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乙狩(507.8m)
 
 
岐阜県美濃市
 
 
平成21年3月7日(土) 晴れ
 
 
 

 


午前中しか空いていないので、正午までに帰着する予定で、どこか行く山はないかと探し、結局、この乙狩へ行くことにした。面平山を経由して行くルートである。面平山と乙狩の間の鞍部へ取り付く道がありそうなものだが、わからないので、以前登った面平山から尾根つたいに行くことにした。

午前6時30分ころに家を出発し、関市武芸川町、美濃市を経由して美濃市乙狩の面平バス停に着く。バス停から右折して面平集落へ入り、用水を渡ってすぐ左折すると「村社神明神社」がある。その前に5台くらい駐車できる広場があるので、そこに止める。7時12分に出発した。県道沿いの面平バス停からまっすぐに集落内へ進むと、T字路に突き当たる。そこを右折するとすぐに「天理教上牧分教会」がある。その前には「避難所 天理教 上牧分教会 美濃市」という看板がある。これを左手に見て進み、すぐ先で左折する。民家の軒先を通り、沢沿いにあがって行く。上流に堰堤があり、その下で7時17分に右岸から左岸へと渡る。そこに石柱があり、右:観音堂、左:山道と刻まれている。また、「面平東谷」という木柱もある。ここからジグザグに登っていく。7時21分に石室の中にお地蔵さんが安置されている場所を通過する。この先途中、途中にお地蔵さんが適当な間隔で安置されている。観音堂への参道だと思われる。7時30分に展望の開かれた岩場を通過し、最後に130段ほどの石段をあがると、観音堂に出た。7時50分であった。この観音堂には社務所とトイレがある。この観音堂の左手からさらに山道が延びているので、先へと進む。右山でトラバース気味に登って、7時52分に奥社のような小社と手洗い場のような小さな池があった。これを通過してさらに登り、7時58分に尾根に飛び出した。小さな鳥居と小社があった。ここからは展望が開けていた。これから向かう乙狩が眼下に見える。ここより標高が低いのである。そして、ここからわずかで、7時59分に面平山山頂(528m)に着いた。面平山の山頂は樹林に囲まれ展望はなし。

しばし休憩の後、8時05分に、乙狩へ向けて出発した。登ってきた方から見て、右手前方へ下っていく。目印がついている。いきなり急な下りである。どんどん下って行くと、帰りのことが心配になってくる。8時18分尾根上の大きな松の木がある場所を通過する。それからすぐの8時22分やっと最低鞍部に下り立つ。そしてここから一転して急な登りとなる。岩場である。最初の岩場を越し、次の岩場では岩場を左へ横切り、右山で登るのであるが、往路ではそのまま、左に岩場を見て、岩場の右側を強引に登ってしまった。岩場の上に出ると、尾根道がついていた。あとは比較的緩やかに登って、8時51分に「乙狩」山頂三角点(507.8m)に着いた。ここも展望はよくない。

8時54分に下山にかかった。8時58分に岩場の上部に達し、復路はちゃんと岩場の右側を下った。目印もついているので、よかった。9時01分に岩場の下部に下り立ち、9時06分に最低鞍部に着いた。ここからつらい登りかと思ったが、意外と簡単で、9時10分に大きな松の木まで来た。そして、9時24分に面平山まで戻って来た。ここからの下りは南西尾根を使うことにした。乙狩から登って(帰って)くると、右へ下るのである。左へ行くと、往路に通った観音堂へ下る道である。最初9時26分ころは、右に雑木林、左に植林の境を下っていく。最近、切り開かれたようで、踏み跡はしっかりしているが、払われた枝が足元に散乱し歩きにくい。境界には黄色い杭と白いプラスティックの板があるのでそれをたどる。9時53分には雑木林から植林に飛び込む。しかし、ここから切り開きもなくなり、踏み跡もなくなる。まあ、ここまで来たのだからとそのまま道なき斜面を下っていく。10時03分に県道へ飛び出した。美濃市と関市の境に出た。用水の開渠となる場所であった。あとは、舗装路を歩いて、10時06分に駐車地点の神明神社へ戻った。