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竜ヶ岳〜毛無山縦走

平成25年2月10日(日)快晴
 
静岡県富士宮市朝霧高原
 
静岡県、山梨県の山

竜ヶ岳〜雨ヶ岳〜毛無山 縦走

 

竜ヶ岳(1,485m)

雨ヶ岳(1,771.7m)

毛無山(1,946m)

 

                       平成25年2月10日(日)快晴

                        静岡県朝霧高原・山梨県本栖湖

 

3連休であるが、いろいろ用事があって、まるまる3日間を充てることができない。しかし、考えようによっては前後に休養日があることになり、この縦走計画を実行するのに最適だと考えたのである。10日の深夜に出かけるには9日は早くに休まねばならないし、10日の深夜に帰宅しても、次の日はゆっくりと朝寝坊ができるというわけである。

実は、ひそかにもっと欲張りな計画を立てていたのであるが、その部分はキャンセルされることとなった。縦走から早く下山出来たら山中湖畔へ移動して「ダイヤモンド富士」を見ること、さらに宿泊して翌日は富士見林道から「ダイヤモンド富士」を見ること、この2つのダイヤモンド富士が見える可能性を残していたが、いずれも叶わなかった(理由は後述)。

そんな訳で、この壮大な縦走計画が実行されることとなった。縦走であるから車2台があると便利なので山仲間のKさんとパンダさんにお声掛けして快諾をいただき、最強のパーティが出来上がった次第である。というのはKさんはすでに竜ヶ岳と毛無山は登っているので、山の状況はよく知っていらっしゃるし、パンダさんは、日本百名山を目指してすでに29山をいずれも日帰りで登っていらっしゃる「つわもの」なのだ。文武両道というのか、知将と行動派を得たというのか、お二方には失礼かもしれないが、私にとっては鬼に金棒という状況でありました。

前置きが長くなったが、満を持して2月9日を迎えた。この日の用事は、午前中に片付いた。午後は食事をしてビールを飲んだが、深夜1時に出発予定であったので、早々に切り上げて休養した。19時の天気予報で翌日の快晴を確認し、「決行!!」の2文字をパーティのメンバーに送信し、就寝した。いつものことであるが、目覚ましもセットしていなかったが、0時40分に目覚めた。登山用具はすでに用意して車に積み込んであったので、1時01分に出発した。1時23分にKさん宅でKさんの車に乗り換えて、すぐに出発した。1時30分には美濃加茂ICから東海環状自動車道に上がり、豊田JCTへと向かった。今回は中央道ではなく、新東名を選んでいた。新東名は3回目だが評判どおり走りやすい。途中、ノンストップで新富士ICまで来てしまった。3時50分、2時間30分で高速を走りぬけたことになる。新富士ICからは、西富士道路〜国道139号と1本道で、4時19分に道の駅「朝霧高原」に到着した。道の駅「朝霧高原」は、深夜でも相当な車が駐車していた。ここで、パンダさんと合流する予定なのだ。富士山はきれいなシルエットを見せていた。さて、予定どおりに5時00分にパンダさんが到着し、あいさつを済ませて、1台をデポするために毛無山登山口の「麓」の無料駐車場へ向かったが、この毛無山登山口が分からず朝霧高原付近をうろうろ、そして、なんとか無料駐車場は見つかったが、登山口から遠すぎるということで近くの有料駐車場を探したのであるが、これが全く分からず時間は刻々と過ぎていくし、深夜のこととて聞く人もなく、・・・やむを得ず、無料駐車場にデポすることになった(まあ、これは予定どおりではあったが)。

そして、1台に同乗して登山口となる本栖湖キャンプ場へと移動した。こちらは簡単に見付けることができた。だだっぴろい駐車場に数台が駐車していた。われわれも早速準備をして、6時23分に出発した。予定より約40分の遅れである。これくらいの遅れはすぐ取り戻せるだろうと考えていたが、それは甘すぎたということをすぐに思い知らされる。

 

 

キャンプ場にすら積雪があるのだ。アイゼンは持っていたが、山頂での積雪が心配になる。さらに縦走路は明瞭な道があるわけでもなく、その上に積雪があれば時間がかかることは想像に難しくない。案内書によれば、「雨ヶ岳、毛無山間の縦走は、必ずベテランを同行させよ。」と書いてある。「ベテラン」とうのは、その縦走路の経験者という意味であるならだめだが、雪道の縦走の経験ということであれば、問題はない。

キャンプ場の中を案内板に従って、通り抜けていく。6時34分にはキャンプ場を抜けて舗装道路を横断する。さらに案内板に従って進んで、6時38分にやっと遊歩道が山道になる登山口に出た。

 

 

 

 

 

登山届の箱もある。ここから登山道に入る。道はジグザグについているので、登りやすい。積雪は10〜20cmくらいであろうか。よく踏まれているので圧雪状態でよく滑る。しかし、まだアイゼンは付けなかった。

 

 

7時02分にベンチのある休憩適地に飛び出した。富士山がきれいに見え感動。いやー今日はよい天気になりそうだ。いつみても富士山はいい!!日本人の心だ!!特に冠雪して真っ白なのは神々しい。7時13分にここを出発して、さらに積雪の登山道をジグザグに登って行く。急登が一段落して、緩やかになると、7時30分に東屋のある場所に出た。

 

 

東屋のそばには石仏もあった。ここからの展望も素晴らしい。7時38分にここを出発した。尾根を急登していくのであるが、道はジグザグにつけてあるので登りやすい。そして、急登を終えると、道は緩やかになり本栖湖から上がって来る登山道と合流する。

 

 

 

 

8時06分に着いた。山頂付近はさらに積雪が増え20cmくらいである。8時14分に出発し、ここからは山頂まで緩やかにアップダウンの道をたどる。8時20分に竜ヶ岳山頂に飛び出した。目の前にデーンと富士山がそびえている。山頂には多くの登山者がくつろいでいた。ああ、よかった、こんな富士山を見ることができて・・・。

 

 

 

 

さて、これからどうするか、このまま前へ進か、それとも、引き返すか。パーティ全員一致(?!!)で先へ進むことにした。まあ、それはいいではないですか。ここまで来ては先へ進むしかいのです。まあ、実はこの先に「端足峠」があって、そこが縦走するのか、エスケープするのか、の分岐点となるのだ。

さて、そんなことで、8時33分に竜ヶ岳から端足峠へ向かって下って行った。急な下りである。積雪と霜柱で大変な坂道を下って行く。そうして、いったん最低部まで下って少しだけ登り返したところが、端足峠であった。

 

8時54分にその端足峠に着いた。折から、本栖湖の方から、登山者が登って来るところであった。その登山者は地元山梨県の人で、この付近の山へ登っているらしい。2週間前はここから雨ヶ岳へ登ったが、今日はここから竜ヶ岳へ登るのだという。2週間前には積雪はもっと多くて50cmくらいであったとか、その上足跡は全くなかったと・・・。いまは、積雪30cmくらいであり、足跡もたしかにある。

そんな状況で、結局雨ヶ岳〜毛無山への縦走路に突入することとなった。9時07分に出発した。踏み跡をたどって行くと、しばらくして下山してくる登山者と出合った。どこから来たのか、縦走してきたのか、確かめる聞がなかった。ただ、相手からはこの先急登だということが・・・。まあ、端足峠で出合った人からも急登が2か所あるとは聞いていた。なお、気を引き締めて先へと進む。この時点で「引き返す」とか「撤退」の文字は一切頭に浮かばなかった。そんな訳で果敢に急登にトライしていった。あとから聞いた話ではKさんやパンダさんは、誰かが「引き返そう。」という言葉を言ってくれないかと思っていたとも・・・。

まあ、すごい急登であることには変わりなかったが、途中で9時18分から9時25分までアイゼンを付けるために休憩し、急登を登り切ると、いったん傾斜が緩み、9時51分には「登山ルート」という標柱の場所に出た。ここには「雨ヶ岳まであと40分だよ」という書き込みがあった。さて、10時00分にここを出発し登り始めると、さらに急登となり、ゼーゼーと息を切らしてそれを登り切ると、10時44分にやっと雨ヶ岳山頂に飛び出した。

 

 

 

 

 

もう疲れきっていたので、ここで昼食と休憩にした。目の前には富士山がそびえている。絶好のロケーションだ。ああ、幸せ!!私は縦走に備えて極力背中の荷物は少なくしていたが、同行者はそれぞれに楽しい昼食を用意していた。さすがにすごい!!私には真似ができない。私の基本姿勢は「自分のことは自分で!!」ということだから、当然自分のことだけで他人に気配りができない。

まあ、それはそれとして、休憩の後、11時17分、さらに毛無山へ向かって縦走を始めると・・・!!なんと、足跡は一切ないのだ!!端足峠からの登りで出合った人たちはいずれも雨ヶ岳のピストンであったのだ。ということは、ここからは、本日「未知の世界」となる。我々が初めて足跡を付けることになるのだ。30〜50cmの積雪のなか、ラッセルとなるので、交代で先頭を務める。いつもは単独であるが、この時ほどパーティでの行動をありがたいと思ったことはない。単独で積雪の山へ入ると、ピストンとなるし、ラッセルを交代してくれる人もない。とにかく自分自身、自分一人の体力と精神力しかないのだ。そんな思いでいままで単独の雪山へ行っていたが、今日は違っていた。先頭を交代しようと行ってくれる人がいるし、ルートファインディングを導いてくれる人もいる。なんと心強いことか、がぜん、勇気と力がよみがえった。とても単独ではこの縦走が叶わなかったであろうと思う。同行者に感謝、感謝である。

雨ヶ岳から、毛無山の間は、これといった明解な目印はないが、左手に富士山を眺めながらの縦走だ。11時36分に積雪の中にある「登山ルート」という標柱を通過した。そして、12時04分にも同じ「登山ルート」という標柱を通過した。さらにアップダウンは続く。アップダウンを繰り返しながら高度を稼いでいくというルートなのだ。そして、12時30分に富士山が目の前にそびえる「タカデッキ」というピークに出た。

 

 

目の前には毛無山がそびえている。積雪量は相変わらずであったが、ここから少し下ると、12時38分にまた、展望のよいピークに出る。

 

 

ここからは、急な下りとなる。目の前にそびえる毛無山までには、鞍部があり、いったん下って登り返さなければならない。12時43分に「登山ルート」の看板を、12時53分にも「登山ルート」の看板を過ぎる。なにせほかに足跡や看板や道標はないので、ルートが間違っていないという、唯一のよりどころとなる。13時34分にピークに出た。しかし、まだ毛無山ではないようだ。毛無山はこの稜線の最高点ではなく、毛無山までにはいくつものピークがあるという。それで、13時38分にもピークに出た。このピークには「登山ルート」の看板もあった。13時41分にも同じような「登山ルート」という看板のあるピークに出た。これが、大見岳(1964m)かもしれない。そして、13時55分にやっと毛無山の山頂(1946m)に飛び出した。

 

 

やった!!山頂では多くの登山者がくつろいでいた。

しかし、ここまで来たら富士山はガスに隠れてしまっていた。いままですっときれいな富士山が見えていただけに残念だ。しかし、やむを得ない。Kさんは前回毛無山へ登ったときも富士山が見えなくてリベンジだと言っていたのに残念であった。しかし、これだけは自然の成り行きでどうしようもない。

14時22分に下山を開始した。もうあとは、下るのみなのだ。14時28分に下部温泉方面、地蔵峠方面と、麓方面への分岐点にでる。ここには、大岩があり、この大岩に登ると南アルプスの全貌がきれいに見えるようだ。さて、この分岐を14時31分に出発して、麓への下山を開始した。14時36分に「富士山展望台」に出た。しかし、富士山はガスの中で全く見えなかった。14時45分に「毛無山八合目」の看板を過ぎ、14時56分から14時58分まで体温調節のためシャツを脱ぎ、15時06分から15時12分までは、アイゼンをはずすため休憩した。15時14分に「毛無山六合目」の看板を通過した。15時24分に「登山ルート」という看板を通過し、15時31分に「登山ルート」という看板とレ「スキューポイント」の看板のある場所を通過した。15時47分に「毛無山三合目」の看板の場所を通過し、15時50分に「毛無山山頂←→麓」という看板を通過した。そして、15時56分に「不動滝見晴台」の看板に着き、不動滝を遠くに見た。

 

 

16時00分にここを出発し、16時02分に「毛無山ニ合目」を通過し、16時02分に「登山ルート」の看板を通過した。さらに16時04分、16時07分にも「登山ルート」の看板を通過し、16時08分に「はさみ石」の看板を通過した。そして、16時10分に「毛無山一合目」の看板を通過したら、16時12分には「滝まで15分」の看板を過ぎた。そして、16時17分に地蔵峠への登山道と合流した。

 

 

あとは、一本道だ。涸れ谷を渡って、16時21分に林道へ出た。16時27分に神社の前を通過して、16時28分に登山口に出た。

 

 

 

 

 

 

この横に有料駐車場があった。朝は暗くて気付かなかっただけのことだ。ここからは、舗装道路を歩いて無料駐車場まで戻ったのであった。16時50分に駐車場に着いた。

 

 

ここから、本栖湖の駐車増へ来てもう1台の車を回収した。そして、17時19分に本栖湖の駐車場でパンダさんと解散した。

ほぼ予定通りであった。復路も新東名を使うことにして、17時28分に道の駅「朝霧高原」で休憩して、17時36分にここを出発し、新富士ICを目指した。18時20分新富士ICから新東名に上がり、一路美濃加茂ICを目指した。途中ノンストップで来たが、「三ケ日JCから音羽蒲郡ICまで15kmの渋滞」という案内があったが、構わず走行し、実際に渋滞に遭いながら、21時20分に美濃加茂ICを下り、21時30分にKさん宅で車を乗り換え、22時00分帰宅した。最後は予定通りであった。とにかく無事に帰宅できてよかった。