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別所山(m)

平成23年05月8日(日)
曇り
 
滋賀県長浜市
 
グループ

行 市 山(659.7m)

    別 所 山

 

平成23年5月8日(日)曇り

滋賀県長浜市余呉町小谷

 

最近は滋賀県の山々へ通っている。6時30分に自宅を出発し、国道303号の八草トンネルを経由して長浜市へ入った。そして、杉本地区で右折して県道284号線へ入る。狭い道を上がっていき、真っ暗な狭いトンネルを抜ける。トンネルから下っていくと、県道285号線(中河内木之本線)へ突き当たるので、そこで右折する。右折するとすぐに左手に「茶わん祭りの館」があるが、ここでトイレ休憩をするとよい。

さて、ここから少し北へ行くと、左へ分岐する旧道がある。バイパスは右へカーブして橋を渡っている。旧道は高時川の右岸沿いに進んでいる。そして旧道はL字型に90度右へ曲がっている。その正面に「伊香西国29番札所 七々頭ヶ岳権現参道」の石柱があり、左には駐車広場があり、右へ90度曲がると八田部橋があって、橋を渡るとバイパス道へ出るのである。この10台くらいは駐車できそうな駐車広場に車を止めて、7時59分に出発し、9時59分に下山してきた。

さて、次は「行市山」である。この行市山は賤ヶ岳の戦いのときは、「佐久間盛政」の砦があった所だ。この付近には柴田勝家方の軍勢の砦跡が多くある。七々頭ヶ岳から下山し、県道285号線から県道284号線に移って、国道365号へ出る。ここで右折して、武生方面へ進むと、北陸自動車道と並行するようになり、やがて「小谷」バス停がある。このバス停の先で左折して林道へ入る。林道を進むと、すぐに各山の登山口の看板がある。これによると、「中谷山、大池山、林谷山、別所山、行市山、登山口 藤房親不破勝光、徳山則秀、金森長近、前田利家父子、佐久間盛政兄弟の各砦跡を結ぶ堀道が行市山の山頂まで延々と続いている」と書かれている。柴田勝家方の砦間を人馬が行き来できるようになっていたのである。素晴らしい陣容であったと想像される。

さて、この林道を約3.5kmほど上っていくと、登山道入り口の看板があった。この看板は、「行市山登山道 行市山 標高659.7m 賤ヶ岳合戦戦跡 佐久間盛政砦 別所山 標高447.8m 賤ヶ岳合戦戦跡 前田利家俊長父子砦 現在地 標高402m」という説明が書かれている。近くの林道のふくらみに駐車して、ここから入山した。

10時41分に出発した。登山道に入るとすぐに「頂上まで1600m」という札があった。こうした山頂までの距離を示した札や杭があり、登りの目安になる。10時44墳には、「頂上まで1400m」の札を通過した。そして、10時47分に「別所山砦跡」という看板の立つ広場に出た。なるほど砦があったような平坦地がある。ここにも説明板があり、「史跡 別所山砦跡 別所山は遠く鎌倉の頃より、天台宗の別所山万福寺のあったところであるが、寺院は戦国兵乱の戦火により焼失している。天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦において、別所山に柴田勝家方の陣地として七尾の城主であった前田利家と府中の城主であった前田利長父子が僅か2ヶ月余で砦を構築したところである。柴田勝家の玄蕃尾城の本陣より行市山頂を経て、別所山、中谷山、大池山、林谷山の各陣地は尾根を人馬によって駆け抜けられる道によって結ばれた強力な陣地として構築された。しかし、柴田方はこれら強固な陣に依って戦うことは一度もなく、余呉湖畔で敗北する結果となった。平成9年4月1日町指定史跡に指定 余呉町教育委員会」と記載されている。

ここで、パラパラと雨が降ってきたがすぐに止んだので、行市山へ向けて、10時56分に出発した。すぐに「行市山山頂1300m」という杭を通過し、10時57分には「行市山山頂1200m」という杭を通過する。左下に林道を見ながら尾根を進んでいく。そしていよいよ急登となるが、急登の途中に「行市山山頂1000m」の杭があった。その後、11時06分に「行市山山頂900m」、11時09分に「行市山800m」、11時14分に「行市山山頂600m」、11時16分に「行市山山頂500m」、11時23分に「行市山山頂300m」の杭を通過していった。そして、いよいよ坂が緩やかになり、山頂が近づいたなと思ったら、いきなり「行市山砦跡」という小さな看板が現れた。この付近はワラビが生えていた。なるほど掘り割りのような土手を乗り越える。すると、「行市山山頂100m」の杭があり、平坦地を進んでいくと、笹が刈り払われた広場があり、その端に山頂の標柱があった。そばに説明板には「行市山山頂 標高659.3m 京極・浅井時代に東野一行が築城 賤ヶ岳合戦の北軍勇将佐久間盛政の陣地跡」と書かれていた。刈り払われた方面の展望は素晴らしい。戦では各陣営の動きがよく分かったのであろう。

11時36分に往路を下山した。11時38分に「行市山砦跡」を通過し、11時44分に「行市山山頂500m」を、11時45分に「行市山600m」を、11時49分に「行市山900m」を、11時55分に「行市山1200m」を、それぞれ通過して11時56分に別所山砦跡まで下ってきた。そして、11時59分には「行市山山頂まで400m」の札を通り、12時00分に駐車地点の登山口へ下り立った。

さて、今度は菅山寺から呉枯ノ峰と田上山まで往復しようと早速車を走らせた。