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日本百名山である「大峰山」へ行くことにした。「大峰山」という名の山はない。いまでも女人禁制の「山上ヶ岳」や近畿最高峰の「八経ヶ岳」とかの山塊を総称して「大峰山」と呼んでいるらしい。であるから、「山上ヶ岳」を百名山とするのか、「山上ヶ岳」を百名山にするのか意見の分かれるところだ。それなら、「2つとも登ってしまえ。」ということになって、2山を日帰りで登破することとした。
前日のうちに準備をすませておき、前夜は仕事から帰ってすぐに寝た。果たして日帰りで行って来ることが出来るのか。不安であったが、自分の力を信じるしかないと言い聞かせた。しかし、興奮してなかなか眠れなかった。剣岳の早月尾根を思い出したが、あのときは前夜のうちに登山口まで着いていたのだ。今回は早朝に自宅を出るのであるから、その道中が行動時間にプラスされる。ウトウトとしただけだったが、とにかく23時55分に起き、日付が変わったすぐの0時10分に自宅を出発した。今日は長い1日になりそうなのである。
とにかく、ガソリンを満タンにしなければと、途中のガソリンスタンドへ立ち寄ったが、深夜で営業していなかった。計画どおり、長良川堤防を南下し、木曽三川公園で右折し、東名阪自動車道に乗るつもりであったが、ガソリンの給油のことを考えていたのか、何を考えていたのか、三川公園の交差点を直進してしまった。それで、Uターンしなければ・・・と思いつつも広場がなくて、結局、国道1号に出てしまい、このまま一般道を行くことにした。深夜のこととて、渋滞もないだろうと考えたのである。国道23号に乗りかえ四日市へ。そして、また国道1号で亀山へ行く。その途中で深夜営業のガソリンスタンドを見つけ給油した。これで安心して行くことができる。亀山から名阪自動車道に乗った。ここからは無料であるからだ。順調に進み、針インターへは予定より1時間も早い2時00分に着いた。これなら予定より早く登山口に着けると思ったが、そんなに甘くはなかった。深夜で通行量は少なかったのであるが、国道369号で榛原へ行き、ここから、国道370号で吉野へ向かうのであるが、榛原市街地を通過するのに時間がかかり、吉野町でもうろうろして、国道169号に乗り、上北山村方面へ走る。途中の「道の駅川上」へ着いたのが4時17分と少々遅れてしまった。ここで、トイレをすませ、朝食用におにぎりを食べた。そして、出発し大台ヶ原への道を右へ分け、上北山村へ入るとまもなく「天ヶ瀬」地区へ着く。計画どおりの4時30分であった。このころから明るくなってきて、ヘッドライトを消した。この天ヶ瀬から国道309号へと右折するのである。集落もなにもない山中であるが、右折する交差点から、さらに50mほど下った先に待避所(駐車広場)とトイレがある。うれしい心配りである。国道309号は、国道とは名ばかりの1車線の狭いくねくねの道である。まあ舗装してあるだけ林道よりはましか。分岐には天川方面という案内板があったので間違いはないと思ったが、あまりにも狭い道なので本当にこの道でよいのかと不安になってきた。対向車がきたらすれ違いもままならない。しかし、途中で道路標識がいくつもあったので、安心はしたが、道幅が狭いので通行に気を使った。そんな訳で登山口となる「行者還トンネル」まで30分かかり、結局、着いたのは4時53分であった。しかし、ここでとんでもないミスを犯してしまった。「八経ヶ岳」への登山口は「行者還トンネル西口」なのに、いま自分がいる場所(東口)を「西口」と勘違いしてしまった。トンネルを抜けた反対側が西口だとは思いもよらず、とにかくトンネルにたどり着いたことに喜んでしまって、そこが登山口だと思ってしまったのである。幸いというのか、不幸というのか、トンネルの左側(南側)におあつらえ向きの駐車場まであったのである。まずは、その駐車場に車を止めた。また、駐車場の入り口に登山届けボックスと大峰山奥駈道への登山口の案内があった。たしかに、ここには「八経ヶ岳登山口」の表示はなかったのである。ここで気がつけばよかったが、しかし、今日の計画は強行で余裕がなく、従って心にも余裕がなく、気があせり、正常な判断が出来なくなっていたのかも知れない。さらに登山口まで約3分という表示があり、未舗装の林道まがいの道を下って行くのである。たしかに「行者還トンネル」のすぐ南に登山口があるはずなのであるが・・・と付近をうろうろしてから、登山口まで約3分という表示を見つけた。3分をすぐというのかどうかは、個人の感覚の差であろう。ここでもおかしいと思えば思えたのであるが、とにかく気があせり、林道を下って行くしかないと思った。
そんなわけで、5時05分に出発した。おかしい、おかしいと思いつつ、林道を下って行くと、5時10分にたしかに登山口があったのである。登山口のようすが、事前情報とはちょっと違うが、まあここまで来たらこれを登るしかあるまいと開き直った。ここには、「大峰奥駈道50分」の表示がある。だから、いずれにしても50分で奥駈道に合流するのだと自分に言い聞かせた。急坂をジグザグに登り、右山でトラバースすると、5時17分に尾根の直登登山道に合流した。ここには「大峰奥駈道40分」の表示があり、ここではっきりと自分の間違いに気づいたが、もう引き返すことはできない。とにかく大峰奥駈道に出ようと尾根の急登をこなし、5時55分に尾根上の大峰奥駈道に出た。するとそこには、弥山2時間15分、八経ヶ岳2時間45分、大普賢岳4時間50分、和佐又山7時間10分の表示があった。ここで完全に西口と東口を間違えたことに気づき、今自分がいる場所が確認できたのである。予定のコースより大回りをしたのであるが、どれほどの時間のロスとなったのか。「行者還トンネル西口」からの登山道と合流するところまで行かないとわからない。ここから左へ曲がって、弥山方面へ急いだ。尾根道(大峰奥駈道)は、大きく右の方へ回っていき、緩やかなアップダウンの道で、6時14分に「行者還トンネル西口」からの登山道が合流する三叉路に出た。なんと本来なら45分でたどり着くところを1時間15分もかかってしまったのだ。30分もよけいにかかってしまった。この遅れを取り戻そうと必死になるが、結局、これが後々へ「つけ」をまわすことになった。まあ、これでとにかく正規の道へ出たのだからと気を取り直して先を急いだ。ここからはアップダウンはあるものの、尾根道であるから急坂はない。6時34分に弁天の森に着いた。三等三角点がある。(石休の宿跡ともいうのか?)標高は1,600mとなっている。さらに尾根道を進むと、6時52分に聖宝の宿跡に着いた。理源大師像があった。ここからは、いままでのアップダウンの尾根道とはうってかわって、胸突き八丁と言われる急登となる。しかし、道はジグザグについているので、胸突き八丁という割には比較的楽である。それでも終盤にあると木製の階段があり、披露してきた体にそうとう堪える。木製の階段付近で弥山小屋のエンジン音がかすかに聞こえてきたが、7時31分に鉄製のはしごにさしかかるあたりで、はっきりと聞こえるようになる。そして、7時34分に弥山小屋に飛び出した。ほぼ予定どおりの時刻である。ここにザックを置いて、立ち枯れの木々のなかを弥山山頂へ向かう。7時38分に弥山山頂に出たが、神社があるのみで三角点や山頂表示はない。目の前に「八経ヶ岳」を見ながら下山し、7時43分に弥山小屋まで戻った。ここで小休止してから、7時48分に「八経ヶ岳」へ向けて出発した。いったん下ってから、登り返すのであるが、鹿よけのフェンスを4度ほどくぐって、8時09分に「八経ヶ岳」山頂(1,914.9m)に着いた。展望は良好であるが、曇っており遠くの山は見えない。それでもせっかくだからと、山々を眺めながら持参したおにぎりを食べ、8時25分には下山にかかった。弥山小屋に着いたのは8時43分である。ここでも小休止して、8時47分に弥山小屋を後にした。予定より少々遅れていたので急いだ。9時09分に「聖宝の宿跡」(理源大師像)を過ぎ、9時30分に「弁天の森」を通過する。9時36分には「石休の宿跡」を過ぎて、9時42分に「行者還トンネル西口」への下り口分岐に着いた。いままで迷っていたが、ここではすんなりと西口への下り口を下った。とにかく少しでも時間を稼がねばならない。すごい急坂を下りきり、10時05分に三角の木橋で沢をわたると、もうすぐである。10時09分に「行者還トンネル西口」の登山口へ着いた。しかし、ここからさらにトンネルを歩いて抜けなければならない。真っ暗なトンネルを歩いて、10時23分に駐車場に着いた。予定より20分早かった。とにかく急いで車をスタートさせ次の「山上ヶ岳」の登山口となる洞川温泉へ向かった。