかになるだろうと、休憩の後、10時09分に出発した。10時11分にまたコブを乗り越え、10時22分にやっと主稜線に飛び出した。
1670m峰である。ここから恵那山とその手前に焼山が見えた。しかし、ガスがかかっていた。切り開きは境界尾根を焼山へ向かっていた。反対側にはないということは、焼山へと登山道として切り開かれたものと思われる。ここで休憩して、10時30分に焼山へ向けて出発した。もう30分もかからないだろう。10時41分と10時42分に小さなコブを越えた。笹は切り開かれ快適な尾根道であった。
そして、10時45分に焼山山頂に出た。山頂は樹林の中で展望はない。以前に焼山へ来たときは、東の林道から県境尾根を経由して来たのであるが、そちらの方面はあの時と同じ笹薮であった。切り開きは焼山山頂までなのである。
さて、それでも「ぎふ百山」の中でも難関とされる焼山の山頂に立てたことで満足感はひとしおであった。満足感に浸りながら、いままでの登りを振り返りながら、昼食を摂り、
11時20分には下山を開始した。15時から降雨の予報が気になったからだ。林道まで下りてしまえば、降雨があっても安心だろう。もちろん、落石の危険性はあるが。11時23分、11時24分と小さなコブを
乗り越し、11時33分に1670m峰まで戻った。ここからは急な下りとなる。靴の紐を締めなおし、11時36分に急降下を開始した。途中で単独行の登山者とすれ違った。11時39分にコブを過ぎ、11時43分に次のコブに着いたので11時45分まで休憩した。さらに傾斜が急になった坂を下る。11時49分に倒木の上の登山道をとおり、11時52分と11時56分には登りで休憩した場所を通過して、12時02分に林道終点に下り立った。下りは早い。40分あまりで下ってきたことになる。12時06分に林道終点を出発、あとは、単調な林道歩きだ。降雨の前に駐車場へつければいいがと念じつつ、12時12分に採石場跡地を通過した。12時15分に「NO.55」地点を過ぎ、12時24分に「NO.50」地点へ来た。ここで小休止し、12時27分に出発。「NO.41」地点で、12時46分から13時05分まで休憩した。13時08分に左からの林道と合流し、13時09分には右からの作業道と合流し、13時16分には左からの林道と合流した。ここは「NO.36」地点である。13時19分には「NO.34」地点で、右からの林道と合流した。以後は、13時24分に「NO.32」地点、13時30分に「NO.29」地点を通過したが、この付近から小雨が降ってきた。しかし、小雨だしもう近いからとそのまま先を急いだ。13時40分に「NO.25」地点を通過して、13時46分にゲートをすり抜けた。そして、13時48分に駐車地点へ戻ったのであった。結局、復路は1時間40分で林道を歩ききったことになる。なにはともあれ、無事に帰着できてよかった。
車についたら、雨が本降りになってきた。実にラッキーであった。早速、車に乗り込んで出発し、道の駅「ラ・フォーレ福寿の里」でトイレ休憩をした。ここを14時30分に出発し、帰路についた。ここでは雨も上がっていた。帰路は土岐ICから高速に上がった。15時30分に美濃加茂ICで高速を下り、関市で作業して、帰宅したのは17時00分であった。早速、三田洞神仏温泉へ汗を流しに行った。湯上りのビールはうまい。!!