![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
|
大竜寺〜源太峰〜百々ヶ峰〜西百々ヶ峰〜諏訪神社の縦走
源太峰(228.1m)
百々ヶ峰(417.9m)
西百々ヶ峰(341.5m)
平成23年10月22日(土)雨
天気は「雨」であるが、ワンゲルの例会の下見のため、岐阜市の最高峰の山塊の縦走に出かけたのであった。山を甘く見過ぎた結果、大変な目にあってしまった。
まずは、出かけたのが遅すぎた。自宅を出たのが11時53分なのである。こんな縦走なんて簡単にできるだろうとたかをくくっていた。とにかく雨なので雨具を着こんで、北上し、登山口となる大竜寺を目指す。12時13分に大竜寺の駐車場に着いた。広い駐車場はガラーンとしていた。この駐車場入口の左手にお墓があるが、このお墓との境に登山道がある。12時15分にここから登り、右下に大竜寺を見ながら尾根を登って行く。やがて、大竜寺も見えなくなると、しばらくして小屋が見えてきた。何の小屋かなと思って正面へ出てみると、「音牛山」という表札がかかっている。お堂のようだ。12時26分に到着、標高100m付近である。さて、先へ進むと、12時32分に尾根に出た。この尾根を右へ登って行く。すると、12時40分にまた尾根に出る。ここでは左へ登って行く。すると、12時43分にはアンテナのあるピークを過ぎる。そして、12時56分にピークに出た。標高207m地点である。ここで左へ曲がる。13時00分に出発したが、この先は道がなくなった。しかし、尾根を忠実にたどって行く。13時08分にピークに達した。ここからは踏み跡が出てきた。13時19分には次のピークに出たが、ここからは踏み跡がなくなった。13時23分には植林に突入したが、植林の中は藪がなくて歩きやすい。13時27分にピークに出た。ここからは踏み跡がなくなった。13時37分にもピークに出た。14時04分にもピークに出た。このピークが源太峰だと思ったが、いくら探しても三角点が見つからない。それで、三角点をあきらめて14時11分に右手へ下って行くと、左手に百々ヶ峰への尾根が見えるではないか!それで思い直してピークまで戻り、ピークから左の方へ下ったら、すぐに登りに転じて、14時23分に源太峰に到着したのであった。三角点の周囲は木々が切り取られてきれいに整備されている。以前に来たときとは大違いであった。先を急がねばならないので、14時27分には右手の方へ下っていった。すると、14時33分に中部電力の「北岐阜月丘線NO.5」の鉄塔に出た。ここからの展望はなかなか良い。これから向かう百々ヶ峰への稜線が見渡せる。ここからは、鉄塔巡視路のおかげで道がはっきりしている。快適に歩いて、14時40分にNO.6鉄塔に着いた。さらに、14時47分には紅白の鉄塔に出た。これは、北部西濃線NO.37鉄塔であった。そして、14時51分にも鉄塔に出た。この鉄塔は福富トンネルの上部の鉄塔のようだ。さらに先を急ぎ、岩場を乗り越えると、左への分岐があり、15時00分にピークに出た。そして、15時01分に登山道の脇に小社があった。この付近は尾根を忠実にたどると、15時03分にピークを越え、その先で分岐があり、左へと進む。15時08分にピークを越え、15時11分に林道へ出た。これを横断し、尾根に取りついて、忠実に尾根をたどる。この取りつきには「北岐阜月丘線NO.12、NO.13、NO.14」という案内板表示がある。このうちNO.13を目指すこととなる。そして、アップダウンが続き、15時16分、15時17分、15時20分、15時22分とピークを越える。15時23分には鞍部に下り立つと、そこにはなんと鳥居があった。??どこの神社の鳥居なのか?この鳥居のすぐ先に鉄塔があった。15時25分に着いた。これが「NO.13鉄塔」なのであった。ここには、「NO.14鉄塔」への案内板があった。
はじめはNO.14鉄塔の巡視路をたどるが、巡視路は左へ山腹を吐くようにトラバースしていくので、巡視路と分かれ、尾根を直登する。15時30分、15時44分とピークを乗り越え、15時58分に東海自然歩道のピークに飛び出したのであった。ここには鉄塔があるが、鉄塔番号は確認できず。
ここから下ると、16寺00糞にトイレのある管理車道に下り立つ。ここからは、遊歩道を登り、16寺12分に百々ヶ峰(417.9m)に着いた。誰もいない雨の中の山頂であった。急いで西百々ヶ峰を目指した。遊歩道のため快適に歩けるが、相変わらずの雨のため厄介ではあった。16寺32分には西百々ヶ峰に着いた。しかし、長居はできず、すぐに出発し、16時37分に反射板に出たのであった。眼下には岐阜市の市街地が広がっていた。16時53分には左への分岐があり、これを直進した。そして、17時02分には諏訪神社へ下り立ったのであった。あとは、車道を歩き、17時13分には「鳥羽川」バス停に出た。さらに歩いて自宅へ向かい、17時30分に帰着したのであった。