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鍋尻山(838m)

平成19年3月11日(日) 晴れ
 
所在地
 
グループ

今日も所用があり、早朝の出発はならなかった。最も、早朝4時00分ころはまだ雨が降っていた。雨が上がっていれば、早朝に出発して午前中に帰宅しようと思っていたのだ。午前5時00分になっても雨はやまず、結局、それもならず。6時00分ころになってやっと雨は上がったが、この時間では午前中に往復するのは無理と判断し、早朝出発をあきらめた。そうと決まれば、また、布団にもぐりこみ、いままでうとうとしていた気分を振り払い一気に眠り込む。そして、8時近くに目覚め、食事をとる。9時00分から所用を済ませ、結局、出発したのは10時15分であった。ところが、午後からも所用があり、遅くとも16時00分までには帰宅せねばならない。

さて、昨日と同じく、国道21号をひたすら西進する。時間がないので、一番近い関ヶ原町今須から登る「タカンジョ」と「梵天」にしようと思い、国道21号から今巣川に沿ってさかのぼろうとしたら、いきなり「通行止め」の看板が・・・この先の集落の人々はどうしているのかという疑問が残ったが、いまは、それを解決している時間がない。それなら、次の候補の「鍋尻山」に行き先を変更した。

それで、国道21号へ戻り、米原から彦根へ入り、昨日と同じ鳥居本町から、左折して、仏生寺町へ入る。さらに直進し、多賀町の水谷へ入り、さらに下水谷へ出る。栗栖で右折し、しばらく川下へ下って、左折する。立派な橋があり、左折して、この立派な橋を渡るのである。橋を渡ると、すぐ右手に神社がある。多賀大社の神木を担う神社か?ここからは、杉峠に向かってジグザグの狭隘な山道を慎重に登っていく。軽自動車であるから良かったが、大型車では通行できないであろう。普通小型車でも相当神経を使うであろう。そして、「杉峠」に出た。ここは、多賀神木の石柱がある。地図によると、「展望がよい」「13本の大杉がある」と書いてあるが、確かに大杉はある。しかし、展望は今日の天気では望めない。柏原付近では、吹雪であり、彦根に入ったら回復したのであるが、峠にさしかかるころには、また雪が吹雪いてきたのであった。写真を撮って、早々に先を急ぐ。峠から下っていくと、廃村の「杉」集落があり、さらに下ると「林道」が右へ分岐している。「高室山」へ登るにはこの林道を進むのであろう。ここからは、また登りとなり、今度は「地蔵峠」に出た。ここには社と大杉が3本あった。ここから、下っていくと、まもなく、「保月」に着く。ここも廃村の集落である。この「保月」が「鍋尻山」の登山口である。廃村となった集落に入る手前の電柱に、「鍋尻山登山口」「鍋尻入り口」の札がつけてある。それを見落としてもすぐに「保月」の集落があるから、そこに駐車して戻ればよい。廃村となった集落には駐車広場がいろいろある。旧小学校跡地や、その前にも広場がある。なお、小学校の跡地には公衆便所もある。

さて、駐車広場に先客が1台駐車してあるのを確認し、12時23分に出発した。杉峠から吹雪になった天候はそのままで、やむなく、吹雪の中を強行するしかない。そんなに時間はかからないはずだ。掘割の道を登っていくと、尾根の乗り越しに出る。ここで、左へ曲がって尾根を登っていく。はじめは植林の中の道であるが、この植林を抜けると、雑木林になり、12時39分にはロープがある急登がはじまる。ここで、下山してくる2人組とであった。先客の車の主であろう。この付近はカヤ(ススキ)の群生である。あまりに吹雪がひどくなってきたので、ここで、レインコートを着た。やがて、12時43分に「鍋尻山→」の看板が木につけてある場所を過ぎる。ここからは、岩がごつごつした場所である。これを登りきると、12時47分に頂上台地の端に飛び出す。一面のカヤ(ススキ)の原である。ゆるやかな坂を登っていくと、12時49分に「湖眺望」、「鍋尻山山頂」の道標があり、12時50分に鍋尻山山頂(838m)に着いた。好展望が期待できると思ったが、残念ながらこの吹雪ではなんともならない。12時54分には下山した。12時56分に頂上台地の先端に出る。ここから、岩場を下って、12時58分に「鍋尻山→」の看板を通過する。積雪があり、すべることすべること、非常に気を使う。それでもなんとか、13時04分に植林に突入する。13時08分には尾根から右への下り口に着き、ここから掘割の道を下る。そして、13時10分に車へ戻った。すでに先客はいなくなっていた。そして、車道に車のわだちが残っていた。自分と同じ方向から来たらしい。自分もそのわだちを追って、帰路に着いた。