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大 平 山(点名:大平山 212.5m)
平成24年4月15日(日)曇り
本巣市文殊
病院へ顔を出してから、近くの山へ登った。岐阜市三輪の城山へ登った後、この大平山へも登ったのである。下山して昼食後は、病院へと行き病院で缶詰となった。
さて、この大平山は本巣小中学校のすぐ東にある山である。しかし、登山道はなさそうなので、地形図から判断し、西尾根を使おうとして、西側の山麓を回ってみたが取り付けそうな場所が見つからなかった。
結局、本巣中学校の東門の前に駐車した。その後門の前に「白髭神社」があったので、そこから取り付こうとしたのであった。
11時45分に用水を渡って、白髭神社の側に来ると「歯痛を治す神社」という石柱があった。この白髭神社の背後に上がって見たが大変な急斜面であるし、踏み後などない。地形図でも等高線が混んでいるので当たり前であるが、やむを得ないので木につかまりながら急斜面を這い上がった。11時56分に尾根にでると、なんと尾根には踏み後があった。
そして、尾根を少し登ると11時59分にはなんとロープがある場所に出て、立派な登山道が現れた。ロープはいま自分が上がってきた尾根へ入り込まないように通せんぼする形で張ってあった。下山はこのロープに沿って下ろうと考えた。
そして、尾根を登っていくと、12時00分には「西ノ門1号墳」という立て札があった。足元の岩が古墳なのであろうか。さらに登ると、12時07分には「西ノ門2号墳」という立て札もあった。そこにも岩があったが・・・
さらにすぐ先、12時08分に「すみれ広場」という立て札があったが、どこがすみれ広場なのかはよくわからなかった。
そして、12時12分には「コスモス広場」という立て札も現れた。スミレやコスモスが咲き乱れていたということか?たしかにそれまでの傾斜とは打って変わって平坦地にはなっているが・・・12時13分には「古墳の道」という立て札のある場所に出た。この先で登山道は右へ90度曲がっている。そして突き当たる形で今度は左へ90度曲がる。
この左へ90度まがる場所には「監視硝跡」という立て札があり、12時16分に着いた。ここにはちょっとした広場と四角いコンクリートの台とその上にベンチのようなものがあった。何を監視したのか?戦時中のものか?他に説明版もなにもないのでさっぱりわからない。さらに進んでいくと、ほとんど平坦地であるが、それでも12時24分にはピークのようなコブを越えるが、そこには「〇1番」の立て札があった。
そして、少し下ると鞍部になり、12時25分に鞍部を通過すると、左手に展望が開ける。
そして、最後の坂を登ると、T字の尾根に突き当たり、そこに三角点があった。点名:大平山、山名も大洞山(212.5m)だ。12時30分に到着した。残念ながら展望はない。12時34分には下山にかかった。12時37分に鞍部を通過し、12時39分にはピークを越える。そして、12時42分に監視硝跡を右に曲がって、すぐに左へ曲がると、12時43分には「古墳の道」の立て札のところへ来た。あと、12時44分に「コスモス広場」、12時45分に「すみれ広場」、12時46分に「西ノ門2号墳」、12時48分に「西ノ門1号墳」をそれぞれ通過して、ロープのある場所に出た。ここからは往路をたどらず、ロープに沿って尾根から左へくだることにした。
12時50分に沢筋に下り立った。あとは、沢を下ると、湿地帯があり、12時55分には大平山登山道案内図が放置してある広場に出た。ということは、かつてはこの登山道を利用して大平山へ登っていたということだ。看板には本巣小学校と書いてあったから、小学校の野外学習(オリエンテーリング)で使っていたのであろう。
ここから沢に沿って下ると、12時59分に本巣小学校の東門のところに出た。この登り口には土石流危険渓流「月洞谷」という看板が立ててあった。
車道を歩いて、13時02分に駐車地点に戻った。