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二十五山(1219m)

所在地
 
平成11年6月6日(日) 快晴
 
岐阜百山 103 

 
 
 神岡町、山之村の大鼠山を登ったあと、二十五山へ登るべく、伊西隧道(山之村トンネル)を抜け、途中から右へ曲がって栃洞方面へ行く。現在、崖崩れのため正規の道路が通行止めなので、日本油脂の看板に従って鉱山の採掘場の中を通って、前平(かつての栃洞小中学校の跡がある場所)地区へ入る。かつて鉱山の最盛期には小中学校や酒場、映画館などもあったようだが、いまは見るも無惨な廃墟と化している。時代の移り変わり、盛者必衰を見るようだ。ちょうどこの前平地区の入り口に四叉路があり、そこに2棟の民家もあり、「鉱山四柱神社」がある。さらに少し進むと栃洞小中学校の跡がり、運動場の跡地に記念碑も建っている。さて、登山口は「鉱山四柱神社」からである。その神社の石柱の道路を隔てた反対側に空き地があり、車は5〜6台駐車できる広さである。ここに止めて、10時30分に登り始める。神社の参道(車道)を登って行くと、やがて神社がる。神社に向かって右側に小さな社がある。そちらへ進んで行くと、さらに山の方へ登る階段があるので、それを登ると、送風機のような大きな機械棟がある。車道もここまでついているようだ。それの右横を通って車道のために切り崩した斜面のヘリを回り込んで登ると、山道(登山道)がある。また、崩れ落ちた50センチ四方くらいの鉄板の「二十五山登山道」の案内板がある。木に掲げてあるわけでなく、地面に無造作においてある感じである。その案内看板に「二十五山登山道右直進」と書いてあるが、それを左へ直登したため、間違えてしまうことになった。下りに気がついたのであるが、登山道は右へ山腹を巻いて(横切って)尾根に取り付いているのであった。さて、それはそうとして、間違えて直登する道を選んだため、これから苦労することになった。時々階段の跡があるなど、登山道に違いないと思ったが、しばらく登ると、10時42分に壊れた社の跡があった。ここから先の道が全くない。つまり、この道はこの奥の院?へ来る道であったのだ。しかし、道を間違えたとも気づかず、藪の中を直登することとした。笹ではないので、多少は楽であるが、急な坂のため息が切れる。そして、格闘約30分、11時11分にどうにか坂が緩やかになってきた。すると踏み跡があるではないか。これが登山道かと思い、それをたどると11時25分には、踏み跡がなくなってしまう。あとはしゃにむに藪をこいだら、11時28分、開けた平らな場所に飛び出した。赤い「いすずファーゴ」のワゴン車が捨ててある。ここが頂上なのか、案内書には神社があると書いてあるが、それは取り壊してしまったのであろう。山頂も鉱山の採掘のため、相当削って高度も低くなったのではないかと思う。頂上は相当広い台地になっている。地図で確認してもこれが頂上に間違いない。さて、12時00分に下山を開始する。12時02分には踏み跡が現れる。それをたどり、下りは登ってきたとおりに下らず、踏み跡に従って下る。所々に赤いテープがある。踏み跡は尾根筋を下っている。どこへ下り着くのか不安だったが、尾根を直に下ったり、山腹を巻いたりして結局、登りの時に間違えた送風機のような大きな機械棟に着いた。時刻は12時17分であった。よかった。12時18分に神社をとおり、12時20分に車に着いた。あとは、神岡町へ下る道は時間規制の通行止めがあり、いまの時間は通行止めなので、伊西隧道(山之村トンネル)の峠を越えて伊西をとおり、飛越大規模林道を経由して、双六渓谷から国道471号線へ出た。十三墓峠を越えて、国府町へ入り、国道41号線で高山へ出て、せせらぎ街道経由で、帰宅した。4時20分であった。