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大 朝 日 岳(1,870.3m) 平成22年10月9日(土)曇りのち雨 今回は、東北の百名山のうち大朝日岳を狙っていた。その最終チャンスが訪れた。この山は通常は日帰りでは無理、山小屋での一拍を余儀なくされる。しかし、最短コースである、古寺鉱泉からのアタックであれば日帰りでも可能という情報を得た。私は朝日鉱泉からのコースが最短と思っていたが、コースタイムを検討しなおすと、なんと、古寺鉱泉からの方がコースタイムが短いことが判明した。それで、迷わず、古寺鉱泉からのルートに変更した。 これでコースは決まった。あとは、とにかくアタックあるのみ。あの剣岳の早月尾根や燕岳〜大天井岳を日帰りした経験、あるいは、自分がいままで培ってきた登山の技術、体力、気力をすべて出しつくし、全力を尽くすのみ、その先に光明は開けよう。そうして、いざ決行のときは来た。 10月9日(土)〜11日(月)の三連休を使う。そして、10月9日(土)を移動日、10月10日(日)を登山日、10月11日を移動日としていたが、その後の天気予報により、10月8日は晴れ、10月9日は曇りのち雨で、雨は18時ころから微雨、10月10日は朝から雨というピンポイント予報であった。これなら、決行日を前倒しするしかないと急きょ決断した。つまり、10月8日(金)に出発し、10月9日(土)の早朝に登山口に到着、そのまま、登山して、10月10日の雨が降り出す前に下山するという計画だ。アプローチは約9時間、登山は往復10時間だから、あんとか雨の降りだす前に登山口まで下山してこれるだろうという計算だ。 そうと決まれば、あとは行動あるのみだ。10月8日、勤務を終えて帰宅すると、早速登山の準備をする。そして、19時30分に自宅を出発した。関ICから高速に上がり、東海北陸道〜北陸道〜磐越道〜東北道〜山県道と順調に走り、月山ICで高速を降り、県道27号線で古寺鉱泉登山口に午前5時40分に到着。なんと、計画した通りの時刻であった。早速準備をして、5時52分に出発した。 まずは、古寺川の右岸沿いに登っていく。すると、3分ほどで対岸に古寺鉱泉の朝陽館が見えてくる。朝陽館の方へ渡らず、そのまま右岸側を直進すると鳥原山方面へ行く登山道だ。それでは大周りになるので、朝陽館の前で古寺川を渡り、朝陽館側へ渡る。5時56分に朝陽館の軒先を通り、古寺川の左岸側を進んで行くと、やがて登山道はジグザグに登るようになる。そして、6時05分に尾根へと上がる。ここからは、尾根道を登っていく。6時18分に「合体の樹」という札のかかった木の横をすり抜ける。この辺りは雑木林で紅葉が美しい。先が長いので、体力は温存しておかないといけないし、かといって、あまりゆっくりでは雨が降り出してくるだろうし、ペース配分が難しいが、いつものマイペースで行くしか無かろう。 そして、6時56分に「一服清水」という水場に着いた。この辺りまでは計画通りの時刻であった。小朝日岳の山頂を往路に踏むか、復路に踏むか、あるいは、往復とも踏まずに巻き道を経由するか、思案しながら登った。まあ、計画時刻より、早ければ往路に小朝日岳を経由し、計画時刻より遅かったら、巻き道を経由しようと決めた。 そんなことを考えながら、淡々と登り、7時03分に「ハナヌキ峰」の分岐に着いた。ここでは、計画より約20分の先行であった。そして、「三沢清水」には8時36分に着いたが、ここでは計画に対し、約30分の先行であった。これなら、往路に小朝日岳の山頂を経由できるだろうと、ここで、2分間休憩し、8時38分に出発した。ここには、「古寺山まで20分」という道標があったが、この先は急登で、その時間では古寺山までたどり着けず、8時00分に古寺山山頂(1,501m)に着いた。本来ならここで展望が開けるはずであったが、今日がガスが出ていて、見えるはずの小朝日岳も見えず、休む気にもなれないので、8時02分に、先を急ぐことにした。まずは、鞍部まで下って、小朝日岳へ登り返すことになる。その登りの途中に巻道の分岐があるのだ。8時24分に巻道の分岐に着いた。ここで、予定より50分早かった。これなら小朝日岳を経由してもいいだろうと、8時26分に小朝日岳への登りにかかった。すると、この付近で早くも微雨がふりだしたではないか!!天気予報では夕方の8時から微雨のはずだったのに?!なんということだ!!それに風も強く吹いてきた。そして、小朝日岳へは8時39分に飛び出した。ここなら大展望が望めそうだが、あいにく今日は濃いガスに包まれて、なにも見えない。雨もぱらついて来たのでとにかく先を急ぐことだと、8時43分に鞍部へと下っていった。急な坂を下っていくと、8時54分に右から巻道が合流してきた。ここからわずかに下ると、鞍部であった。左側は切れたったガケであった。ガスで見えないのが恐怖感を和らげていた。この先登りになるのだが、ここで9時00分から9時15分まで休憩して、雨合羽を着込み、おにぎりを2個食べた。雨具を着けると、どうしても動きが鈍くなる。しかし、本降りではないにしても、雨は降っているし、風が強く吹いてきたのがうっとうしい。追悼登山と銘打ってきたが、雪こそないものの状況は似てきたのではないか。低体温症のことが頭をよぎる。ここで低体温症になっては、いかにもお粗末である。「撤退」の2文字が頭をよぎったが、ガスがでていたが、登山道は明瞭で迷うことはなかろう。装備と食料は十分だし、体力は?というと、疲れてきたことは間違いないが、大朝日小屋はもう近いはずだから、先へ進むことしか考えられなかった。しかし、今度現れるであろう、「銀玉水」の道標までが非常に遠く感じられた。9時49分にその「銀玉水」に到着した。やれやれである。案の定計画よりは1時間早かったが、巻道の合流点からは長く時間がかかっていた。体力も疲れは否めなかった。銀玉水で冷たくてうまい水を補給し、体力を回復させるはずだったが、完全回復とはいかなかった。9時55分にここを出発して、石の敷き詰められた階段をゆっくりと上がっていった。 そして、ガスの切れ間から見え隠れしてきた大朝日小屋や大朝日岳を見ながら、10時18分に「霊山朝日嶽神社奥宮」の石柱のある場所に出た。ここからは、大朝日小屋はもう目の前であった。疲労困ぱいで10時26分に大朝日岳に着いた。左足の筋肉が痛かった。小屋で休もうと思ったが、作業中で取り込んでいたので、休憩をあきらめてザックもデポせず、そのまま大朝日岳山頂を目指して、10時29分に小屋の裏手から登りにかかった。幸いなことに足の痛みは消えていた。山頂までは15分のはずだが、ぴったり15分で山頂に飛び出した。時に10時44分念願の大朝日岳山頂(1,870m)に立ったのであった。 すばらしい展望を満喫するはずであったが、残念ながら、ガスのためほとんど見えず、時折、ガスの切れ間から西朝日岳や平岩山方面が顔をのぞかせただけであった。それでも大朝日岳の山頂に立てた喜びに大満足であった。そして、安全に下山しなければならないと、自分に言い聞かせて、山頂を後にした。10時50分に下山を開始、10時58分に大朝日小屋まで下りてきた。あとは長居は無用と、足取りも軽く、ただひたすら下った。しかし、ガスが晴れてきて陽光に輝く紅葉があまりにも美しく見とれてしまう場面も多々あった。 11時04分に「霊山朝日嶽神社」を通過し、11時16分に「銀玉水」を通過、11時44分に鞍部を通過して登りにかかり、11時50分には巻道分岐から巻道へ入る。巻道は小朝日岳の山頂を経由しないトラバース道であるが、登り坂であり、結構疲れる。我慢の登りをこなし、12時11分に巻道の合流点へ出た。さらに下って、12時34分に古寺山山頂まで下ってきた。ここまでくれば安心だろう。12時50分に「三沢清水」、13時11分に「ハナヌキ峰分岐」、13時18分に「一服清水」、13時46分に「合体の樹」をそれぞれ通過して、13時59分に尾根から下るところまできた。ここからジグザグに下って、14時07分に古寺鉱泉の「朝陽館」の前を通り橋を渡って、14時10分に駐車場にたどり着いた。まだ、雨は降り続いていたが、達成感がこみ上げてきた。 14時20分に古寺鉱泉の駐車場を出発して、帰路についた。これなら、今日中に来たくできるだろうと思ったが、結局、疲れが出て、途中で仮眠を余儀なくされ、帰宅したのは翌日の早朝であった。 帰りは、西川ICから山形道に上がり、往路と同じルートを帰ったが、帰宅したのは、10日の3時32分であった。夜行日帰りの「大朝日岳」山行きの完結であった。 |