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岩崎山(209.4m)

平成23年06月25日(土)曇り
 
滋賀県長浜市
 
グループ

山本山(324.4m)

西山三角点(360.4m)

賎ヶ岳(421.1m)

大沢三角点(269.7m)

岩崎山三角点(209.4m)

余呉湖

 

      平成23年6月19日(日)曇り

 

今日は、ワンゲルの例会日であったが、前日の天気予報により、中止と決定していた。しかし、実行委員としては、その決定が正しかったのか、あるいは、決行したらどうだったのか、を確認するために例会どおりに近江の湖の辺の道へ出かけた。

予定通りに5時59分県庁に集合したが、予定時刻より早くに集合し、打ち合わせ後余呉湖へ向けて2台に分乗して出発した。

早朝の国道は渋滞もなくきわめて順調で、予定どおり7時40分には、余呉湖の観光客用無料駐車場に到着した。ここで、1台の車をデポして、1台の車に乗り込んで、まずは、余呉湖観光館でトイレ休憩してから、山本山の登山口となる朝日小学校(朝日山神社)へと向かった。

こちらも順調に進み、予定通り8時00分に到着した。めいめいに登山準備と準備運動を済ませ、8時04分に出発した。予定よりは約20分早かった。石の階段を登っていく。8時07分に常楽寺に着く。小休止のあと、8時09分にここを出発、すぐに第1展望台があり、さらに登ると、8時12分に「忠魂碑」のある展望台に出た。眼下に田園風景が広がる。

さらに急坂は続くので、我慢の登りである。そして、8時20分に「山頂まであと15分」という案内板とベンチのある場所に出た。ここで大休止した。朝もやの中に琵琶湖や田園が見える。天気は曇りで時々薄日もさすような状況である。しかし、湿度は94%と高い。汗が噴き出してくる。暑い、暑い。あと15分に励まされ、8時26分にここを出発し、山本山山頂へと登っていった。8時36分に「三の丸跡」に出て、さらに8時38分に「本丸跡」の山本山山頂へと飛び出した。予定よりは20分ほど早かった。つまり、出発が早かった分早いわけで、自分の描いた予定通りの時間で進んでいるということだ。琵琶湖に浮かぶ「竹生島」がきれいだ。眺望を楽しみ山本山の三角点(324.4m)を確認してから、8時44分、いよいよ縦走路へと踏み込んだ。予定より20分早い。すぐに馬場跡があり、馬の蹴跡石もある。急な坂を下っていくと、やがて、坂は緩やかになり、9時06分に「熊野越」に出る。看板によると、明治27年から昭和35年まで、琵琶湖畔の集落である、片山の児童は古保利集落にある小学校へ通うため、この峠を毎日越えていたという。昔の子供は強かった。

さて、我々は、そうした子供たちに負けてはいられないと、元気を出して、9時15分に出発し、緩やかなアップダウンの尾根道を進んで、9時35分に「西野越」に着いた。この峠道は木戸の道と呼ばれ、琵琶湖畔の木戸港へ通じる道であり、「木戸港跡0.4km」の道標がある。ここには「古保利古墳群」の大きな看板がある。9時41分にここを出発し、少しの坂を登って、199mピークを越えると、やがて、9時50分に「海老越」に出る。海老越しというからには、かつては海老を運んだのか?と思いをはせながら大休止する。雨は降っていなかったが、蒸し暑いことこの上ない。時折吹きぬける涼風が実にうれしい。

さて、予定より30分早くの10時01分にここを出発した。ここからは少しきつい登りとなり、10時11分に「阿曽津千軒」の分岐に着いた。ここで、休憩し、10時15分に出発して、320m峰へ向けての急な坂を登っていく。

10時27分にやっとの思いで、320m峰に出た。ここでも、予定より約20分早かった。ここで、昼食休憩としたが、植林の林の中で藪蚊が多かった。ゆっくり食事もしていられないと早めに切り上げた。11時40分に出発したので、予定より30分以上早かった。ところがここを出発したら、すぐの10時46分には雨が降り出した。そして、10時47分に「有漏神社」の分岐の場所に出たので、ここで、雨具を付けたのであった。そして、10時55分にここを出発した。ところが、すぐの11時01分には雨は上がったので、11時04分に雨具を脱ぎ、11時09分に出発した。時折薄日が差す天気になったが、相変わらず暑い。そして、11時16分に三角点(点名:西山)に着いたのであった。植林の中で展望もないため、すぐに出発した。予定よりは30分早い。ここから先で、ようやく賎ヶ岳が見えるようになる。そして、すぐに鉄塔が2つある場所を通過するが、あまりの美しい展望に、11時29分にしばし休憩した。元気を取り戻して、11時37分に出発した。すぐの11時39分に山梨子峠に下り立った。ここからは賎ヶ岳に向けてつらい登りが始まる。そして11時52分リフトの乗り場に着いた。ここでも休憩し、11時58分にリフトで上がってきた観光客に交じって、山頂を目指す。12時07分に賎ヶ岳山頂に飛び出した。ここでも予定より30分早かった。

ここではおやつ休憩である。さすがは賎ヶ岳である。多くの観光客が休憩中であった。休憩が終わるころ、12時38分に雷雨があった。それで、雨具を着けて、12時44分に下山を開始した。ここでは予定より15分早かった。途中で12時57分から13時00分に雨具を脱いだ。植林の中の気持ちのよい道を下って行く。雨上がりで少しは涼しくなったようだ。

そして、13時11分に登山道の脇の高みにある「点名:大沢」の三角点(269.7m)を確認し、13時16分に「猿ヶ馬場」に着いた。植林の中に石碑がある。さらに進んで11時19分に「首洗い池」の分岐点を通過し、13時23分に林道の終点に出た。

林道を歩いて、13時26分に「中川清秀」主従の墓を見学し、13時27分に出発した。ここでは、予定より約20分早かった。

あとは、快適な下りである。13時30分に林道へ出て、すぐに山道へ入り、13時36分には余呉湖への分岐に着いた。ここで最後の休憩をとり、13時40分に出発した。13時48分に岩崎山三角点の分岐に出た。予定にはなかったが、岩崎山の三角点を確認しようと、藪の中へ分け入り、13時55分にどうにか、「点名:岩崎山」三角点を見つけた。そして、14時02分に車道へ出て、14時04分に駐車場へ着いた。この時点で予定通りの時刻となった。

さて、あとは、余呉湖観光館でトイレ休憩とかき氷を食べて、暑さを和らげ、山本山神社で車を回収して、帰路に着いた。県庁着は16時30分であった。予定時刻より30分早かった。

この計画は中止となったのであるが、その判断がどうであったか、確認するための決行であったが、結果としては途中雷雨に見舞われたことを考えると、中止でよかったのではないか、無事に下山できたのは、たまたま、運が良かっただけのことであろう。

一方、自分の計画については、賎ヶ岳までの登りは良かったと思うが、賎ヶ岳からの下山の計画は甘すぎた。もう少しゆるい時間配分にしないといけないと思った次第である。

なにはともあれ、無事に終了したことを喜ぶ。そして、12kmのロングコースを歩き切ったことは、ゆるぎない自信につながったと大きな達成感に満たされた。