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日 野 山(795m)
平成24年12月2日(日)晴れ
福井県越前市
今日は、福井県の「日野山」と「そま山」に登る予定である。「日野山」は、越前5山の一つらしい。成るほど形のよい山だ。しかし、岐阜からは遠い。関市のK氏も同行してくれるというので心強い。美濃市の中濃総合庁舎で6時15分に集合した。定刻より早くに集合して、6時05分に出発した。美濃ICから高速に上がり、白鳥ICまで行き、油坂峠(越美トンネル)を越えて、国道158号で北陸道の福井ICへ向かう計画だ。ところが車のトラブルがあり、八幡ICからUターンして引き返すことになった。中濃総合庁舎まで戻り、車を変えて再出発した。今日は「日野山」と「そま山」と2山へ登る予定で、きついスケジュールであったが、このハプニングで約1時間のロスとなった。7時05分に再出発した。この時点で「そま山」は、無理であろうと思っていた。7時30分に白鳥西ICを出て国道158号に入り、福井ICから8時45分に北陸自動車道に上がった。そして、武生ICまで高速を走り、9時00分に武生ICで下りる。国道8号、から国道365号へ左折して南下し、「日野神社、日野山登山道」の看板で左折して、県道202号線へ入る。

すると、日野川にかかる橋を渡ると突き当たるので、右折し日野川に沿って南下する。すると、左手に「日野神社」という大きな石碑がある。右手には「日野山登山道←日野神社→登山者用駐車場」という看板がある。

ここで、左折して道なりに進むと、日野神社の鳥居に突き当たる。左折したところに駐車場がある。整理して駐車すれば10台くらいは駐車できるであろう。日野神社の境内にも2〜3台駐車はできよう。我々は、9時19分に到着した。すでに数台の車があり、数人のパーティが登山準備をしていた。

さて、我々も早速準備をして、9時26分に出発した。日野神社の左側を奥へと登って行く。駐車場を出たところに、日野山登山道の看板があった。


左に駐車場、右に日野山登山道の看板を見て、その間の道を登って行くのである。右手に日野神社を見て進む。すると、すぐに「日野山3.1km」という道標がある。

さらにそのまま登って行くと、9時29分にフエンスに突き当たる。獣除けのフエンスと思われる。人は通れるようになっているので扉を開けて入り、また扉を閉めておく。
林道を登って行くと、地道の林道に出て左へ、さらにY字路があり、石柱によると、どちらも「日野山山頂に至る」と刻まれている。


どちらに行こうか迷ったが、先行する数人のパーティが右へ進んだので我々もそれについていった。Y字路を右へ行くと、橋を渡ってすぐにまたY字路がある。

ここには道標はなかったが、先行パーティが左へ登って行くのでそれに従った。ジグザグの急な荒れた林道となり、9時39分には2つの鉄塔がある場所に出た。この辺りはとても車では通行できない道だ。そして、崩れた場所をよじ登ると平坦な広場に飛び出した。
ここで、先行パーティを追い越し、ここからコンクリート舗装の林道を登って行った。このコンクリートの道が参道らしい。

すると、9時51分に左への分岐があった。石柱があり、「左 石の唐戸に至る、右 日野山山頂に至る」と刻まれている。ここは、そのまま参道(コンクリートの舗装道)を登って行く。9時58分には「南条新武生線NO.20」という鉄塔の横を通過する。そして、10時04分に古道の入口に着いた。コンクリート道から古道が分岐しているのだ。


入口には「古道3の下」という看板があった。また下方には「古道2の上」という看板が木に付いていた。古道には下から順番に番号が付けてあるらしい。そして、ここは「古道3」の下からの入口ということなのだ。

10時07分にはまたコンクリート舗装の参道に出た。この参道の反対側には「古道4の下」という看板があった。それで、参道を横断して「古道4」へ入る。

10時09分には同じように「古道5の下」の看板から古道へ入る。

そして、10時10分に「古道6の下」の階段の場所に出た。ここには、室堂まで200mの看板もあった。ここから「古道6」に入って登ると、10時15分に「古道6の上」に飛び出した。すぐ右手にはお堂が見えた。

これが、室堂であろう。案の定、室堂で10時16分に到着。お堂と思ったのは「室堂休憩所」であった。さらにお堂のような建物もあった。「室堂5合目」という石柱もあった。

10時18分に出発したが、すぐに道は2つに分かれていた。参道と登山道(古道)の分岐であろう。近道であろう古道へ入る。すぐに「頂上まで950m」の看板があった。10時25分には「頂上まで800m」の看板を通過し、10時27分には参道を横断し、すぐに古道へ入る。10時30分にも同じように参道に出て、これを横断し古道に入る。ここには「頂上まであと650m」の看板があった。10時34分にはまたまた参道に出る。参道を左へ少しだけ登ると、また古道の入口があり、ここには「右 比丘尼ころがしを経て山頂に至る、左 山頂に至る」という石柱があった。

当然「比丘尼ころがし」を体験しないといけないと思い、右の古道を登る。10時40分に「あと500m」の看板を通過し、10時44分には「大比丘尼ころばし」の云われを書いた看板がある場所を通過した。

さらに10時47分に「あと350m」の看板を通り、10時51分に「長命水池」の看板の場所を通過した。

それにしてもこの急な岩場は長く続く。

そして、さらに登り、やっと、10時59分に林道(参道?)に飛び出した。これを横断し、さらに岩場を登ると、笹の道を抜けると、目の前に鳥居があり、奥の院が見えてきた。


右手には休憩小屋があり、左手には北の宮跡と下山道の道標があった。11時06分に山頂に着いた。3人の女性パーティが休憩中であった。

三角点はもう少し先にあると聞いて、11時12分に出発して三角点を見にいくと、11時13分に三角点のある広場に出た。


11時17分には引き返し、11時18分に休憩小屋に着いたので、この小屋で昼食にした。昼食はK氏が用意してくれたが、おにぎりにロールキャベツとそうめんという豪華な昼食となった。
さて、おなかも膨れたところで、12時01分には北の宮跡のお堂へ行き、北方の展望を楽しみ、ふたたび鳥居まで戻り、12時05分に下山にかかった。

下山は「比丘尼ころがし」の古道は、雪で滑ると思い敬遠して、参道を下った。そして、参道を下って、「大比丘尼ころがし」の入口の所へ来た。ここからは参道ではなく、古道へ入り古道を下った。12時27分に「あと650m」の看板の場所で参道を横断し、さらに12時29分にも参道を横断して、12時33分に室堂に下りてきた。12時34分に室堂を発ち、参道を下って、12時38分に「古道5の上」から古道に入り、12時40分に「古道5の下」へ出、同じく12時40分に「古道4の下」を通過し、12時43分に「古道3の下」に出る。ここからは、往路をたどらず、すぐに「古道2の上」から古道に入った。そして、12時49分に鉄梯子を下って、「古道2の下」に下り立つ。ここで参道を横断し、すぐに「古道1の上」から古道に入る。12時52分に「古道1の下」で参道と合流した。

参道を下って来ると、12時55分に「頂上まで2.3km」の道標を通過して、すぐに橋を渡り、12時58分に林道のY字路に出た。ここの石柱には、「右 日野山山頂に至る、左 日野山山頂に至る」と刻まれている。これで、登山道と古道と参道の全容が頭に入った感じである。あとは、往路をたどって、13時05分に駐車場に戻ったのであった。
さて、予定時刻より約1時間ほど早かったので、そま山へ行くことにして車をスタートさせた。